地質・地理と文化 ージオサイト巡りの旅-

地質・地理と文化 ージオサイト巡りの旅-

おもに近畿・中国・四国地方を中心に
地質・地形と文化の関係、訪れたジオサイトなどを紹介します
思い出しながら書いているので、記事の日付が前後することがあります

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石灰岩地域では地表の石灰岩が二酸化炭素を含んだ水に溶け、割れ目などに沿って地下へ流れていくことでドリーネと呼ばれる凹みができます。よく知られているのは山口県の秋吉台で、ここを含めた美祢市全体が「Mine秋吉台ジオパーク」として日本ジオパークに認定されています。

 岡山県新見市の阿哲台も秋吉台ほど大規模ではないものの多くのドリーネがあります。そしてここの特徴はその多くが暮らしの場となっていること。その一つが井倉野の集落です。

 下の図は国土地理院による地理院地図(電子国土web)で赤色立体地図と標準地図を構成したものです。これ見てわかるように、この地域の中央部に凹みがあり、そこに集落があります。

 

現地へ行ってみると、凹みの底の部分に何軒かの家があることがわかります。写真は東側から見たものです。訪問したのは1年以上前の、2022年1月24日でした。

 

周囲を歩いていたら桃の木を選定している方がおられたので少し話を伺いました。それによると、ここの土壌は石灰岩地特有の赤土で水はけが良く桃の生育に良いとのこと。大雨が降ってもドリーネ内の集落は水に浸かることはないこと。そして何より印象に残ったのは、この地域の人たちは結束が強く、一度都会へ出ても必ず戻ってくるということ。この地形ならではのことかもしれません。

 

 

ドリーネの中には小さな用水路があり、田んぼもあります。

 

この地域のドリーネが下の図のように陥没でできたものだと人が住むことはできません

 

ドリーネの中に住めるのは下の図のように、地表の石灰岩を溶かした水が吸い込み口を通って横方向に流れるタイプのドリーネで、真下には鍾乳洞が無いためと考えられます。


 

阿哲台には他にもドリーネ内の集落や畑が多くあり、石灰岩地域と密接に生活していることが大きな特徴となっています。

 

 

 

岡山県新見市では11月7日から羅生門ガイド養成講座が始まりました。これは、現在立ち入り禁止となっている羅生門内部に、ガイド付きでのみ入ることができるようにしようという計画の一環です。お客さんに羅生門の素晴らしさを体感し、地域を知っていただけるガイドを養成しようとするもので、その講師の一人として私も関わることになりました。

 

国の天然記念物「羅生門」

石灰岩の台地「阿哲台」にある羅生門(新見市草間)は、もともとあった鍾乳洞の天井が陥没し、その一部が天然の橋となって残ったもので、国の天然記念物(1930年指定)となっています。駐車場も整備され、遊歩道から階段を下りて近くで見上げると、高さ38mの洞門は見る人を圧倒します。また車いすや足の悪い人は遊歩道から見ることもできます。

 この洞門の景観だけでなく、そこまでの遊歩道の各所に現れる石灰岩の形や地形を見たり、夏にはヒメボタルの乱舞する姿を見ることもできます。

 

立ち入り禁止となっている羅生門

実は通常見ることができるのは羅生門のうち最も手前にあって、最も大きい第1門と呼ばれているものだけです。この先には第2門・大3門・第4門と続いているのですが、現在は立ち入り禁止となっているのです。その理由は落石などの危険があることと足元が悪いことです。

立ち入り禁止にはもう一つ理由があります。

羅生門は日本蘚苔類学会が認定した全国29カ所ある「日本の貴重なコケの森」に選ばれた場所なのです。ここには160種以上のコケ植物が存在し、その中には絶滅危惧種も多く含まれています。

来訪者の靴底についた泥によって外来の植物が移入しないように、また間違ってコケを踏み付けたりしないように、遊歩道を整備したりすることが必要となります。

 

ガイド養成講座の開始

とはいえ、いつまでも立ち入り禁止にしておくのはもったいない話です。これらを見て羅生門の自然や歴史を知り、さらに地域全体の成り立ちや環境に想いを馳せていただくことは大切なことです。しかしながら無制限に人が入ることは環境に対して決して良いことではありません。また、その場所の本当の素晴らしさは、ただ入って見て来るだけで簡単に伝わるものでもありません。

