三月大歌舞伎 第二部 観劇 | 栢莚の徒然なるままに

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今回は運良く休みが取れたので観劇の記事を書きたいと思います。
 

三月大歌舞伎 第二部 

 
個人的な事ですが私は仕事柄、1~4月が超多忙で中でも3月はピークを極める為に休みなんか殆ど無くなる為に三月大歌舞伎を見るのは実は初めてだったりします。
 
参考までに二月大歌舞伎 観劇の記事はこちら

 

 
初春歌舞伎観劇の記事はこちら

 

 
因みに座席は休みが取れたのが直前だったのもあり三階でした。
 
 
熊谷陣屋
 
一幕目の熊谷陣屋は元の外題を一谷嫩軍記といい、宝暦元年に文楽で初演された後、歌舞伎にも輸入された時代物の演目です。
今回上演された熊谷陣屋は三段目に当たり、本来はこの後に対となる六弥太と忠度の話が続きますがこの部分は江戸時代を最後に全く上演される事は無くなり、今では熊谷陣屋を中心に国立劇場の通し等でたまに二段目の陣門、組打が上演される他、文楽では更に二段目の林住家の段も上演されたりします。
三段目の熊谷陣屋は人気演目として江戸時代から繰り返し上演されている事から幾つもの型が存在し大きく分けて
 
芝翫型
 
團十郎型
 
の2つがあります。
 
團十郎型というのが現在の主流で七代目市川團十郎が演じた型を基に九代目市川團十郎が改良を加えて完成させた型で死後は弟子の七代目松本幸四郎が受け継いだ他、時代物において多くの得意役を受け継いだ初代中村吉右衛門が当たり役にして戦前から戦後まで数多く演じた事で娘婿の八代目松本幸四郎、彼の息子である二代目松本白鷗、二代目中村吉右衛門の兄弟が受け継ぎ上演されています。
来ている裃も緑を基調とした渋い物で中でも最大の特徴は九代目が作り上げた花道での
 
十六年は一昔、アア夢だ。夢だ
 
と呟くように言う最後の見得が挙げられます。
 
市村座時代の吉右衛門の熊谷(写真は組打)
 
昭和17年1月の歌舞伎座での初代吉右衛門の熊谷
因みに義経はもしほ、相模は相模、藤の方は六代目芝翫
 
当代の松本幸四郎の熊谷
 
一方芝翫型というのは熊谷役を得意とした三代目中村歌右衛門が作り上げた梅玉型を基本とし弟子の四代目中村歌右衛門を経て四代目の養子で大芝翫の異名を取った四代目中村芝翫が完成させた型です。
写実主義が幅を利かす様になった明治時代になっても昔ながらの大芝居な芸風を変えなかった彼らしい型で主流である團十郎型と比べると来ている裃も黒の着付けに赤錦と実に派手派手しく、他にも
 
・下記の写真を見ても分かる様に持っている制札も上向きになっている
 
・敦盛を討ち取った時の様子を語る平山の見得が違う
 
・小次郎の首を相模に渡す時に盆の上ではなく直接手渡しする
 
・出家した熊谷が剃髪せず有髪
 
・最後の見得も花道ではなく舞台の二重の上で決める
 
といった違いが随所に身受けられます。
 
四代目中村芝翫の熊谷
 
私が調べた限りでは大正時代の1枚しかない為、
恐らくネットでは初出となる明治38年3月の東京座での五代目中村芝翫の初役の熊谷
 
この芝翫型は上記の様に四代目の養子である五代目中村歌右衛門が受け継ぎましたが、彼は鉛毒の後遺症で歩行が困難となり大正時代に演じたのを最後に演じれなくなり、養子の成駒屋五代目中村福助の急逝や六代目中村歌右衛門が真女形であった為に芝翫型の熊谷は継承されず滅びた…かの様に思えましたが、弟子である六代目大谷友右衛門や初代中村竹三郎が五代目の型を継承して小芝居などで演じていてその内竹三郎が最晩年に二代目尾上松緑に教えた事で残りました。その松緑も2回程演じただけで團十郎型に変えてしまいましたが幸いにも最晩年に出した自伝「松緑芸談」に型の詳細を書き記していた事もあって当代の芝翫が松緑の記述を参考に平成15年に復活させ変則的ながらも成駒屋に現在も継承されています。
 
当代芝翫の熊谷
 
さて大分型の話が長くなってしまいましたが今回は昭和44年6月に東横劇場で初演して以来10回目となる十五代目片岡仁左衛門が熊谷、相模を昨年末の南座以来2回目となる孝太郎、藤の方を代役を含めれば2回、本役では初役となる八代目門之助、阿弥陀六を9回目となる五代目中村歌六、義経を孝太郎、門之助と同じく2回目となる二代目中村錦之助とベテランと新顔が入り混じる斬新な組み合わせでの上演となりました。
 
配役一覧
 
熊谷次郎直実…仁左衛門
源義経…錦之助
熊谷妻相模…孝太郎
梶原平次景高…松之助
堤軍次…亀蔵
藤の方…門之助
白毫弥陀六実は弥平兵衛宗清…歌六
 
さて、仁左衛門は團十郎型、芝翫型のどちらで演じたかというと…そのどちらでもなく仁左衛門型とも言うべき独自の型で演じています。
内容としては衣装や大筋は團十郎型をベースにしつつも一部芝翫型を折衷した上に独自の型を入れるという物で
 
