大正6年8月 歌舞伎座 源之助の大車輪 | 栢莚の徒然なるままに

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今回は前月に引き続き歌舞伎座の筋書を紹介したいと思います。

 

大正6年8月 歌舞伎座

 

 

演目:

 

一、夏祭浪花鑑
二、日向島
三、籠釣瓶
四、寝台車

 

折角7月に歌右衛門、八百蔵、羽左衛門と錚々たる顔ぶれを揃えたものの、今一つな成績に終わった歌舞伎座はいつもの夏公演の面子である左團次一門と段四郎一門及び源之助を残して散り散りとなり代わりに大阪からお馴染み延若を迎えての6月の明治座と同じ顔ぶれの座組となりました。

 

主な配役一覧

 
普通に考えれば幹部役者が抜ければその分集客に苦戦しそうな気がしますが、そこが歌舞伎の不思議な所でなまじ発言力のある幹部が抜ける事で演目に幅が生まれ自由に演目を決められやすい事があります。今回の演目も正にそれが表れていて
 
・古典二つ(内一つは復活上演)
 
・新作二つ(内一つは古典のリメイクでもう1つは現代劇)
 
と夏芝居とあってかなり攻めた内容になっています。
 

夏祭浪花鑑

 

一番目の夏祭浪花鑑は上方丸本物の代表作の一つで前に紹介した初めての8月公演以来2年ぶりの出演となった延若の出し物であり、現在も盛んに上演される演目でもあります。

 

参考までに2年前の8月公演の筋書

 

実は延若は前月に横浜座で五代目市川小團次を相手に既にこの演目を上演していてすっかり手慣れた状態で今回の歌舞伎座に臨みました。

歌舞伎座では一寸徳兵衛を左團次、段四郎が義平次、釣船三婦を歌六、お辰を源之助と左團次を除いていずれも上方出身や上方に長期滞在して上方狂言にも手慣れている重厚な面子で固めるなどして配役に難があった前月の轍を踏まない工夫がなされています。

 

横浜座での延若の團七と小團次の平次

下の段四郎と比較すると平次の扮装など差異が見られて興味深いです

 
そんな念の入り様で行われた演目ですが劇評ではまず主役の延若について
 
徳兵衛との立廻りに、片方下駄の脱げた足で床几に上がり片方のを脱いで抛っての裾を捲っての見得、といふ面白き仕草を初日に見せしが、大阪流は不可まいといった人があるとかで、跣になって開帳札を持ってから床几に立つ例のに改めたは、東京の看物のためには惜しいことをした。(中略)殺しの場で、刀を背後に廻して義平次も乗し掛かるやうな見得は好く無い。死骸を跨いでの飛び違いの見得も、足が重くて甚中の字。(中略)祭の若者に交って花道へ掛かるに、大勢を遣り過ごし、それから「悪い人でも舅は親」となって、一人離れて出る若者を相手に踊りながらフラフラと入るは、例のとは違って、理屈からは好く無いが目新しくて前受はする。などとかう廉々を並べ立てると、得心しかねるところが大分あるやうに聞こえるが、大阪の役者が大阪狂言を東京で見せる、といふことの上に当人種々苦労しての取捨選択。團七としては大体において、その人らしく、亦面白く見せている。
 
と当初は実父初代延若や二代目多見蔵らが演じた珍しい型で演じたものの、東京の人間からクレームが付いた為に翌日から東京風の型で演じた事も含め一長一短の評価となっています。
 
そして義平次を演じた段四郎も
 
段四郎の義平次、八百蔵のも当人謙遜の通り余り好くなかったが、この優のも宜しくない。一体にイヂイヂした下司の憎ッ振が薄く、もっと辣くと思ふ處に突込み方が足らない。(中略)「兄よ暑いなア」や「一寸切れば」のあたりの台詞の、根っから格に入っていぬは、新工夫の皮肉か、不詮索か、何方にせよ興味索然。されど斬られてからは見直した。
 
と悪役としての憎しみが薄いと批判されながらも後半は持ち直したと一応の評価をされています。
因みに劇評では前月演じた小團次や以前に演じた八百蔵を比較した上で
 
近年でのこの役は、小團次のが一番好い。次が八百蔵段四郎だ。
 
と意外にも小團次が一番巧いという評価を下しています。ただ、見る側はいざ知らず、演じる側の延若からすると段四郎の義平次は別の見方があり、
 
義平次を演ていただく方とイキが合ふこと。イキが合わねば形が崩れてまいります。私の團七では卯三郎さんと先代の段四郎さんの義平次が特に結構でした。」(延若芸話)
 
