癌との暮らし⑬

やっと退院することができた。10月29日から12月3日

まで入院を余儀なくされた。癌に侵された胆のうと肝臓が

機能しなくて炎症を侵し、ステントがつまり肝炎と胆管炎を

同時に併発した。手術後2週間ほどで退院できると思った

のであるが途中、更に悪化して再度、手術して合計30日

ほどの入院期間となった。癌の治療でなく、癌に侵された

肝臓や胆管の治療だった。入院が長くなると同じ病室の

人が入れ替わり立ち代わり現れてくる。様々な人生ドラマが

繰り広げられる。しかも、コロナが5類になっても

面会はできない。従って一日の間に出会う人は担当医師、

看護師、薬剤師、栄養士、掃除の人だけに限られてくる。

家族や知人とは携帯画面で話すしか方法がない。下着などの

着替えが必要な時は、手渡しで家族から看護婦、そして

入院患者と手渡しとなる。コロナ過の中で病院が感染した

経験から厳しくなっている。それでも入院生活を楽しく

するために欠かせないのが病院内散歩である。1階の

コンビニまで往復の散歩の暮らしで、玄関から数歩出て

外気の空気を吸い、外の天気を感じる暮らしとなる。

後の時間は読書と執筆となる。したがってパソコンに

向きあい文章を書く時間が増え、日ごろ感じている

エッセイが増えた。これも入院だからできる暮らしだろう。

来週から胆のう癌の抗がん剤治療23回目の再開である。

      風の森斎場(設計は建築家・槇文彦)

鼠径ヘルニア

抗がん剤治療をしていると健康な部分も傷つけてしまうことがある。今回は、加齢と重なって腹膜が弱くなり鼠径ヘルニアになってしまった。左の腸が垂れて睾丸部分まで下がってくる。横になって腸を押し込むと元に戻るのだが、次第に痛みが伴うようになったので左右の鼠径ヘルニア、いわゆる一般的には脱腸現象を手術して下に落ちないようにメッシュを張る手術をした。そのために抗がん剤治療は1か月間、お休み状態となった。鼠径ヘルニアで手術・入院のなかで抗がん剤の副作用が酷くなり、両手があかぎれ、腫物ができて皮膚が剥がれる症状が出てきた。そこで現在は皮膚科に通うことになった。振り返ると腫瘍内科にかかり癌を無くす治療をしながら併用して外科、整形外科、泌尿器科、眼科、耳鼻科、皮膚科、歯科、麻酔科を渡り歩いているのだ。病院内の産婦人科を除き、すべての科を制覇するのも時間の問題である。それほどまでに抗がん剤の副作用は、何が起きるかわからない。

 

余命半年から1年と言われて1年と3か月生きている。時々、朝、目が覚めた時にどちらの世界にいるのか分からない時がある。

 

特別、変わった生活をしているわけでなない。朝起きて1時間程四季の変化を見るために散歩して、日々変化する風の匂いを感じて深呼吸する。それから朝食を食べたのちに体温、血圧を計測・記録して新聞を読む。その後、昨日の出来事をお気に入りの万年筆を使って日記にユックリ書くと昼になる。昼食を軽く食べてテレビを見る。あるいは昼寝する。午後は船に乗って漁をする。または畑で野菜を作っている。時には湯治を兼ねて温泉に行きサウナと冷水を繰り返し浴びてリフレッシュしたり、ドライブの途中で目新しいレストランを見つけて昼食をとることもある。そんなごく普通の日常を過ごしている。そして今まで考えていたことを書籍に残す作業を日々のささやかな楽しみとしている。

 

私が亡くなった後には、ネットのブログはどうなるのだろう?書き溜めた書籍はどうなるのだろう? 残らない記録をやり続けるのは意味があるのだろうか? 

と自問自答しながら、これが私の日常生活と自分に言い聞かせる。

建築設計した青森県おいらせ町【いきいき館】高齢者福祉施設。

大学での講義

癌との闘病生活を始めて1年が過ぎた。余命半年から1年と言われ1年が過ぎた。未だに健在でブログを書いている。自分の生きた痕跡を残そうとブログを書いているが、いつしか抗がん剤治療の副作用との対処方法や医学的な知識が増えてきた。闘病生活に慣れてくると意外や意外、講演の依頼や大学の授業の依頼が増えてきた。講演は市民向けで同じように病気で苦しんでいる人々が聴衆である。また大学は薬学部が対象である。共に患者の視点に立った抗がん剤治療の話である。更に、現在の暮らしの取材も多くなった。季刊誌「楽」から取材依頼が来て話すことになった。

