明治44年10月 市村座 改築新開場 | 栢莚の徒然なるままに

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今回は再び市村座の筋書を紹介したいと思います。

 

明治44年10月 市村座

 

演目:

一、関白秀次        
二、花見座頭        
三、玆江戸小腕達引        
四、笹本家        
 

改築新開場を迎えた市村座の筋書です。

帝国劇場が開場しいよいよ三座鼎立の時代を迎えた市村座ですが、一人も帝国劇場への移籍者を出す事無く団結し独自の道を歩み始めていました。ところがこの10月公演が始まる前に東京の歌舞伎界は蜂の巣をつついたような大騒ぎとなっていました。

それは三座の内の一つ新富座を擁する松竹が田村成義の本拠地歌舞伎座を買収したという事件が起きたからです。

順を追って話すと明治42年の大河内輝剛の死去から始まります。大河内の死後、暫定的に岡本貞烋という実業家が社長代理に就任しましたが事実上のお飾り状態で実務は田村成義が掌握していました。

 

しかし、岡本を始め他の株主たちは大河内と違って芝居そのものに興味は無く大河内との付き合いで投資したに過ぎない上に全員が慶應義塾出身の実業家で多くの大物慶応OBが関与する言わば身内が多い帝国劇場とは闘いづらい状態にありました。そこに来て帝国劇場開場の余波をモロに食らってここ何ヶ月か赤字が続いた事が直接的原因となって株を手放す決心をしていました。

そこで何処からとなく情報を聞きつけた松竹が買い取る話をまとめて過半数の株式を取得しました。

それを聴いた田村は激昂し、芝翫などの協力を仰いで今でも民法に存在する「売主は手付金の2倍の金額を買主に支払えば、契約を解除できる」という手付倍返しという項目を使い株を取り戻す事に成功しました。

これにより松竹は歌舞伎座獲得こそ失敗しましたが、この時潔く諦めて芝翫が拠出した分について「この(手付)倍返しの1万5千円は俳優諸氏から出たそうですがこれを受けては俳優をいじめるように思われて心苦しい。断じてこの金を受け取る事はできません」と返金した事でこれまで風当たりの強かった松竹への見方が変わり、田村成義も今まで「関西の贅六」と内心侮っていた松竹の本気度を垣間見た事で侮れないと感じたのかこの一件以降はそれまでの敵対路線から一転して融和路線に方向転換し2年後の大正2年の歌舞伎座買収に繋がる事になります。

さて話を元に戻すとそんな大騒動明け直後に開かれたのがこの市村座の公演でした。(歌舞伎座、帝国劇場は共に11月に公演開始でした)

 

主な配役一覧

関白秀次

豊臣秀次…菊五郎

木村常陸之助…吉右衛門

河村数馬…三津五郎

福島正則…榮三郎

石田三成…勘彌

前田利家…駒助

淀君…岩井粂三郎(死後、九代目岩井半四郎を追贈)

木食上人…歌六


花見座頭

猿曳水無作…菊五郎

卯月左衛門…吉右衛門

八橋勾当…三津五郎

太郎冠者…榮三郎

侍女弥生…粂三郎

侍女如月…米吉

        
玆江戸小腕達引

腕の喜三郎…吉右衛門

幻長蔵…菊五郎

前髪佐吉…三津五郎

放駒四郎兵衛…榮三郎

曙源太…勘彌

お磯…芙雀

大島一逸…新十郎

神崎甚内…中村歌六   

    
笹本家

村越啓三…菊五郎

峰村正猛…吉右衛門

芸者おえん…芙雀

小山文一…榮三郎

 

この大騒動で田村も10万円(現在の貨幣価値に換算して約3億2千万円)もの大金を歌舞伎座の株式取得に費やした上に歌舞伎座は新築洋風の帝国劇場に対抗してこれまた大金をかけてに改装し、更には11月に杮落し公演に芝翫改め五代目中村歌右衛門襲名披露公演も控えている事もあり、今回の市村座に全くお金をかける事が出来ない状態でした。

なのにタイトルにもある様に改築新開場が出来たかというと歌舞伎座改築に伴い余った内装一式や照明、天井などを市村座に全て移築したからです。これは何も改築費用をケチっただけではなく、第一期歌舞伎座の内装を全て持って来る事で観客にまるで歌舞伎座にいるかの様な高揚感を錯覚させるデジャブ効果を狙っていたようです。

