二月大歌舞伎 第一部 観劇 | 栢莚の徒然なるままに

栢莚の徒然なるままに

戦前の歌舞伎の筋書収集家。
所有する戦前の歌舞伎の筋書を週に1回のペースで紹介しています。
他にも歌舞伎関連の本の紹介及び自分の同人サークル立華屋の宣伝も書きます。
※ブログ内の画像は無断転載禁止です。
使用する場合はコメント欄やtwitterにご一報ください。

今回は二月大歌舞伎を本来2日目に観劇するはずだった観劇の記事を紹介したいと思います。

 
 
二月大歌舞伎 第一部

 
 
 
前月の観劇の記事はこちら
 
本朝廿四孝
 
一幕目の本朝廿四孝は明和三年に初演された丸本物で、現在では今回上演されてる十種香と狐火がよく上演される見取り演目となっていて八重垣姫は鎌倉三代記の時姫、祇園礼祭信仰記の雪姫と並び三姫と呼ばれ女形の大役となっています。
今回の十種香の内容としては将軍暗殺の責任を負って武田勝頼は切腹しますが、実は死んだと思っていた勝頼は実は悪家老が自分の息子を勝頼と偽っていた偽者で本物の勝頼は花作り簑作となって上杉家に潜入したという所から始まります。
 
配役一覧
 
八重垣姫…魁春
武田勝頼…門之助
白須賀六郎…松江
原小文治…男女蔵
腰元濡衣…孝太郎
長尾謙信…錦之助
 
戦前では五代目歌右衛門、戦後は養子の六代目歌右衛門がそれぞれ得意役として何度も演じるなど成駒屋のお家芸の一つとなっていて、特に明記されてませんが来月は六代目の二十年祭に当たる事からある意味追善を兼ねていると言っても差し支えない演目です。
 
五代目歌右衛門の八重垣姫
 
今回八重垣姫は六代目歌右衛門の養子である魁春が務めています。
そしてもう一つの注目が今回この演目に初出演にして初役で勝頼を勤める門之助です。
門之助と言えばうちのブログでも紹介しましたが六代目門之助は九代目一門の1人で歌舞伎座の技芸委員にまで登りつめた実力者でした。
しかし、門之助最後の筋書等で書いたように養子の男寅は紆余曲折を経て三代目市川左團次を襲名しました。
 
参考までに門之助最後の舞台の筋書
しかし、彼は養父の名跡である門之助が絶えたままになっているのを惜しみ何と当時三代目市川松蔦を名乗っていた当代の門之助の父を半ば強引に七代目門之助を襲名させて復活させました。
尤も復活させたとはいえ、先代の芸を継いでいる訳でもなく左團次亡き後は猿之助一座に身を寄せる等なまじ襲名してしまったが為に名跡に振り回されてしまった感がありました。
そして七代目門之助が急逝して間もなく八代目を襲名したのが彼となります。これまで主に脇役として父も出ていた三代目市川猿之助のスーパー歌舞伎に皆勤で出演する傍ら古典演目では例えば新版歌祭文では山家屋佐四郎、傾城反魂香では土佐将監の妻の北の方など立役、女形問わずあまり良い役は回って来ず脇の役を淡々と務めてきましたがそんな彼に転機が訪れたのが昨年末の南座の顔見世で本来出演予定が無かった彼でしたが初日直前に相模を務める予定だった片岡孝太郎が新型コロナウイルスに感染し急遽隔離期間が生じて代役が必要となり抜擢されました。そして孝太郎が復帰するや否や今度は片岡秀太郎が休場となり、急遽藤の方を代役で務める事となり結果的に千秋楽直前まで出演し、今まで演じた事がない大役2つを次々に務めて大いに名前を売りました。
今回の大抜擢も南座での貢献が反映されたと言えます。
 
そんな初役にも関わらず彼は今まで様々な演目で義経役を務める経験が多く縦長の役者栄えする顔立ちもあって気品溢れる勝頼をこれが初役かと疑いたくなる程しっくりはまっていました。
来月の三月大歌舞伎では本興業での藤の方を演じますが今回の勝頼を機に立役でも様々な役を演じて欲しいものです。
そして魁春の八重垣姫も年を経るに連れて姿や発声、台詞廻し等が益々養父歌右衛門に似てきていて竹本にも乗っての柱巻も品格十分と言えました。
彼もここ何年かは大役らしい大役はあまり務めておらず久しぶりの三姫とあって心なしか勝頼への恋に夢中になる八重垣姫同様に役へとのめり込んでいる様に伺えました。
そして代役への返礼なのか濡衣を孝太郎が務めています。女中役とあって抑えめの演じ方で八重垣姫を支えていて私が見た今回は八重垣姫が勝頼を見て興奮のあまり駆け寄る際に懐中に刺していた扇の要に付いてた紐がアクシデントで落ちたのですが孝太郎はこっそり回収するなど女中としての肚を忘れていないのが伺えました。
また、2人以外にも錦之助、松江、男女蔵など普段中々スポットライトが当たらないこれから歌舞伎を担っていく世代の役者が出演するなど非常に通好みの演目でした。
松江、男女蔵辺りも父親達(東蔵、左團次)があまりに元気なせいなのか全然注目されませんがそろそろきちんとした役を付けて育てて行くべきではないかと思います。
 
