昔、日本でも沢山の人々が、色々な事情から日本各地を開拓したり、南米へ渡ったりした。広大なアメリカへは、果てしない夢があっただろう。

 

222回目は

「遥かなる大地へ」

 

 アイルランドから米、オクラホマ州の開拓地を求め渡った男女の物語。

当時結婚していたトム・クルーズと、ニコール・キッドマンの共演。

「アポロ13」、「ダ・ヴィンチ・コード」等のロン・ハワード監督。1992年公開。

 

 1892年、西アイルランド、小作人は代々搾取と貧困に苦しみ、不当な小作料や追立に耐えてきた。

 

 やがて地主達に反抗を始める。地主の一人が銃を発砲し、ジョセフ・ドネリー(トム・クルーズ)の父親に当たり、なんと家も焼き払われる炎 ジョセフに「土地を持て」と言い残して父は亡くなる。

 

 ジョセフは地主のクリスティ(ロバート・プロスキー)殺害を決意する。しかし、途中立ち寄った酒場で出会ったクリスティは、小作人とも打ち解ける陽気な人物だった笑い

それでも地主の館に忍び込むと、娘のシャノン(ニコール・キッドマン)に鍬で刺されたり、持って来た銃が暴発ハッしたりして、ジョセフは負傷する。

 

 手当てを受けるジョセフ(普通追い出されると思うのだが)。

シャノンは階級社会に嫌気がさしており、米に渡るため家出を計画していた。しかし、女一人では・・・。

 

 小作人を苦しめていたのは実は、財務を任されていたスティーブン(トーマス・ギブソン)。ジョセフとスティーブンは銃で決闘という場になるが(唐突でなぜ?)霧が濃く、その隙にシャノンが馬車にジョセフを引っ張り上げ、米行きを決行!

 

 ボストンに着くが、金を盗まれるシャノンもやもや 配られる土地は無料だが千キロ先のオクラホマ州。その資金を稼がねばならない。

兄妹として宿を借り、二人で鶏を捌く仕事につくが割に合わず、ジョセフはボクシング試合で稼ぐ。めっぽう強いジョセフグー

 

 アイルランドのクリスティの館は小作人達の恨みにより焼き払われ炎 クリスティ夫妻とスティーブンは娘のシャノンを追って米へ向かう。

 

 次第に惹かれ合うジョセフとシャノン。しかしジョセフはここぞという試合に負けてしまい、追放!宿も追い出され、雪の降る中寒くて二人で留守宅の屋敷に忍び込んだが、住人が戻って来てシャノンは銃で撃たれてしまう。

シャノンは彼女の両親に託すしかなく、別れる。

 

 ジョセフは働き、8ヶ月後、オクラホマの土地の獲得レースに参加する。シャノンも両親、スティーブンと来ており再会。

そして、幌馬車や乗馬で我先に走り、気にいった土地に旗を立てるレースが始まったのだった・・・。

 

 

 4年程前にTV放送を録画したものを、今回初めて観た。概要は知っていたが予想と違っていた。

題名のイメージからもっと叙事詩的な雄大さを想像していたが、ご都合主義や笑わせようとしている部分が見えてしまう。不必要と思われるところも。

 

 レースのシーンは結構迫力があり、暴れ馬に乗るトム・クルーズの身体能力は流石というところ馬

 

 フロンティア精神をもっと感じられるように描いて欲しかった。ま、そこへ辿り着くまでの話だから仕方ないか。

 

 二人共若くて綺麗だったねキラキラ

 

☆3.75です。

 

 じゃ、またバイバイ

 

 

 

 コーダ(CODA)とは、Children of Deaf Adultsの事。耳が聞こえない親を持つ子供を言う。

 

221回目は

「コーダ あいのうた」

 

 耳が聴こえない家族の中でただ一人聴こえる、少女の現実と夢の葛藤の話。

シアン・ヘダー監督。2021年公開。

 

 米、マサチューセッツ州、グロスターに住むルビー(エミリア・ジョーンズ)は女子高校生。

早朝に起き、父フランク(トロイ・コッツァー)、兄レオ(ダニエル・デュラント)の漁うお座 を手伝う。母ジャッキー(マーリー・マトリン)を加え4人家族だが、父母、兄は聴覚障害者、ルビーだけが健聴者だった。

漁をするには必ず1人、耳の聴こえる者が乗っていないといけないため、ルビーはいつもサポートしていた。

 