 そこで「ガイドど同伴でのみ、ヘルメット着用で入ろう」ということになり、そのためのガイド養成講座受講生を募集したところ、20名の方に応募いただきました。

 その初日は11月7日にあり、午前中は羅生門近くの建物に集まりオリエンテーション後、私が現地を案内しガイドのポイントなどを伝えました。この場所が新見市でのガイド事業の始まりの地となります。

 

 そして午後は草間公民館に移動し、オンラインで山陰海岸ジオパークの今井ひろこさん(NPOたじま海の学校)による「伝わるガイド手法」と「リスクマネジメント」の2本立て。ちょっとしたワークを交えた軽妙な講義で皆さん熱心に参加されていました。ただ、オンラインだからなのかまだ馴染めていないのか、質問が出なかったのが残念でしたが、今井さんとは直接お会いする機会もあるので、その時色々話をしていただければと思います。

今後7コマの養成講座と自由参加の5講座がおこなわれ、来年3月にはガイド実践をしたのち、初代の新見市認定ガイドが誕生する予定です。

 

 

 

6月23日、久しぶりに神戸市東灘区の住吉川流域に行ってきました。

ここは1938年7月5日の阪神大水害で特に土石流被害が大きかったところ。阪神大水害80年行事実行委員会制作の阪神大水害デジタルアーカイブを見ると、特に住吉川流域で大きな岩石が流されてきているのがわかります。そしてその名残りは現在も各地に見られます。

 

阪神大水害の石碑

六甲山麓では各地に当時の水害の記憶を残す石碑があります。その多くは実際にその時流されてきた岩石が利用され、その中でよく知られているものの一つに住吉学園に設置されている碑があります。

この巨岩は阪神大水害後、この高さにあったのをそのまま残したものです。言い換えると、この巨岩のところまで土砂で埋まっていたことになります。土石流で流れる泥水は通常の水より比重が大きいので、このような巨岩でも浮き上がって流れるます。

 

また、大きさの違う粒子が集まった部分が動くと、大きな粒子が浮き上がることが知られていて、ブラジルナッツ効果(1) とよばれています。同じようなことは土石流にもあり、土石流堆積物の上部に巨岩が集まるのはそのためだと考えられています。下の写真は住吉川ではなく芦屋市になりますが、工事中に出た過去の土石流堆積物です。下の方に細かい砂礫があって、その上に大きな石があるのがわかります。

 

もう一つよく知られている石碑に水災紀念の碑があります。住吉台の道路際にあり、台座にはその時達した最高水位が刻まれています。

 

ここで驚くのは、住吉川の河床との高度差です。はるか下を流れ、水量もそれほどではないように見える川の水が一気に増え、ここまで達しました。六甲山麓にはそれほど大きな河川はありませんが、一つの川に流れる枝沢が多く、大雨の時には一気に水量が増します。

 

街の中に見られる土石流の岩石

JR住吉駅を降りて周辺を歩くと、特に川沿いの公園や道端に当たり前のように石が置かれています。それらは角が丸くなっていて、土石流で運ばれてきた岩石であることがわかります。中にはそれらがベンチとなったり、加工されていることもあります。

 

六甲山麓の建物の特徴は、石垣が四角く切った石ではなく、丸みのある自然石でできていること。これらも実は土石流で運ばれてきた岩石で、いくつかは阪神大水害の時のものであることがわかっています。

 

土石流がもたらした石材

六甲山地は古くから花崗岩の産地で、それらは御影の浜から各地

に運ばれたことから「御影石」と呼ばれていました。花崗岩石材の代名詞のように使われている「御影石」ですが、現在の六甲山地には採石場はありません。唯一残っているのが住吉川上流にある石丁場で、ここでは谷に落ちている岩石を集めて加工しています。これもはふもとまで流れず、たまたま途中で泊まっていた岩石であり、ある意味土石流の遺物を利用していると言えます。 もしかしたら、昔この地域が「御影石」で知られるようになった背景には、このような土石流が関係していたかもしれません。

 

このように見てくると、この地域のあらゆるところに土石流の災害遺物があり、人々は毎日それを見て過ごしていることがわかります。災害をただ恐れるのではなく、それらを使ってきた歴史を振り返ること。同時にこれからも災害の危険をはらんだ地域で生活していることを、これらの石は伝えてくれます。

 

(1) ブラジルナッツ効果: 私はブラジルナッツを見たことが無いのでよくわかりませんが、長径2~3㎝ある大きな実のようです。それを含んだミックスナッツの容器を揺らすと一番大きなブラジルナッツが表面に浮き上がってくることから、同様の現象を「ブラジルナッツ効果」と呼んでいます。