今回の演目にもその影響があったのか舞台装置にそこまでお金を掛けずに済む新作2つにこれまたお金のかからない狂言の猿座頭を歌舞伎に置き換えた花見座頭、唯一の旧作は黙阿彌作の腕の喜三郎という実に金欠シンプルな内容になりました。

 

関白秀次の菊五郎

 

一番目の関白秀次はその名の通り豊臣秀次が讒言から切腹に追い込まれるまでを描いた作品で秀次を菊五郎が演じていて徐々に暗転していく運命を抑えた演技と新歌舞伎を意識した台詞廻しなどが上手く、通り一辺倒のストーリーにも関わらず見物から好評だったそうです。

六代目菊五郎と言えば春興鏡獅子高坏、後述する身替座禅棒しばりなど舞踊の演目では新作を数多く演じましたが、舞踊以外となると後世に残ったのは大正末期に演じた坂崎出羽守と昭和に入ってから演じた巷談宵宮雨一本刀土俵入、刺青奇偶などがあるくらいで歴史物の新作はがあまり得意ではないかと思われますが、この評価を見る限り歴史物の新作も行けるクチだったのが分かります。

 

二番目の花見座頭は演劇評論家で有名な川尻清潭が補綴しています。

菊五郎と三津五郎のコンビは今回も素晴らしかったらしくその時の舞台写真も残っています。

 

中幕の玆江戸小腕達引では初役の腕の喜三郎を吉右衛門が務めました。

実在する隻腕の侠客の伝説を基に黙阿弥が四代目市川小團次の為に書き下ろした世話物狂言であるこの演目は本来なら菊五郎が演じても不思議ではないですが田村は敢えて吉右衛門に演じさせたのがポイントで時代物だけに拘らずこうした世話物の演目も演じさせて役の範疇を広げさせた事により後の極付幡随長兵衛などの世話物の得意役に繋がる事になります。

この舞台を観劇した熱狂的な吉右衛門の支持者である小宮豊隆が新小説に寄稿した文章でこの時について触れていて

 

苦痛と大歓喜と動乱とを表すために、余りに形を崩し過ぎ、かえって効果を弱めた傾きはあった

 

と書いていて理知的な小宮には演出過剰に見えたそうですが他の劇評では

 

吉右衛門の喜三郎は力のあるきっぱりとした調子が良い

 

と立ち廻りも含めて概ね好評価されており、神崎甚内を務めた歌六と共に初役としては成功だったようです。

その為この後も再演しており、名優二代目中村又五郎の初舞台もこの演目でした。

 

吉右衛門の腕の喜三郎

 

そして大切の笹本家は後に市村座の座付作家に加えて顧問、代表者も兼任した岡本柿紅が書き下ろした新派物の喜劇です。

岡村柿紅といえば現在においても音羽屋のお家芸として頻繁に上演される棒しばりと身替座禅の作者としてつとに有名ですが中にはこんな作品も書いていました。

話としては小山文一という人が伯父の峰村正猛に「近々男爵の令嬢の婿になる」と嘘をついていた所、峰村がすっかり信じ込んでしまい上京して挨拶に伺う所から始まって慌てて小山が待合茶屋であった笹本家(ささもとや)を男爵笹本家(ささもとけ)に仕立て上げ、従業員や友人を華族に見せかけて叔父の目をごまかそうとして巻き起こる滑稽劇…という感じで後に一時代を築く菊吉が演じているとは俄に信じがたい作品です。

しかも劇評を見ると峰村正猛演じる吉右衛門の堅物な性格の人が次第に酔いだして終いには踊り出すコミカルな演技が見物の爆笑を誘うほど面白かったらしく堅物のイメージがある吉右衛門の意外な才能が発揮されたそうです。

 

笹野家(左)と玆江戸小腕達引(右)

 

菊五郎の歴史物の新作といい、吉右衛門の喜劇といい菊五郎=世話物、吉右衛門=時代物という固定観念が強い今の我々では想像もできないような演目が演じていている所が若手時代だった市村座ならではの特徴と言えます。

市村座についてはこの後も何冊か持っていますのでまた紹介したいと思います。