大正7年10月 帝国劇場 松本豊初舞台&尾上菊四郎最後の舞台 | 栢莚の徒然なるままに

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今回は歌舞伎座と同じ月に行われた帝国劇場の筋書を紹介したいと思います。

 

大正7年10月 帝国劇場

 

演目:

一、出世景清

二、花上野誉碑

三、雪月花

 

3名の襲名披露で湧く歌舞伎座に対して帝国劇場は通常通りの公演ながらも代わりに松本幸四郎の三男である松本豊の初舞台を踏ませました。この豊こそ戦後の歌舞伎を御存知の方は知らない人はいない二代目尾上松緑その人であります。

 

幸四郎の悪七兵衛景清、梅幸の阿古屋、豊の石若

 
このあどけない子が将来こうなります。
因みに家主長兵衛は同じ月に歌舞伎座で襲名した八代目中車

 

彼は昭和に入ってから六代目菊五郎一門に弟子入りし昭和10年には一門にとって重い名跡である尾上松緑を二代目として襲名し良くも悪くも戦後歌舞伎を率いる一員として活躍し次兄白鸚に続いて人間国宝、文化功労者、文化勲章を受賞、認定され栄典を極めた他、高麗屋三兄弟の中で唯一甥の十二代目團十郎の襲名を見届ける等して平成時代まで存命し波乱万丈な役者人生を送る事となります。

一方で初舞台を踏む若手もいれば逆に消えていくベテランもいるのが世の定めでこの公演が最後の舞台となったのが前に紹介した三代目尾上菊四郎でした。彼は今回出世景清で伊庭の十蔵一役のみを務めていましたが、公演の途中に体調を崩して休演しそのまま回復する事の無いまま翌月の11月15日に63歳で死去しました。7月の歌舞伎座の筋書でも触れましたがこの頃から昭和10年代にかけて團菊を肌で知る世代が徐々に鬼籍に入って行く事になりそれが芸の継承の危機と騒がれた結果、昭和初期の青年歌舞伎にまで繋がる事になります。

 

三代目尾上菊四郎について紹介した帝国劇場の筋書


出世景清

 
一番目の出世景清は以前にも歌舞伎座の筋書で紹介した近松門左衛門の書いた出世景清を福地桜痴が改悪改作した演目です。
細かい解説についてはリンク先をご覧ください。
 
以前紹介した九代目市川團十郎十五年祭追善公演の筋書

 

よりにもよって何でこんな福地の関わった演目でも出来の悪い演目を…と思われるかも知れませんが劇評によると
 
十月興行の一番目は時節柄を当て込んで(この大正7年7月には歴史の教科書で一度は目にした事はある米騒動が勃発していました)「大塩平八郎」といふことになりしが、隣りの赤煉化の御役所(警視庁)が納まらず、役割まで付いたのが急に「出世景清」と改まる由なり。
 
と流石にガチの時事ネタである米騒動を舞台にかけるのは警視庁から待ったがかかり、急遽この演目に変更せざるを得なかったというのが実情だそうです。
今回は悪七兵衛景清を幸四郎、一子石若丸を豊、阿古屋を梅幸、伊庭の十蔵を菊四郎、梶原景高を幸蔵、三保谷国俊を長十郎、人丸を丑之助、畠山重忠を宗之助、源頼朝を宗十郎がそれぞれ務めています。
さて、止むを得ない事情があったとは言え、歌舞伎座で上演した時は福地の改作については酷評された挙句に中車の景清もイマイチな評価に終わった演目したが今回の幸四郎はどうかと言うと劇評では
 
(セリフ)を記憶するにかけては、稀代の名人、松本幸四郎丈を煩はすにはこれに限りますの代物、先づ以て景清らしいのは、先月の左團次のそれが、黒姫山の大蛇丸贋ひとは違ひ、押出しに於ては当代無双の適り役と申すべし。妙な抑揚の白廻しが白壁の微瑕、大詰の眼玉と共に抉り捨てて貰ひたし。
 