・小次郎の首の渡し方は芝翫型
 
・最後の見得は團十郎型の花道で行うも台詞は「十六年も一昔、夢であったなあ」と院本通りに言う
 
のが大きな特徴です。この型は十三代目片岡仁左衛門が生み出したと言われていて、私のブログを見ている方ではお馴染み壊し屋十一代目片岡仁左衛門は上手からでなくてはいけないのに下手から出て来て舞台をぶち壊した逸話で知られる様に弥陀六こそ持ち役にしていますが熊谷は手掛けた事が無く、十三代目も熊谷は戦後代役で1度だけしか演じた事が無いだけに一体どういう経緯でこの型を産み出したのか謎に包まれています。
 
そんな仁左衛門の熊谷ですが、理知的な芸風である事もあってか團十郎型が良く馴染み我が子を身代わりに立てて敦盛を守ったものの、相模がやって来るという予想外の出来事に対しても吉右衛門の演じる際の驚きを分かりやすく出すこと無く肚で演じているのが挙げられ「小次郎が手傷を負ったらいかにする」と相模に尋ねる下りも我が子の死をどう相模に伝えたら良いのかを思案しながら尋ねる気持ちが伝わり台詞廻しも時代物とあって渋く抑えた物となっています。
 
仁左衛門の熊谷
 
一度退出してから小次郎の首を持って出てくる二度目の出は概ね吉右衛門と同じですが相模や藤の方を抑えての制札の見得も少し抑え目となっている分、相模に小次郎の首を渡す場面では情愛深く演じていて熊谷という武士の側面を出すのが吉右衛門とすれば、仁左衛門は父親としての側面を強く意識した熊谷と言えます。
 花道の見得も陣太鼓の音が聞こえとると一瞬武士の性が出る吉右衛門に対してどこか懐かしげな面持ちで空を見つめやがてそっと笠を被る仕草など言葉に表さない肚の演技たっぷりに出して吉右衛門の團十郎型とは一味違った味わいがあります。
 
そして2回目となる相模を演じた孝太郎ですが、私が前に2回程見た魁春に比べるとまだ何処か慣れない部分がある故か慎重に探り探り演じているのが分かりました。
しかしながら、今回は小次郎の首を直接受け取り着ていた着物に包みながら藤の方へ見せる型の為に相模の見所も必然強調され、突然我が子を失う悲しみに首を抱きながら着物に包む所は2回目とは思えないくらい母の情愛が伝わるなど上出来でした。
ただ、一つ残念な所はこの芝居は相模は後ろ向きになって待機する時間や後ろ向きになる場面が多いのですが、その際に首の後ろと耳の後ろを白粉で塗り忘れている部分が露になってしまっており折角の好演に水を差しています。
はきちんと塗っていましたのでまだ日にちもあるのでその辺のケアレスミスは直して欲しいです。
 
続いて本役で初となる藤の方を演じた門之助ですが、こちらも孝太郎同様に2回目とは思えない出来栄えで我が子を失ったと思い熊谷に斬りつける出や焼香の場なども前2回での雀右衛門と比べても遜色ない出来栄えでした。先月の勝頼といい、今回の藤の方といいようやく門之助にスポットライトが当たってきたのは大変喜ばしい事であり、是非彼には他の大役を演じて老いの一花を咲かせて欲しいと願っております。
 
門之助の藤の方
 
その他、先月はニンにない謙信なんて役を宛がわれた錦之助も門之助の代わりにこちらも2回目となる義経役を演じて気品ある二枚目役とあってハマってましたし、前回と同じく阿弥陀六を務めた歌六も得意の老け役とあって余裕たっぷりに演じていていました。
そうじて細かいマイナス部分はあったものの、ベテランと新顔の絶妙な配役もあって久々に大歌舞伎らしい演目を見る事が出来ました。
 
雪暮夜入谷畦道
 
さて二幕目の雪暮夜入谷畦道は元の外題を天衣紛上野初花、通称「直侍」と呼ばれる場面で原作の後半部分に当たります。
私は5年前の顔見世で今回とほぼ同じ顔ぶれで一度観劇していて今回は2度目となります。
 
参考までに市村座での通しの時の筋書

 

こちらは明治14年の五代目の初演以降、音羽屋のお家芸として六代目菊五郎、七代目梅幸(彼は女形なので三千歳)、七代目菊五郎と四代に渡り代々演じ続けられております。

戦前は六代目尾上菊五郎と十五代目市村羽左衛門が直次郎を、六代目尾上梅幸が三千歳、弟子の四代目尾上松助が丈賀それぞれを持ち役にしており、特に羽左衛門と梅幸のコンビは絶品と呼ばれる程の名演で知られました。

 

昭和に入ってからの羽左衛門の直次郎と梅幸の三千歳

 

六代目菊五郎の直次郎と四代目松助の丈賀

 
配役一覧
 
片岡直次郎…菊五郎
三千歳…時蔵
寮番喜兵衛…橘三郎
亭主仁八…橘太郎
暗闇の丑松…團蔵
按摩丈賀…東蔵

 

今回直次郎を務める菊五郎は実に9回目で三千歳を加えれば計11回、次いで三千歳を務める時蔵は7回目、暗闇の丑松を務める團蔵も5回目、丈賀を務める東蔵も3回目といずれも何度も務めているだけあってやる事は息もぴったしでした。
菊五郎の直次郎は前回もそうですがポッコリお腹さえ目をつむればやることなす事堂に入った演技で安定していますし、三千歳の時蔵も菊五郎の女房役として様々な演目で共演している事もあり、こちらも菊五郎と息を合わせた演技で安心して見れます。
團蔵、東蔵もまたそれぞれの役を上手く理解して演じていて特に東蔵は普段時代物の花車役が多い為か世話物で立役はかなり新鮮ですが、老按摩を気軽に飄々と務めていて違和感なく見れました。
 
とこの様に今回の第二部は久しぶりに力の入った演目が並んでいて、これなら一等席の15,000円を払っても元が取れる内容ですのでまだ見られていな方は是非とも見るのをお勧めします。