 一家は明るい笑い 街の中でも有名だった。手話で語り合い、ルビーが皆の耳となっていた。

 

 ルビーは合唱部への入部を決めた。歌うことが大好きだった音譜 そして、想いを寄せるマイルズ(フェルディア・ウォルシュ=ピーロ)がいたからだった。

 

 家族の中で育ったルビーは「言葉が変だ」と言われた事があり、物怖じしてしまう汗

そんなルビーに顧問のV先生(エウヘニオ・デルベス)は、「上手い下手ではない、何が伝えられるかだ」と説く。

V先生はルビーの歌の才能に気付く。発表会ではマイルズと組ませる事にする。

 

 そして、ボストンのバークリー音大への進学を勧めるのだった。

 

 漁師達は魚の値が下がり不満が募っていた。フランクとレオはルビーに手話を介してもらいながら訴える。

 

 結果、漁師協同組合を立ち上げ、自ら魚を売る事に。仲間も一緒になって。

しかし、ルビーの負担も大きくなる。

 

 V先生の家で受けていたレッスンにも遅刻する。苛立つV先生もやもや

歌の道へ進みたいと家族に打ち明けるルビー。しかしルビーなしでは、一家は成り立たないのだ。

 

 翌日、ルビーは漁に同行するのを放棄した。そして運悪くその日は監視員が乗船。

2人の耳が聴こえない事がわかり、警察に通報されてしまうガーン

漁を続けるためには、健聴者の同行と罰金の支払いを求められる。

ルビーは、進学は出来ないとあきらめるのであった・・・。

 

 

 

 家族の中で自分だけ耳が聴こえる。そして皆の耳にならなければならない。どれだけ負担が大きいだろう。自分の夢は諦め、一生家族のために尽くさなければならないのかと、苦悩するだろうもやもや

 

 しかし物語は終始明るかった。兄のレオが妹の気持ちを押し、父のフランクは娘が歌う喉に手を当てその響きを感じる。母は発表会のために真っ赤なドレスをプレゼント。

 

 その発表会の途中、無音状態になる。そう、家族には周りの様子で皆の感動は分かっても、これが現実なんだと突きつけられる。

 

 あえて無音を描いた事が心に刺さった。

 

 結局、音大の試験を受けに行き、ルビーは家族の前で手話を交えて「青春の光と影」を歌う。そのシーンには涙。

 

 そして合格。未来が開かれるキラキラ

ルビーに頼り切りだった家族が今後、どうするのかという疑問は残ったが。

 

 父、母、兄役の3人は、本当に聴覚障害者の俳優さんだった。それを知らずに観たのだが、だからリアルさを感じたのだと思った。

ルビー役のエミリア・ジョーンズはとてもキュートだが、歌に手話そして難しい役どころを演じ切ったと思う。

 

 温かい家族の物語だった。幸あれと思う。

 

星星星星です。

 

 じゃ、またバイバイ

 

 

 

 梅雨に入る前の黄金色に実った麦畑が、タイトルから目の前に広がる。

 

220回目は

「麥 秋(麦秋)」

 

 今やもう、死語になりつつある適齢期を過ぎた娘の結婚話に一喜一憂する家族の物語。

小津安二郎監督。1951年公開。モノクロ映画。ネタバレです。

 

 北鎌倉で暮らす三世代家族の間宮家。父周吉(菅井一郎さん)、母志げ(東山千栄子さん)、長男で医師の康一(笠智衆さん)、その妻史子(三宅邦子さん)、その夫婦の子供男の子二人、そして、長女でOLの紀子(原節子さん)で暮らしていた。

 

 紀子は親友のアヤ(淡島千景さん)とともに、独身である事を気にもとめていなかった。

  アヤ     紀子

 

 ある日、周吉の兄、茂吉(高堂國典さん)がやって来る。周吉夫婦に、大和(奈良県)で隠居しようと誘う。

茂吉 

 

 その頃紀子は上司の佐竹(佐野周二さん)に縁談を持ちかけられる。商社に勤め、実家は四国の旧家の次男らしい。

佐竹

 

 話は進む様だったが、相手は40歳あることに家族は引っかかる。しかし贅沢は言えない。紀子も28歳だ。

 

 康一の同僚の医師に矢部(二本柳寛さん)という男がいた。間宮家の戦死した次男省二の友人で、妻を亡くし、一人娘がいた。

その母、たみ(杉村春子さん)は間宮家とも交流があり、息子が再婚出来ればと思っていた。

 

