以前職場で「青森へ行ってきました」とお土産を配る同僚がいた。真冬の最中で、
「よくぞご無事で」と心の中で思い、自分を笑ってしまった。
前日、この映画を観たばかりだった。
263回目は
「八甲田山」
八甲田山での雪中行軍遭難事件を扱った物語。
新田次郎氏の「八甲田山死の彷徨」が原作。「動乱」、「海峡」の森谷司郎監督。
1977年公開。
明治34年10月、弘前第八師団の第四旅団本部で会議が開かれる。日露戦争を見据えての、雪中行軍演習を行う話し合いである。極寒の地でも戦う対策のためである。そのため積雪量の多い八甲田山系での行軍が考えられたのである。
弘前歩兵第三十一連隊と青森歩兵第五連隊が、八甲田山中で出会う計画であった。
翌年、明治35年1月20日、第三十一連隊は出発。中隊長は徳島大尉(高倉健)。10泊、総距離240㎞、少数精鋭27名の隊員。
一方、第五連隊は、1月23日出発、中隊長は神田大尉(北大路欣也)。大隊長の山田(三國連太郎)も参加。青森から八甲田を目指す3日間の行程で、人数は210名となった。ソリで物資を運ばねばならず、それも山道をだ。
第三十一連隊は案内人の娘(秋吉久美子)を雇い、計画通りに行軍。
「三本木」に到着した。第五連隊もその予定であったが到着せず。
第五連隊の雪中行軍は困難を極めていた。
案内人も雇わず悪天候続き。大隊長山田が勝手に指揮を執るなど困難がふりかかる。
方向がわからなくなる。ホワイトアウト。帰営を決めるも、方向が分かったとまた行軍を始めるが、猛吹雪の中、迷ったも同然であった。
神田の言葉、「天は我々を見放した」・・・・・・。
あまりにも有名な作品。
高倉健さん率いる部隊と、北大路欣也さん率いる部隊との大きな違い。それを過酷な猛吹雪の中で描き出す。徳島の圧倒的なリーダーシップに対して、大隊長に物申せない神田との対比。
防寒着に凍りつく雪の塊、身に染みてくる寒さ、バタバタと倒れてゆく隊員たち、気が狂う者・・・。
第五連隊は12名しか生還出来ず、その後2名死去。大隊長は責任をとって自決。
何のための行軍だったのか・・・。そして、日露戦争へと向かう。
現在のようにCGで作ってしまう時代ではないし、撮影は木村大作氏。
猛吹雪の中の撮影は本当に過酷だったと思う。
3時間近い作品。吹雪の光景と、芥川也寸志氏のテーマ曲が見終わっても頭にこびりついている。
しかし徳島の子供の頃の思い出、美しい青森の風景や風物詩が描かれ、涙が溢れた。
自然は舐めてかかってはいけない。そして、強いリーダーシップは必要とつくづく思う。
当時大ヒットしたらしいが、本物を観たいと誰もが思うのであると心から感じる作品である。今は亡き方々が多いが、豪華キャストである。
☆☆☆☆★4.25です。
余談であるが、足を痛めてしまい、観たかった新作映画も行けずじまい。と同時に中々ブログを書く気力もわかず、間が空いてしまう。分かっているけど元気が一番だなぁ。まあ、書ける時にぼちぼちと。
じゃ、また![]()


































































