明治25年1月 中座 石田局初演 | 栢莚の徒然なるままに

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今回紹介するのは2年前に手に入れた大変珍しい筋書(?)です。

 

明治25年1月 中座

演目:
一、菊合朝日盃               
二、石田局        
三、男作意気地野晒

 

明治25年1月の中座の絵尽(絵本番付)になります。

上方歌舞伎は江戸歌舞伎とは異なり何故か筋書の類が江戸時代からあまり発行されず、

専ら役割番付がその役割を担っていました。

調べたらどうやら明治中期になるとようやく筋書が発行されますがどうも定期的に発行された物ではない上に

筋書といっても

 

筋書だけ

番付と筋書だけの物

場面ごとの絵に筋書が乗る物

 

などがあるなど統一性もないらしく謎に包まれています。

そして暫く空白期間があり私が知る限り再び筋書が出るのは松竹が進出してきてからとなります。

一方で今回紹介するのは絵本番付という配役表となります。(前回の歌舞伎座の筋書もこれに当たります)

 

東京の劇場の絵本番付は基本白黒なのに対してこの頃の大阪の絵本番付はご覧の通り表紙はカラー付きと豪華な仕様になっています。

こちらは筋書が姿を消した後も発行され明治28年辺りまでは発行が確認されていますがやがて姿を消しました。

後に松竹が進出してくると中身が東京風に変わるものの東京の絵本筋書が大正時代に絶滅したのに対して何と昭和初期まで再び発行され続けるようになります。

 

さて説明が長くなりましたがこの時の出演している役者は以下の様になります。


有名な役者を列挙すると

・三代目片岡我當(十一代目片岡仁左衛門)一門

・二代目尾上幸蔵

・四代目市川市蔵

・三代目片岡市蔵

・三代目片岡亀蔵(四代目片岡市蔵)

・四代目澤村源平(七代目澤村宗十郎)

・四代目澤村田之助

・初代實川延之助(二代目実川延若)

 

となります。

当時中座を拠点にしていた我當、片岡市蔵、市川市蔵、源平、田之助、延二郎に東京からゲストで幸蔵が加わる形となります。

只でさえ腕利きの役者が揃っているのにわざわざ東京から幸蔵をゲストに呼んでいますが、

これは同月の角座において初代中村鴈治郎が初役で仮名手本忠臣蔵の大星由良之助他四役を演じる事になっており、それに対抗する為だと思われます。

 

絵の部分

服に書いてある家紋でどの役者がどの役なのかを示してます。

 

この中で注目するのは片岡十二集の1つに選定されてる石田局です。

所謂五右衛門物の一つでこの時が初演の演目です。

仁左衛門の石田局に幸蔵が真柴久次を務めています。

今でも頻繁に上演される楼門五三桐と違ってあまり耳にしない演目ですが、

元々七代目仁左衛門が上演した艶競石川染という演目を書き直したらしく原作では石川五右衛門は出るわ、淀君は出るわ、劇中劇で能の熊野が出るわと物語が二転三転するなど見どころ盛沢山の作品ですがこの時は五右衛門も淀君も出ず後半の聚楽第の久次乱心の場と謀反を企む石田局が自分の娘を囮にして能舞台で熊野を舞いながら暗殺を企む能舞台の場だけが上演されたようです。

 

初演の時ですら原作から見るとかなり省略されてますが、それでも上演に2時間余りかかる大作だったらしく、

我當は明治40年1月の角座の仁左衛門襲名公演の時に再び演じたのを最後に演じることはありませんでした。

その後は大正5年1月に市村座で初代中村吉右衛門が五右衛門と二役で楼門五三桐をくっ付けて上演しています。


大正5年1月の市村座の筋書


この時久次は十三代目守田勘彌、淀君も出て四代目河原崎国太郎が務めてます。

そして昭和10年1月中座の襲名披露と4月の地方巡業で三代目中村梅玉が能舞台の場のみ演じたのを最後に途絶えてしましました。

この時は秀次を中村魁車が務めています。

 

偶然にも私は明治25年・大正5年・昭和10年それぞれの筋書を持ってました。

 

梅玉襲名披露の時は前所有者が新聞の切り抜きを貼り付けていて貴重な舞台写真が写っています。

 

しかし近年になって片岡一門の六代目片岡愛之助が様々な五右衛門物の演目をアレンジして「GOEMON」という外題で何回も上演していますがその中に話こそかなり変わってますがこの石田局のくだりも入っており事実上78年ぶりに復活し今も上演される演目になりました。

 

この時の鴈治郎Vs我當の勝敗がどうなったのかは当時の資料にも明確に書いては無いですが、角座が通常通りの公演だったのに対してこちらの中座は日延べしている事から見るに我當の方に軍配が上がった模様です。

当時大阪の歌舞伎界の人気を二分する鴈仁2人のバチバチした様子の一端が伺える筋書でした。