といつも指摘される奇妙な台詞廻しこそ批判されていますが、それ以外の面では9月に左團次が明治座で演じた増補兜軍記の景清と比較しても比較にならない程立派だったと好評でした。
 
幸四郎の悪七兵衛景清

 
そんな幸四郎に次いで評価が高かったのが畠山重忠を演じた宗之助で
 
宗之助の重忠の方が立派なり。色の白い猿のやうな人が、相応に見えたるは、たとへ類型的の劇人物になるにせよ、役に対する理解力の深きに依るもの也、白廻しの分かっているのが何よりの証拠なり。然りと雖も、鵯越の追想になりて、馬を背負ひて断崖を下りしといふだけは、白の明らかなるだけに反りて嘘らしき感じがしたり。
 
と台詞廻しに一部難が見受けられたものの、総体的にニンにない重忠の肚を理解して演じた事が好評に繋がりました。
対して同じニンにない役でも頼朝を演じた宗十郎は散々で
 
頼朝は気品に、乏しく
 
とこちらは不評でした。更に意外な事に阿古屋を演じた梅幸も
 
梅幸は迷惑相に阿古屋を勤めてたり、熱なくして借用物の如し、一層のこと宗之助に阿古屋を演らせたら、嫉妬の段も面白かりしならむ。寺島君、少しお辻に遠慮の形あり。一番役の良い牢屋が一番悪し。
 
と顔合わせの付き合いと割り切ってしまったのか、あるいは大塩平八郎の上演不許可が影響があったのか定かでは無いですが珍しく舞台を投げていたらしくこちらも不評でした。
 
この様に幸四郎と宗之助以外の出来は微妙で見物の反応もイマイチだった様ですが事情が事情だけにこればかりは急場凌ぎの対応だっただけに致し方ない部分もあるかと言えます。
 

花上野誉碑

 
中幕の花上野誉碑はこちらも以前に歌舞伎座の筋書で紹介した事がある時代物の演目です。内容についてはそちらをご覧下さい。
 
以前に紹介した歌舞伎座の筋書

 

今回は乳母お辻を梅幸、槌谷内記を宗十郎、菅の谷を宗之助、田宮坊太郎を泰次郎、住職了然を松助、森口源太左衛門を幸四郎がそれぞれ務めています。
さてこちらも歌舞伎座の時には烈女や高貴な身分の女形役には折り紙付きである歌右衛門が本水を使って熱演して好評でしたが、梅幸はどうだったかと言うと
 
中幕の志渡寺は緊張したる芝居なり作が緊張したるにあらず、役者が頗るつきの大緊張との意なり。
 
とまず演目全体が良かったと評価しています。その上で個々の役者についてはまず梅幸は
 
梅幸のお辻は、初めから幽霊気あり、断食の弱り以外に見ゆるを瑕とす、肩入れの気付けに紋の半分を見せたるはよけれど、その色の生々しきは、その凝り方に似合はしからず。これだけが悪い方にて、後は一言なき大出来
 
と気品溢れる歌右衛門のお辻に対して梅幸は乳母としての慈愛を前面に出した演技で阿古屋とは打って変わって好評でした。
また菅の谷を演じた宗之助も
 
宗之助の菅の谷も、年中喧嘩を吹掛けさうな女にて、内記殿も持て扱ってゐるらしく、定めて内記の心中にては、お辻の代りに死んでくれたら、金毘羅意外に出雲の神の御利生あらんと思ふなるべし。
 