 その矢部が秋田へ転勤する事になり、出発の前夜、紀子はあいさつに、たみの家を訪れる。たみから「あなたの様な人を息子の嫁に欲しかった」と言われ、紀子は咄嗟に「あたしで良かったら」と申し出る。

たみは大喜びだが、帰って来た息子は戸惑うばかり。

              たみ  

 

            矢部

 

 間宮家の面々は、佐竹からの縁談話はどうするのかと、あまりの急展開にビックリするのであった・・・。

紀子は決めたことと言って譲らず、家族も従うしかなかった。

 

 三世代同居していた間宮家だが、それを機に周吉夫婦は大和へ行く。最後に家族写真を撮る。

 

 大和、周吉夫婦がお茶を飲みながら外を眺めると、実った麦畑が広がり、風になびいていた・・・。

 

 

 先日2023年の出生率が発表されたが、毎年下落、東京は0.99と一人にも満たない。

結婚しない人が増えているし、色々な要因が重なり、子供を生んで育てていく環境も厳しい。昔は、独身の人がいると世話を焼く人がいたが、現代では余計なお世話だ。

この映画の時代、28歳で行き遅れ、男も40歳で年と言われてしまうとは・・・汗

 

 それはさておき、この作品の様に「サザエさん」的な、家族が多くて、互いの事を気にかけ、きちんと挨拶をし、子供が子供らしくて、失われつつある日本の家族の良さが、私の幼い頃まではあったなぁと思った。

今や個人の自由が当たり前の時代、若い人がこの作品を観て果たして、理解できるのかと思った。

 

 戦死した息子を思う母志げの悲しげな表情には涙、いつでも自然体で上手いと感じるたみの杉村春子さんの佇まい、父を演じていたかと思えばこの作品では兄の笠智衆さんの存在感、そして紀子の原節子さんの美しさと意思の強さ、まさに小津安二郎ワールドであった。

 

 ま、強いて言えば紀子の「結婚します」が、あまりに唐突で、は?と思う節もあるが、これは家族の変化の物語。秋を迎えた話なんだとつくづく思った。

 

 時にクスッと笑え、ジーンと心に響く作品だ。

 

☆3.75です。

 

 じゃ、またバイバイ

 

 

 

 

 

 

 

 

           

 

  

     

 飛行機に乗らなければ遠いところへは行けない。だから乗るが、本当はあまり乗りたくない私。離着陸時には必ず手に汗が滲む汗自動車事故よりも、圧倒的に少ない確率と言われても、あの大きな機体が持ち上がる事自体が信じられない。

 

219回目は

「ハドソン川の奇跡」

 あの記憶に新しい、奇跡的に川へ不時着水した飛行機事故の話。

監督は、クリント・イーストウッド。2016年公開。

 

 2009年1月15日、USエアウェイズ1549便は、ラガーディア空港からシャーロット空港へ向かって離陸✈

機長はチェスリー・サレンバーガー(トム・ハンクス)、通称サリー、元米空軍のパイロットだった。副操縦士はジェフ・スカイルズ(アーロン・エッカート)。

 

 離陸後間もなく鳥の群れに衝突し、二つのエンジンは機能不全にガーン 推力は喪失し、滑空しているだけの状態だ。最も近い空港へたどり着く間に、街中に墜落する。

 

 サリーは、ハドソン川に機体を着水させると決断!

 

 そして見事に着水、機体の損傷も無かった。

 

 クルーの避難誘導で脱出、川を航行していたフェリーの協力により乗客を救助。乗員乗客155名全員無事だった。

 

 「ハドソン川の奇跡」として世界中に知れ渡り、サリーはヒーローとなる。しかしサリーや家族はマスコミに囲まれ、サリーは悪夢も見るようになるもやもや

 

 調査のためサリーとジェフはNYに滞在。

左側のエンジンはまだ使え、空港に戻れたはずだと指摘される。そして、国家運輸安全委員会(NTSB)によるシミュレーションにより、戻れた結果が出たと言われる。

 

 サリーとジェフは操縦ミスを疑われるのであった・・・。

 

 

 実際の機長は事故後、厳しい取り調べを受けることは無かったようだ。

どれだけの困難を瞬時の判断で切り抜けたのかを描写したかったため、NTSBからのまるで裁判の尋問の様なシーンを入れたのだろう。

 

 結果、シミュレーション通りにはいかない事、左エンジンの損傷も確認され、サリーの判断は奇跡的に成功したと結論付けられる。

 