泥棒と若殿
 
そして二幕目の泥棒と若殿は樅の木は残ったで有名な作家の山本周五郎が書いた短編小説を歌舞伎化した物です。
内容は権力争いに巻き込まれ城から遠く離れた屋敷に半ば幽閉状態となっている松平成信の所へ不幸な身の上にムシャクシャして泥棒に入った人の好い伝九郎が出会った事により不思議な友情が芽生えそれまで権力に翻弄され自暴自棄になっていた成信が徐々に成長していくも父親の死により次期藩主となった事で伝九郎との切ない別れをする事になるという山本テイスト溢れる世話物系統(?)の演目となっています。
初演は昭和43年と50年以上前とかなり古く、伝九郎を五代目中村富十郎、成信を林成年(長谷川一夫の長男)が務めました。
何故歌舞伎とは縁の薄そうな山本の作品を歌舞伎化したかというとこれには当時の歌舞伎を取り巻く環境が原因でした。
昭和40年代は松竹が主力事業としていた映画が斜陽産業となりつつあり、それに代わる形でTVが台頭し始めていました。松竹は言わずもがな舞台物である歌舞伎もその急激な変化へと上手く対応する事が出来ず集客面においてかなりの苦戦を強いられていました。その為、見物の興味を引こうと従来の古典物に代わる新作を求めていたのでしたが大正時代の新歌舞伎の様な意欲的な新作を書いてくれる劇作者は三島由紀夫や船橋聖一、大佛次郎、北条秀司などの僅かな例外を除いて既におらず、その彼等も北条秀司と「珍説弓張月」を提供した三島を除いて昭和30年代には新作の提供を止めてTVへとシフトしていました。
そんな状況下にあった事から一から新作戯曲を作のではなく既成の作家の作品を手あたり次第歌舞伎化するという手法をとる事にしました。
その為、この時期の歌舞伎座では
 
・大宅壮一の炎は流れる(昭和40年)
 
・谷崎潤一郎の盲目物語(昭和40年)
 
・村上源三の源義経(昭和40年)
 
・山崎豊子の横堀川(昭和40年)
 
・水上勉の湖の琴(昭和41年)
 
・川端康成の舟遊女(昭和45年)
 
など様々な作家の小説が舞台化されていて泥棒と若殿もその内の1つでした。その為か昭和50年に1度再演された以外は全く上演される事無くいつしか忘れ去れていた演目となっていました。それを初演から40年近く経て復活したのが平成19年で十代目坂東三津五郎と今回も伝九郎を演じてる四代目尾上松緑により上演された事により好評となり巡業でも上演された程でした。
しかし、三津五郎が平成25年に死去した事で松緑は三津五郎との思い出があるこの演目を他の役者と演じる事を頑なに断っていて今回は三津五郎の実子である巳之助が若殿を演じる事もあって実現した経緯があります。
 
配役一覧
 
伝九郎…松緑
松平成信…巳之助
迎えの侍…男寅、左近
宝久左衛門…弘太郎
梶田重右衛門…亀鶴
鮫島平馬…亀蔵
 
今回巳之助が若殿になった事で役の年齢とも合う様になり初役にも関わらず権勢に翻弄され自暴自棄になっていながらも伝九郎との出会いにより徐々に変化していき「市井に生きる人々に悪人はいない」の台詞なども不自然さはなく最後は次期藩主としての責任を自覚して別れる若殿を等身大のま違和感なく演じれています。
また伝九郎を演じた松緑も3回目とあってすっかり手慣れていて成信の名前を訊く下りでは「タダのノブ…、佐藤忠信か」と言ったのに続いて「オレは見たこともやったこともねえけどな」とは入れ事を入れて見物も思わず笑いが起こり、最後の別れの際にはすすり泣きをさせる等、すっかり見物を掌に転がす様に演じています。役同様に巳之助の成長を見守るかの様な演技もあり非常に良かったです。
また、前月に続き非常事態宣言下の中での興業とあって基本的に舞台転換の不要な演目が並ぶ中で泥棒と若殿では最後に舞台が廻り表玄関の場に移り、久しぶりに舞台が転換するのを見るとああ、歌舞伎だなと思わず嬉しく感じた事も書かせてもらいます。
 
今回の二月大歌舞伎は孝玉が久しぶりに共演する第二部や十七代目勘三郎追善の第三部にどうしても注目が行きがちですが第一部も丸本物と世話物テイストの新作歌舞伎と異色の組み合わせではありますが決してひけを取る内容ではないので15,000円の価格が高く感じる方は自分が見た三階席はまだ空いているので時間が空いてれば観るのをオススメします。