横瀬浦での暮らし

西海の人々

不思議なことで死を目前に意識した時から、生の使命が次から次へと与えられる。まーー、これも与えられた人生だから流れに任せ、身体が動く範囲で貢献したいと感じている。

 

 

植物との会話

夏野菜を作っている。キュウリ、ナス、トマト、シソ、枝豆などである。その他、安納芋とかもある。比較的少ない種類である。多くの人は、それに加えてカボチャ、スイカ、オクラ、ピーナッツを植えている。四季折々に植える野菜が違ってくる。土づくりから始まり、肥料、そして苗植え、根が張るまで風や雨、それに害虫と睨めっこしながら手を加えないといけない。農業は演繹的で努力しないと実らない。愛情が必要とされる。ウッカリ手を抜くとキュウリはヘチマやゴウヤの大きさに変身する。脇芽を丁寧に管理しないとジャングルになる。害虫や病気になると途端に葉が枯れる。とにかく観天望気によって注意深く野菜を観察しないといけない。

また土地の人は、ビワを収穫しない。ビワゼリーなど一個100円ほどの代物も収穫しないで鳥の餌となる。

贅沢な暮らしである。今の時期は海に行けば、イサキ、アジ、鯛が釣れる。かご漁をするとメジナ、アラカブ、メバル、タコが入っている。時にはワタリガニが入っている。

 

そんな暮らしをしながら癌との闘病生活だ。延命治療で抗がん剤点滴を繰り返し、1年が過ぎようとしている。余命、半年から1年と告知されて1年が過ぎた。これからの余命は誰も解らない。意外と自分自身が身体の変化から一番わかるのかもしれない。夏野菜と毎日会話しながら野菜の健康的な成長を見守り、それと同時に身体の調子をうかがい、暮らす日々である。どうなる事やら……‥。

ひこばえ 第1回しゃべくりナイト

切り株などの根元から生える新芽のことを「ひこばえ」と言う。主催者ひこばえの谷川さんが、九死に一生を得た経験からつけた夫婦で運営しているCafeの名前である。パン作りにこだわり、有機野菜を栽培し、森のポツンと一軒家で暮らしている森林浴ができる素敵な店である。

cafe-hikobae.comFacebook

 

谷川さんと何気ない人生の話をしていると「人との出会いによって、誰にでも今がある」ということになり、それをテーマにしたトークショウをしたいということから闘病生活をしている私が第1回目となる定員20名からの会が始まった。

 

話の内容は、私が闘病生活の暮らしの中で人生を振り返ると多くの人との出会いによって、現在の私がいるのを改めて再確認し、節目節目で出会った人によって大きく人生が変わる話しである。

 

癌によって半年から1年の余命宣告を受け、心と身体が切り倒されてから、次第にひこばえの小さな小さな新芽を出して、闘病生活の新たな人生を歩んでいることに感謝と希望が湧いてくる。聴衆の中には、自らの闘病生活と重なり涙を流して聞き入っている人もいた。人は誰にでも波があり再生の人生がある。そして私は、話せるまでに体調が回復したことに感謝である。

 

 

ミモザの家

我が家の玄関の色は黄色である。そして黄色の旗も立っている。幸せの黄色いハンカチをモジった黄色い旗である。実は、フランスのミモザ街道のミモザに憧れて、庭にミモザを植えている。年に一度のミモザが咲き、菜の花が咲いた時に派手な玄関の黄色と旗の黄色がトータルでカラーコーディネートする景観となっている。3月8日は「ミモザの日」であるり、感謝、真実の愛が花言葉である。今年が最後のミモザの花かもしれないと感じる時にインドのガンジーの言葉を新聞で見かけた。「明日死ぬかのように生きよ、そして永遠に生きるかのように学べ」である。

 

第17回目の抗がん剤点滴を終えた。今年からは月に一回の点滴に変わり副作用の苦しさが少なくて済む。過去半年の頑張りのおかげで肝臓、胆のう、十二指腸、大腸、膀胱などに散らばっていた癌が、次第に消えて胆のう部分だけに縮小したようだ。それによって今まで手術が不可能な状態から胆のう摘出手術ができる可能性が出てきた。つまり延命治療から完治する治療へと期待が持てるようになったのである。しかし、いつ思わぬ副作用が起きるか分らないので油断はできない。現在の点滴はイミフィンジ点滴治療へと移行している。