 着水、乗客の脱出、そして機内が浸水していく様子は緊迫感があった。

そしてフェリーが救助に向かうシーンは涙が溢れた。全員無事だったとわかっていても胸が熱くなる。

機長のサリーは残っている乗客がいないか確認し、最後に脱出。どこかの国とは大違いだ。

 

 トム・ハンクスの抑えた演技がとても良い。責められ、本当は怒りたいところ、最善の方法を取っただけと、プライドを見せる。流石だった。

 

 クリント・イーストウッド監督、96分の中に必要な部分をギュッとまとめた秀作であると思う。見てよかったと思える作品である。

 

 原題は「Sully」。あの時言われた「ハドソン川の奇跡」のままでよかったのではないかと思う。邦題がそれで、すぐに何の映画かわかるのである。

 

 ラストのジェフのジョークは本当に言ったのかな?

 

星星星星です。

 

 じゃ、またバイバイ

 

 

 

 人間の空へ、宇宙への憧れは尽きない。自伝を基にした作品。

 

218回目は

「遠い空の向こうに」

 

 ロケットの打ち上げに情熱を注いだ高校生達と、住む町の環境も交えて描いた話。

「ジュマンジ」、「ジュラシック・パークⅢ」のジョー・ジョンストン監督。1999年公開。

 

 1957年10月、ソ連が人工衛星スプートニク1号を打ち上げた🛰

 

 炭鉱町のウェストバージニア州コールウッド、男性達はほとんど炭鉱で働いていた。

高校生のホーマー(ジェイク・ギレンホール)も星空を横切る衛星を見上げる。「すごい!」

 

 ホーマーは炭鉱の町から出て行きたかった。しかし、父のジョン(クリス・クーパー)は自分と同じく息子に炭鉱で働いてもらいたいと思っていた。

 

 ホーマーはロケットを自分で作ろうと思い、変人と言われているが頭の良いクエンティン(クリス・オーウェン)に声をかけ、

 

友人のロイ、シャーマン4人とロケットボーイズを組む🚀

理科のライリー先生(ローラ・ダーン)からはコンテストに出て優勝すれば、大学から奨学金がもらえると聞く。

 

 4人はロケットを組み立て打ち上げる。炭鉱の近くに落ち、労働者が危ない目に合う。

父は怒って「二度と落とすな!」

 

 ずっと離れた場所を探して「ケープ・コールウッド」と名付け、発射台と小屋を建て、発射を繰り返すが何度も失敗もやもや 改良を重ねる。

 

 

 そのうちロケットの打ち上げに町の人々が集まるようになり、成功!新聞記事にもなる。しかし、山火事がロケットによるものと疑いをかけられ、4人は逮捕されてしまう。

皆で、「ケープ・コールウッド」の小屋を燃やす。

 

 その後、炭鉱で事故が起き、父ジョンは負傷。ホーマーは高校を中退し、炭鉱で働き出す。父が回復後も。

 

 しかし、ホーマーはクエンティンとロケットの軌道を計算し、行方不明のロケットを発見する。山火事は無罪だった。

 

 父との確執の中、ホーマーは高校に戻り、ロケットの研究を皆と再開。

校内のコンテストで優勝し、インディアナポリスでの全米科学コンテストへ行く事になる。

ただ、予算のため4人の内1人だけ。ホーマーが代表だ。

 

 ロケットの展示は好評。トラブルが起こるが炭鉱の人達の協力もあり、ホーマー達の組は最優秀校の金メダルを獲得したのだった拍手

 

 

 

 青春ドラマそのもの。若い時の夢をあきらめない姿は清々しい。

ジェイク・ギレンホールの明るい大きな瞳はそれを物語る。

 

 そして、炭鉱町特有の過酷な状況と先行きの無さを絡め、ホーマー達が希望となっていく。

頑固だけど息子を見守り、認めた父を、クリス・クーパーが好演。

 

 ラスト、実際のロケットボーイズの4人や、ライリー先生、父、炭鉱のその後が紹介される。ホーマーは、NASAで働いた。スプートニクを見た時からの夢を実現したのだった。

 

 人生は長いようで短い。日々に追われていく。若い時の夢はいいなと思える爽やかさが残る作品だ。

 

星星星星です。

 

 じゃ、またバイバイ

 

 

 

 死後の世界があるなら天国へ、それとも地獄へ?古い映画から。

 

217回目は

「天国は待ってくれる」

 

 ある男性が、死後の世界にやって来て、それまでの人生を語る話。コメディ映画ではあるが、はて?