とこちらも意気盛んな菅の谷を初役ながら演じきり評価されています。
 
宗十郎の槌谷内記、泰次郎の田宮坊太郎、梅幸の乳母お辻、宗之助の菅の谷

 
一方歌舞伎座で上演された時も同じ役を務めた了然和尚役の松助と槌谷内記役の宗十郎はというと
 
志度寺の了然和尚の方、まだしも生気あり
 
宗十郎の槌谷内記もよし、誰やらの時代物のやうに前で割らないのは感ずべし。だから後が引立つ也
 
と何れも前回の経験が活きたのか好評でした。
この様に前幕と違って主役、脇共々息の合った演技も相まっていい意味で緊張した舞台となったらしく好評でした。
 

雪月花

 
大切の雪月花はこの公演最大の目玉である舞踊演目でかつて九代目市川團十郎が初演し、このブログでも市村座で三津五郎が演じた事がある舞踊三連の演目です。
 
参考までに市村座の筋書
市村座の時はまだ若かった三津五郎には三役全ては荷が重かったのか今一つでしたが、今回は帝国劇場の三幹部であり舞踊においてはそれぞれ一門の師であったり腕に自信がある梅幸、宗十郎、幸四郎がそれぞれ鷺娘、更科姫、保名を担当する豪華な演目となっています。
因みに宗十郎だけ更科姫(九代目のオリジナルでは月夜漁)となっていますが、これは前に紹介した7月の歌舞伎座で猿之助が既に演じていたので被るのを避けた為だそうです。
 
猿之助が月夜漁を演じた7月の歌舞伎座の筋書


劇評ではわざわざこの演目の為だけに別個に数ページに渡り解説していて如何に目玉の演目であったのかが伺えます。
その特別扱いの劇評によると
 
梅幸「梅幸の鷺娘白無垢の振袖に色入狂言模様を散らした黒の帯、ひらり帽子を冠り蛇の目傘をさしかけ上手から現はれ振りにかかる。(中略)伊十郎の「縁を結ぶ神さんに」辺りは余りにブッキラ棒で味が無い恁麽所(こんなところ)こそ六左衛門か兵蔵にやらせたら引立つだらう、この辺の振は「道成寺」のクドキと同巧異曲、梅幸の技芸愈々冴える。(中略)「添ふも添はれず」のセメになって緋縮緬の肌ぬぎとなり国之丞、梅四郎両人の烏娘が挑んでタテ模様の振り、「この世からさへ劔の山の」の、次の合方で火焔の模様を染めた衣装に四度引ヌイテ立廻りドド宙乗りで上手へ消えるがこの所梅幸大車輪である。
 
宗十郎「この「更科姫」は「山姥」を真似てしかも遠く及ばぬもので所作事としては「鷺娘」や「保名」に比べると頗る劣るものであったが宗十郎の山這の振りの柔かさには感服流石に花柳の奥義を極めた仁だけの事はある(中略)宗十郎のはその角々の極りが鮮やかに現はれない代わりに進行中の体勢にに関しても細末な注意が払われそれが極めて心地よい柔軟かな運動となって印象される、換言すれば形式美の連続である
 
幸四郎「幸四郎の振りは出発点と終極点即ち見得から見得の静止美には極めて鮮やかな内充的な形が現はれるがその振りの進行中には随分気のぬけた不鮮明な形が見える事がある、これは終始一貫した形式上の注意を閑却され精神的に強い印象を描き現はさんとする為にともすれば起こり易い欠陥であらう(中略)カケリの鳴物で幸四郎の保名、好みの拵へ眼の動き、振りの鮮やかさ勿論三世藤間勘右衛門だけの事はあった
 
とこの様に三者三様の評価をされています。
因みに別の劇評によると3人ともあまりに熱演だったらしく、幸四郎の保名が終わった時は既に12時を軽く超えてしまったそうです。
 
上から梅幸の鷺娘、宗十郎の更科姫、幸四郎の保名

 
この様に段四郎親子しかいない歌舞伎座は無論の事、菊五郎と三津五郎を擁する市村座さえをも凌ぐ舞踊面での充実さを見せつける演目となりました。
 
さてこの様に充実した演目揃いの今回でしたが入りの方はと言うと歌舞伎座、新富座の好調に押されてか前日満員御礼にこそならなかった模様ですが客足が落ちる終盤になっても日によっては売り切れになる日があるなど好調な入りであったそうです。
この後、帝国劇場は幹部役者に加えて松竹との相互出演協定により役者を借りて翌月の公演も打つ事となります。