と團七側の延若からするとイキがぴったし合って最適の義平次だったそうです。

 

延若の團七と段四郎の平次

 
また一寸徳兵衛と釣船三婦で付き合った左團次と歌六も
 
左團次の徳兵衛、これも團七に廻った方が好い役者で徳兵衛には何となく重ッ苦しい
 
歌六の三婦はお手の物ではあるが、この優一年増しに言ふ事が分からなくなり、台詞が宛然(えんぜん)外国語のやうなのには恐れる。
 
と何れも達者に演じているにも関わらず左團次は一寸徳兵衛には役不足、歌六は加齢から来る台詞廻しの衰えを指摘されるなど自分ではどうしようも出来ない様なちょっと可哀想な評価をされています。
 
何言っているか分からないと言われてしまった歌六の釣船三婦
 
そして劇評では前月は総崩れ状態で足を引っ張った脇役について細かく触れていて
 
莚升の磯之丞は、住吉からすぐ三婦の家に飛んで見せる芝居には結構。
左升の佐賀右衛門、手慣れの役やれば楽。
荒次郎の権と左喜之助の八とは、手丈夫過ぎるくらい。
壽美蔵のお梶、無理な役。始終屈み加減なのも、自分で自分を気にする故
市之丞のおつぎは達者
 
と加役で女形役を務めた壽美蔵以外は芸達者な左團次一門に支えられて好評でした。
 
とこの様に概ね好評な脇の役者に対して主要な役の役者たちは何処か一長一短な部分が見受けられる等満点とは言い難い出来でしたが、一人だけ例外だったのがお辰を演じた源之助で
 
源之助のお辰、余り好くなからうと思ひの外の結構さ。仕事はズッと以前に、大阪で今の歌六に教はったのだとか。それは兎もあれ、日傘を少し前へ差し、小早に花道を出た様子、何う踏倒して見ても昔の歌舞伎芝居の立者四邊(あたり)が明るくなるのは偉い。「立てて下んせ」の處は「モシ三婦さん」といはず、本文通り「親爺さん」といっているが、顔に傷を写した塗り盆をトンと突き、腰を二段に落として極まる處は実に素敵だ。傷の事を三婦にいって、女心のふと弱くなる處ではホロリとさせる。扇で顔を隠しての入りまで大当り大当り。
 
と下馬評を覆し、辛口の岡鬼太郎をここまで書かす程の演技力で大絶賛されています。
これまで東京でお辰を演じる時は二代目坂東秀調の型が主流でしたがこの源之助の上方流が好評だった事や源之助は昭和に入っても初代中村吉右衛門の團七でお辰を演じた事、更には源之助から直接型を教わった十七代目中村勘三郎が源之助の型を受け継いだ事から今でも夏祭浪花鑑を上演する際のお辰の型は源之助の型を演じるのが常となっており、如何に後世に影響を与えたのかが分かります。
 
源之助のお辰
 
この様に延若、左團次、段四郎は微妙だったものの、脇役や源之助などが芸達者な腕前で支えてくれた事が吉と出て先月の牧の方よりかは評判が良かったそうです。
 

日向島

 

中幕の日向島は段四郎の出し物で明和元年10月に初演された娘景清八嶋日記の三段目の切を改題した丸本物の演目となります。

最近では二代目中村吉右衛門が歌舞伎座で1回、国立劇場で1回それぞれ復活上演させましたが何れも三段目の切の見取あるいは三段目までの上演となっています。

というのもこの演目は大仏殿万代石楚、待賢門夜軍、義経腰越状の3つの演目を綯交ぜして作られており、特に四段目は義経腰越状をまんま設定だけ変えたような内容となっていて劇評では

 

実に言語道断の代物である。

 

と原作そのものをボロクソに貶しており、今回の三段目もまた

 

本文だとて段切のあたりはかなり下らない。

 

と批判しておりあまり評価していません。

 

内容としては日向島に流され、盲目となっている景清を助けようと娘の人丸が体を売りそのお金を持って景清のいる日向島を訪ねますが景清は娘に後難が及ぶのを避けて会うのを拒絶し、人丸はそれまでの経緯を紙に認めてその場を去り事情を知った景清のもとに源氏の追手が差し迫りますが途中で目が回復して追い払い、後から現れた秩父重忠を再会を誓う所で終わります。今回は悪七兵衛景清を段四郎、秩父重忠を左團次、三保谷国俊を猿之助、景清の娘人丸を松蔦がそれぞれ務めています。