エルンスト・ルビッチ監督。1943年公開。日本は1990年公開。戦後だいぶたってから掘り出された物なのかしら?

原題の「Heaven Can Wait」からウォーレン・ベィティの「天国から来たチャンピオン」、また、2007年の邦画、「天国は待ってくれる」は岡田惠和氏の脚本で、全く別物。ネタバレです。

 

 ヘンリー(ドン・アメチー)は死に、それまでの行いから天国行きは無理と自覚しており、多くの人から言われた場所へ向かう。

ヘンリー

 

 地獄の受付にいた閣下に決めてもらう事になる。

閣下はヘンリーに興味を持ち、ヘンリーは自分の一生を話し始める。

閣下

 

 1872年、NYの上流階級クリーヴ家に生まれたヘンリー、一人っ子で当然の様に甘やかされて育つ。9歳の頃には女の子に興味を持つ様になる。

祖父は小遣いを与え、自由気ままに成長する。

 

 26歳になっても仕事もせず、ショーガールに夢中になるなど遊んでいた。

いとこのアルバートは弁護士になり、婚約者のマーサ(ジーン・ティアニー)を連れクリーヴ家を訪れる。マーサの両親も一緒に。

マーサ

 

 実はヘンリーとマーサは街中で一度出会っていた。そしてマーサはアルバートを愛しておらず、ただ両親が認めた相手。その両親は始終口げんかばかりで、結婚は両親の元から出て行くためだった。

 

 ヘンリーはマーサを口説き、意気投合した二人は駆け落ちしてしまう。

両親はマーサを勘当!

 

 10年が経つ。クリーヴ家に戻っていたヘンリーとマーサ、ジャックという一人息子がいた。しかし、浮気性のヘンリー、マーサが久しぶりに両親の元へ帰るというひと騒動。

 

 そしてその15年後、ヘンリーはコーラスガールのペギーに下心を持つが、なんと息子のジャックと付き合っていた!手切れ金として2万5千ドル札束 を使う。しかしジャックは別のショーガールと付き合いだす。父親譲りもやもや

 

 間もなくマーサは体調を崩して亡くなる。なんだかんだあっても幸せだった様だ。

 

 60歳になったヘンリーは寂しさから女遊びは止めない。

 

 そして70歳のヘンリーの最期を看取ったのは美人看護師だった・・・。

 

 閣下に全てを話したヘンリーは地獄行きを覚悟。

しかし閣下は、天国に居心地は良くないが空きがあり、数百年待てば入れるという。

そして、マーサが待っていてくれるという。

エレベーターに乗ったヘンリー、ボーイに「上」行きを閣下は指示するのであった。

 

 

 

 綺麗なカラー映画。いつも思うが、戦時中、こんなのんきな映画を作れる米国と戦争しても日本は勝てるわけがない。余裕が違いすぎる。

 

 ほとんど会話劇。畳み掛ける様だが話は分かりやすい。ユーモアを挟み軽やかに進む。

自分は地獄行きだろうと覚悟していても、もっと悪い人間はいっぱい居る。女たらしなどまだ、可愛いものなのかな?と、許してしまう閣下の顔は強面あせる

 

 「コクーン」でしか知らなかった、ドン・アメチー、若い時は格好良かったのねドキドキ

 

 年齢の感覚が現在と随分違う。50歳はもう年寄り扱い。ま、自分の幼い時より今の方が、若く元気な方が多いしねウインク

 

 コメディというよりも、夫婦の愛情物語といったところ。

気楽に観られる作品です。

 

☆3.75です。

 

 じゃ、またバイバイ

 

 

 

 

 

 

 香川照之さんは上手い役者である。成り切るところは凄い。「昆虫すごいぜ!」も面白かった。

歌舞伎には出演している様だが、あの一件以来映画やテレビドラマには出られず、復帰は出来るのだろうか?その彼が出演している映画。

 

216回目は

「鍵泥棒のメソッド」

 

 貧乏役者と殺し屋が、ひょんなことから入れ替わってしまう、コメディ作品。

「アフタースクール」の内田けんじ監督。2012年公開。

 

 高級品を紹介する雑誌の編集長、水嶋香苗(広末涼子さん)は、突然スタッフに結婚宣言。結婚式の日取りまで決めていた。だが、相手はまだいない!? 健康で努力家の人が条件。

香苗

 