内容を読んだ人の中にはピンと来た人もいるかと思いますが、舞台設定が何処となく以前紹介した平家女護島に似ており当時俊寛を当たり役にしていた段四郎にとっては演じ易い事もあって出し物にしたのが実情だそうです。

そんな段四郎の考えは劇評に見透かされていたらしく

 

段四郎の景清、俊寛で当てたからと、景清はそれと同一にはならぬ。イヤ動もすれば同一になりそうで危険だ。けれども、「暗きに迷ふ盲目」のあたりは、芝居上手の優だけに巧く泣かせる。「唯った一目睨んでくれたい」の台詞は、壺を知らずにいっていた團十郎と違ひ、本文を肚に入っての言ひ廻しは感心。

 

と所々俊寛に寄りがちになっていると批判されている一方で台詞廻しなどは師匠團十郎をさえ上回る出来だと評価されています。

しかし、他の役者はというと

 

左團次の重忠、頼朝がって来る役だけに尚始末が悪い、人柄(ニン)でも無い。お附合御苦労。(中略)総残らず普通(ひととおり)。」

 

と滅多に演じない演目をやった為か十把ひとからげに括られて評価される有様でした。

この様に段四郎だけ好評で他の役者たちは不評と前月と同じ状態になり見物の受けも悪かったようです。

 

段四郎の悪七兵衛景清と猿之助の三保谷国俊

 

 

籠釣瓶

 
二番目の籠釣瓶は左團次の出し物で有名な籠釣瓶花街酔醒ではなく、籠釣瓶花街酔醒を参考に岡本綺堂が演芸画報に連載した小説を歌舞伎化したという実録籠釣瓶とも言うべき少々ややこしい新作演目です。その為か下記の左團次の画像を見ても分かる様にこの演目でお馴染み佐野次郎左衛門の痘痕が無い事が分かります。
内容は次郎座衛門が妖刀籠釣瓶で八橋始め大勢を殺害する部分は共通しているものの、それ以外は基本設定を残して大きく書き換えられていてオリジナルの籠釣瓶では八橋に愛想尽かしを強要し、斬殺の原因を作る繁山栄之丞を八橋に入れこんで正気を失っている佐野次郎左衛門に巻き込また挙句に憐れに惨殺されてしまう宝生栄之丞として善人として描いている他、八橋も栄之丞への当てつけに次郎左衛門の身請け出来るかどうかを確かめたりするなど「人を騙すのを何とも思わない酷い女」と栄之丞に言われる程の悪女、佐野次郎左衛門は痘痕の話もなく、田舎から出て来たお大尽で有り金全てを貢いででも八橋に執心し、それが適わぬと見たら八橋を殺し自分も自殺しようとする何処かストーカーじみた自分勝手な人間として描かれるなど実録籠釣瓶と書いた方がしっくり行く様な設定となっています。
 
左團次の佐野次郎左衛門
 
さて劇評の方ではまず演目の出来栄えについてはオリジナルの籠釣瓶花街酔醒と比較して
 
(オリジナル)の佐野次郎左衛門は先代左團次に因って高く評価されたが、それも近来は原作を間引して飛び飛びの物になり、次郎左衛門が自身連れて行った友達から、女に厚遇(もてぬ)をその座にて罵倒さるるなど、随分無法な廉のみが目立ち、三個の津一といはれた美い男の左團次を醜男にして、そが売物の立廻りを見せたといふ事の外には何んの興味も変哲も無くなっている。(中略)演者を離れては真に下らぬものになっている。
 
と今では当たり前となっている見取での上演方式をボロクソに言った上で今回の脚本について
 
当否は知らぬが舞台の「籠釣瓶」は間引の従来よりは確かに好い。刀を愛(おし)む件は少し不徹底であるが、普通の人間に普通の事をさせて、威かしッ気の奇抜さを交じっていぬが大いに好い、前受も存外好い。二番目気を出して今の左團次に書いた綺堂氏の狙いは外れていない。
 
と実録風に妖刀の件を抑えめにしつつも痘痕の設定や見初めの場を無くした事を評価していますが、
 
しかし、先代が売り込んだ景気の好いのと、その筋を憚ねて遊蕩気分を抜きにした今度の馴染みの無いのとでは、一般の人気において逕庭(けいてい)のある事いふまでも無い。
 
と実録風にしたが故に舞台に盛り上がりが欠けている事も指摘しています。
 
そして主役の左團次について
 
左團次の次郎左衛門、他の役々を多少犠牲にしてまで、十分に書かれたる主人公の役、金には詰まる、女は可愛し切羽詰まっての無理心中といった形の大詰になるまで、独特の技量を振るっているが、殺しの前の煩悶は騒々しい。(中略)一番好いのは序幕の二場、次が二幕目。最後の大立廻りをしないのは、先のを逃げた段取りとはいへ、一般には物足りないだろう。(中略)先の狂言を演る事になると、今の左團次の舞台到底亡父に及ばず、今度のを演らせたら、先代容易く倅殿を凌ぎ得まい。
 
とオリジナルを得意とした初代左團次と比較して大詰の大立廻りが無い事がマイナスになっているとしながらも親子の芸風を比べた上で当代の左團次に当て込んで書かれているだけに今回の方が彼には向いていると好意的な評価しています。
 
その左團次の相手役である八橋を務めたのがまたもや源之助で
 
源之助の八橋、先のよりも出場は少ないが、客は客間夫は間夫と、何方もそれ相応に取り扱っている平凡さが、先のよりも却って料簡の見せ場になって面白い。本人それを弁えて、何んの事もない唯の女郎に演ているは感心。
 
と実録風の演目だった事や前月の万野と同様に演じ易い遊女役も相まってお辰に続き高評価を受けました。
歌舞伎座に歌右衛門がいると序列の関係でどうしても役が軽くなりがちになる源之助ですが、前に紹介した牡丹灯篭然り直侍の三千歳然り何故か歌右衛門がいない時に限ってその真価を遺憾無く発揮出来る珍しい役者でした。
 
参考までに牡丹灯篭の筋書
直侍の筋書

 

 

左團次の佐野次郎座衛門と源之助の八橋
 
因みに他の役者たちはどうかと言うとうっかり次郎左衛門の秘密を喋ってしまい殺戮の原因を作る次六を演じた延若は
 
延若の次六、面白がらせようする所が邪魔になるが、宿屋の二階でホロリとさせるあたりは技量
 
と器用すぎる芸が煩く感じる所があったものの、オリジナルより陰惨なこの演目における三枚目の役所をしっかりと捉えて演じて評価されています。
また、役の中でも一番変化が大きい栄之丞を演じた壽美蔵も
 
壽美蔵の栄之丞、先のよりは演所のある役になっている幾ら八橋に想はれても、その八橋が怖るべき佐野次郎左衛門を怖れていないに気味悪がり、遠からうと思ふやうな、気の弱い世間並の色男、楽に好く演ている。
 
と加役の女形での不評とは反対に本役の二枚目では真価を発揮してこちらも評価されています。
 
 この様に左團次に当て込んで書かれただけあって当然左團次もよし、そして源之助以外の脇の役者達も好評とあって新作としては十分すぎる程の当たり演目となりました。
 

寝台車

 
大切の寝台車は松居駿河町人こと松居松葉が書いた歌舞伎座にしては珍しい現代物の新作です。
松居松葉と言えば以前に紹介した敵国降伏の作者である他、悪源太など幾つかの演目を初代左團次に提供し、初代没後は二代目左團次に師事して改革興行に携わったものの、妨害による失敗から責任を取って手を引いてこの当時は三越で働く傍らで新派に幾つか演目を書いていました。この作品は遡る事4ヶ月前に結成され新富座で旗揚げ公演を行った新国劇の為に書かれた物になります。
 
明治座の敵国降伏の筋書
 
内容は東海道本線を走る夜行列車が舞台で寝台車で巻き起こる様々な騒動を描いたドタバタコメディとなります。今回浦田喜三郎を延若、荒尾精三を左團次、北野海蔵を猿之助、青山卓爾を壽美蔵、芸者仇助を松蔦、浦田喜三郎いそ子を亀蔵、いそ子の叔母時子を源之助と左團次一門で固めるという無駄に豪華な配役となりました。
左團次一門と言えば前に書いた様にシェークスピア物や新派物まで幅広く手掛けるだけに今回も何の抵抗もなく演じたそうですが、劇評では
 
洒落ッ気が兎角先に立って、舞台に締まりが無くなり、廉々に串戯(じょうだん)のやうな處が出来る。この寝台車もさうである。
 
とどうも喜劇と割り切って演じてしまう悪い癖が見受けられた様です。
因みに役者の中では
 
源之助の肥った女の企まぬ可笑味と、荒次郎の車掌の大真面目に凝って演ているとが好い
 
とここでも源之助が良かったと評価されています。
 
この様に中幕の日向島こそ振るいませんでしたがそれ以外の演目は源之助の大車輪の働きもあってツッコミ所はありましたがどれも見物の受けも良かった事から20日間の公演期間全てで大入りと前年に続き成功を収めました。この公演の終了後に歌舞伎座はほぼ丸一ヶ月休み9月下旬から10月公演を開く事になります。