 殺し屋のコンドウ(香川照之さん)は、ヤクザの工藤(荒川良々さん)からの依頼で、ある社長をナイフで殺しトランクに放り込む。血のりべっとり。工藤の部下はそっと見ており、手際の良さにおののくガーン

コンドウ

 

 売れない役者の桜井武史(堺雅人さん)は、ボロアパートで首つり自殺を図ったが失敗もやもや

桜井

 少ないお金と一緒に出て来た銭湯の回数券を持って出かける。ポストから取った税金の納付書を持ったまま。

 

 コンドウも血で汚れていた手首が気になり同じ銭湯へ行く。

しかしコンドウは石鹼で滑って転倒ビックリマーク 意識を失う。

桜井はその隙にロッカーの鍵をすり替える。コンドウの分厚い財布を見ていたのだ。

コンドウは救急車で運ばれる。記憶喪失になってしまったもやもや

 

 退院させられたコンドウは、所持品から自分は桜井武史という名前なのだと思い、納付書の住所へ向かおうとする。丁度出会った香苗はコンドウに道を聞かれ、車で送ってあげ事情を知る。コンドウに興味を感じ、協力しようとする。

 

 そして桜井は、盗んだ財布から借金をあちこちに返し、コンドウの記憶喪失を利用する。彼のマンションに侵入。様々な変装用の服やパス、なんと拳銃まであった銃

何者はてなマーク

 

 桜井、コンドウ、香苗の行動が絡み合い物語は進む。

 

 そして突然戻ったコンドウの記憶目 殺し屋と思われていたコンドウ、実は・・・。

 

 

 

 今回2回目の視聴。やはり面白い爆  笑

張られた伏線、テンポの良さ、盛り上がり、そしてどんでん返し。

ストーリーの良さを感じる。

 

 堺雅人さんの臆病でいい加減な桜井、香川照之さんの実は几帳面で努力家のコンドウ、広末涼子さんの一途な香苗。それぞれのキャラが際立っていて好演している。

 

 もっと色々込み入って来る物語。

ネタバレしてしまってはもったいないので、中途半端な紹介になってしまったが、興味を持たれた方には観て欲しい作品である。

 

 行き詰っていた自分の人生が、一連の騒動により、それぞれいい方向に変わっていくラストは、ほんのり温かくなったハート

 

星星星星です。

 

 じゃ、またバイバイ

 

 

 

 

 ショーン・コネリーと言えば、ジェームズ・ボンド役のイメージが強いが、「インディー・ジョーンズ/最後の聖戦」など、軽妙な感じを演じた役が、自分としては印象に残っている。

 

215回目は

「小説家を見つけたら」

 

 小説家の老人と黒人少年の、文章を書く事を通しての友情を描いた作品。

「グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち」等のガス・ヴァン・サント監督。2000年公開。

 

 NY、ブロンクス、母親と二人で暮らしている16歳の黒人、ジャマール・ウォレス(ロブ・ブラウン)は、放課後友人達とバスケットボールバスケ をする日々だった。

ジャマール

 

 実はジャマールは成績が良く、文学が好きで文章を書いていたが、内緒にしていた。

 

 バスケットコートのそばに古いアパートがあり、その一つの窓からいつも老人が双眼鏡で彼らの事を見ていた。

仲間に、その老人の部屋に忍び込んで何か盗んでこいとそそのかされたジャマールは、窓から入り込み、ペーパーナイフをリュックに入れて出ようとしたが、老人(ショーン・コネリー)に見つかり、慌てたジャマールはリュックを忘れて逃げ出すあせる

 

 翌日老人は、ジャマールを確認し、窓からリュックを落とす。メモ帳にいつもジャマールが書いていた文章には、赤字で添削がされていた本 的を得ていた。

 

 今度はきちんとドアをノックして老人の部屋を訪れ、もっと文章を見て欲しいと頼むが、老人はのぞき窓から見るだけ。そして、「二度と来ないという文章を5千字で書いてこい」と言う。

翌日、書いた物を持って行くが、老人はドアを開けてくれず、ドアの前に置いていくジャマール。

 

 ジャマールは学力テストの結果、マンハッタンの進学校、メイラー高校からスカウトされる。バスケットでの学費免除の特待生として迎えてくれるという。

 

 再び老人の部屋を訪ねるジャマール。文章を読んだ老人はジャマールを入れてくれる。そして日々通うようになる。

 

 ジャマールはメイラー高校へ転校する。そしてふとした事から、老人が有名なウィリアム・フォレスターという作家である事を知る。

ウィリアム

 

 老人の正体を知ったジャマールはウィリアムに、文章の書き方を教えて欲しいと頼む。

ウィリアムは了承し、二人の関係は公にしない事、ここで書いた物は外へ持ち出さない事を言い聞かせ、ジャマールの文章を見る事になる。

 

 ジャマールの文章はどんどん良くなる。そして、バスケット部でもレギュラーとして活躍する様になる。

 

 親しくなっていくウィリアムとジャマール。滅多に外出しないウィリアムをジャマールは連れ出し、ひと時を過ごす。「こんな楽しい夜は久しぶりだった」と感謝するウィリアム。

 

 しかし、ジャマールがウィリアムの部屋で書いた作文を学校へ提出したところ、盗作の疑いをかけられてしまう。タイトルと初めの部分をウィリアムに言われ使ったが、他はジャマールのオリジナルだった。持ち出すなと言われたのは、過去にウィリアムが雑誌に書いた物だったからだ・・・。

ジャマールは立場が悪くなり、退学に追い込まれるもやもや

それを救ったのは、ウィリアムだった・・・。

 

 

 年齢差や人種を超えた友情物語は、心地良い。二人が信頼し合い近づいて行く。

ジャマールは才能を開花して未来が開ける。

引きこもっていたウィリアムが外へ出るきっかけを作り、この後スコットランドへ旅立たせたのは、ジャマールの力。

 

 才能ある少年が黒人である事から、差別的な見方をする大人達がいる。

ジャマールを潰さず、導いてくれたウィリアム。ショーン・コネリーの気難しそうだがどこか軽やかな雰囲気は観ていて安心感があり、彼ならである。

 

 ラスト近く、あれ、?、マット・デイモンがちょこっと登場目

 

 ジャマールからウィリアムへの、そしてウィリアムからジャマールへの手紙には涙汗

ハートウォーミングな物語である。

 

星星星星です。

 

 じゃ、またバイバイ

 

 

 

 

 最近、映画館へ足を運んでいない。気力が無くなっている。

また、昔の映画から。

 

214回目は

「ベニスに死す」

 

 ある男性が、美しい少年に心を奪われてしまう、有名な話。

「郵便配達は二度ベルを鳴らす」等のルキノ・ヴィスコンティ監督。1971年公開。

 

 水の都ベニスに静養に訪れたのは、ドイツの老作曲家グスタフ(ダーク・ボガード)。

宿泊する高級ホテルは貴族や著名人が訪れる。プライベートビーチもある。

 

 その夜グスタフは驚く出会いをする。目が釘付けになる程美しい少年だった。

 

 ウエーブのかかったブロンドの髪、美しい顔立ち、細身の身体。

母親や妹達、使用人とバカンス中のポーランドの貴族だった。

 

 彼の名前はタッジオ(ビョルン・アンドレセン)という。もう、目が離せなかった。

タッジオ

 

グスタフ

 

 レストランやビーチでは、常にタッジオを探していた。とはいえ、話しかける訳ではない。すれ違い、タッジオに微笑みかけられ、心は舞い上がる。

 

 自分の気持ちに動揺したグスタフは、ベニスを去る事にする。

列車でミュンヘンへ帰ろうとした矢先、手違いで荷物が別な場所へ行ってしまう。

戻るまでベニスにとどまる、と言いながらも笑みが浮かんでしまう。また、会える。

 

 再びホテルに戻り、ビーチにタッジオの姿を見つける。上半身裸で砂まみれになり転げまわる彼の姿、いつまでも見ていたい。

 

 街の中を歩くタッジオ一家の後をつけるグスタフ。タッジオはグスタフの存在に気付くが、視線を送るだけで話しかけてはこなかった。

 

 その頃ベニスでは、疫病が広がっていた。しかし観光で成り立っているベニスは観光客にその事を隠していた。新聞も書かない。

 

 グスタフは情報を仕入れ、タッジオにベニスを去るよう言わなければと思う。

タッジオの母親に告げ、タッジオの髪に触れる想像を膨らますのだが、告げられなかった。

 

 そしてグスタフは、次第に、病に冒されていくのだった・・・。

 

 

 劇中、こんな言葉がある。

「美は自然に生まれる。我々の努力を全く無視して、芸術家の想像を超えて存在する」

 

 グスタフは名声も富も手にし、妻も娘もいた幸せな人生だった。しかし娘を亡くし、作曲家としても批判される。努力は報われないのか。

疲れ切った目の前に現れたのが、美の象徴、タッジオであったのだ。

 

 しかし、自分は年老いていく。抗って、髪を染めたり、若く見られようと変な化粧をしてもピエロになるだけで、到底タッジオの若さには追いつけない。

そして、死からも逃れられない。人生とはそういうもの。

 

 シーンがどこを切り取っても美しく絵になる。

そしてタッジオ。性別など関係なく、引き込まれるように美しいキラキラ

我を忘れ陶酔するグスタフ。最後にタッジオに出会い、彼は幸せだったのでは・・・。

 

 マーラーの曲が全編を通して流れる。切なく甘く、美、生死を表現する。

タッジオの瞳が、心に残り、離れない。

 

☆3.75です。

 

 じゃ、またバイバイ

 

 

 

 

 

 父娘共演の、50年前の映画から。

 

213回目は

「ペーパー・ムーン」

 

 詐欺師の男と、母を亡くした少女の、詐欺をはたらきながらのロードムービー。

「ニューヨークの恋人たち」のピーター・ボグダノヴィッチ監督。

1973年公開。モノクロ映画。ほぼネタバレです。

 

 アメリカの田舎町で、自動車事故で亡くなった母親の葬儀が営まれていた。

出席していたのは9歳の娘アディ(テータム・オニール)と近所の女性2人のみ。父親はいない。

そこへ、その母親の元恋人だったというモーゼ(ライアン・オニール)がやって来る。

 

 アディはミズーリ州の叔母さんの所へ行く事になる。アディを送り届けるよう、近所の女性達に押し付けられるモーゼ。

アディ                  モーゼ

 

 モーゼは新聞の死亡記事から、亡くなった夫からの贈り物だと偽って、未亡人に聖書を売りつけている詐欺師だった。

 

 モーゼはアディの母親に事故を起こした運転手の兄を脅し、慰謝料200ドル札束 をものにする。そのお金で車を買い替え、アディの切符を買い、叔母さんに電報を打つ。

アディはモーゼに「パパなの?」と聞く。パパの写真は無い。否定するモーゼ。

それならさっきせしめた200ドルは自分の物だ、返せというアディ。

使ってしまったモーゼは、その200ドルのためにアディを連れて詐欺の旅に車

 

 アディはモーゼが聖書を売りつける方法をすぐに理解してしまう。頭の良い子供だった。保安官が出て来てモーゼが焦っていると助けたり、金持ちには高値を吹っ掛けたり、子だくさんの大変そうな家からは立ち去ったり。

 

 こうして旅を続け、店では会話をしながらお札の両替をし札束 お釣りを誤魔化す方法も覚え、お金は増えていく。

 

 カーニバルに寄り、アディはペーパームーンに座って写真を撮ったオーナメント

本当はモーゼと撮りたかったが、モーゼはストリップに夢中だったもやもや

そのダンサーの女性をモーゼは車に乗せた挙句、一連の騒動があったり、酒の密売のやり取りに手を出して保安官に連行されたりと危なっかしいモーゼ。

 

 アディは女性とモーゼを離れさせるため、機転を効かせる。

保安官からは逃亡を図り、ミズーリ州に入ったため逮捕される事はなかったが、結局痛めつけられたモーゼグー

 

 そして途中交換して失敗したポンコツのトラックで、アディを叔母さんの家へ送り届ける。

「本当にパパじゃないの?」、「パパじゃない」 立ち去るモーゼ。

助手席にはペーパームーンの写真が残してあった。

 

 すると、ミラーには、荷物を持って走ってくるアディの姿が見えるのだった・・・。

 

 

 初めて観た時から印象に残る作品だった。

9歳の少女がタバコ🚬を吹かすのにはびっくりだが、テータム・オニールが芸達者で、これでアカデミー賞の助演女優賞を受賞したという。

 

 こまっしゃくれているかと思えば、子供らしく振る舞ったり。モーゼを助けたり混乱させたり、変幻自在。少し寂しげな表情も心を打つ。

二人が少しずつ近づき、離れがたくなっていく様子が重なっていく。

詐欺やアディが大人を困らすネタも笑ってしまうが、テンポは良く、悪事をはたらいているのだけれども、頑張れと思ってしまう。

 

 パパなのかなぁ?それはわからないまま。

二人の珍道中は続くようなラストは、微笑ましかった。

 

星星星星です。

 

 じゃ、またバイバイ