 

冬の蝉

 4週サイクルの抗がん剤治療を始めて約半年が過ぎた。今回で第14回目の抗がんガン剤治療となる。振り返ると最初は癌に対して現代医学の攻撃と防衛の総力戦で癌と戦ってきた感じである。それが、途中で免疫隊が健康な甲状腺まで破壊したために保留となり、攻撃部隊のジェムザール(G)とシスプラチン(C)のGC部隊だけとなり、チラージンS錠125の補給を開始し甲状腺の回復を待って防疫部隊のイミフィンジ(D)を使った。ところが右の耳から夏に一斉に鳴くクマゼミのような高音域の耳鳴りが24時間し始めた。そこで白金を含むCを中断して、GD部隊へと編成し対応している。今後は、攻撃の方法を免疫部隊優先の戦略へ変える予定である。そして免疫部隊を増強して半年後の6月頃に抗がん剤治療を終了し、自然治癒力(体内にある免疫力による攻撃)へと移行する計画である。それと並行して、いつでも在宅介護で寝たきりになっても直ぐに対応ができるよう市役所に介護保険の申請をした。今、余命半年から1年と宣告されて半年が過ぎている。果たしていつまで生きることができるのか楽しみである。70歳であることから、お迎えが来たときは、留守にしていると言いたい。

鬼火焚き

 

 

 

 

 

 

癌との暮らし⑥

抗がん剤治療⑩回目となる。腫瘍マーカーCA19-9の数値

5月30日 11,095u/㎖⇒11月14日491u/㎖となった。ここ1か月で激減している。少しずつ抗がん剤治療の効果が出てきている。そして抗がん剤治療薬と体の相性も良いようである。そして問題の副作用は、シャックリ、目のかすみ、編頭痛、便秘が起きる。運よく髪の毛が抜けないことが精神的な負担を軽くしている。私は癌患者であることを公開して生活していたが、最近では聞かれるまでこちらから癌患者であることを敢えて話さないことにしている。次の段階に差し掛かっていると言える。癌患者の精神世界も段階があって、その都度、変化にそった対応が必要となる。医療現場では、段階ごとのエビデンスがあり、おおよその予測がつくが、心の世界はまだまだこれからである。腫瘍精神科学がこれからの課題であり遅れている。これを患者視点から精神科学をまとめる必要がある。それが私の役割なのだろう。

気晴らしにみなで絵を描いた。

 

 

 

【進行性胆のう癌】ステージ4

先日、抗がん剤治療8回目を終了した。GC療法とイミフィジン療法の3種類の抗がん剤点滴だ。最近、少しずつ副作用との使いあい方が解ってきて、副作用の痛みやだるさが解消されつつある。(↓の崩し文字)

しかし抗がん剤治療により、健康な部分が破壊されている部分もある。甲状腺ホルモンが出なくなった。したがって生涯にわたって甲状腺ホルモンを薬(チラージン)によって補給しないといけない体になってしまったのである。

シャックリは3日ほどで収まる。便秘は1週間で治る。熱は無い、しかし頭痛と倦怠感が取れない。常に頭がボーッとしている状態である。それ以外は、吐き気がなく、髪も抜けなく至って健康であり、毎日、元気に海まで散歩をすることが楽しい。

(↑ バンクシー展 ハウステンボスにて)

文章を書いたり美術館に行ったり、そしてスケッチをして過ごしている。いずれ書籍を出したいと考えている。

抗がん剤治療の副作用

 私の場合、ステージ4であり根治できない「進行性胆のう癌」のために延命治療としてGC療法とイミフィジン療法の3種類の抗がん剤を使って治療している。

 GC療法は、癌に直接働きかけて発生を抑制するもので、イミフィジン療法は、癌に対する自分自身の免疫力を高める療法である。

 私の副作用は、①シャックリがでる。これは吐き気止めの薬を用いている薬の影響である。②身体のだるさ ③偏頭痛、それに④便秘 この4点ぐらいになる。

 

運よく、髪が抜けないし、吐き気もほとんどない。しかも定年退職をしており仕事もないので癌患者として楽な日常生活を送っていると言える。

 

多くの人のブログを拝見すると吐き気が酷い、味覚が変である、そして髪が抜けるなどの苦労は計り知れないものがあるようだ、それが私には無いのが救いである。一口に副作用と言っても人によってバラバラである。

 

しかし、毎回 微妙に副作用が変化する所に注意が必要だと言える。

 

【アラカブのケーキ】        ケーキいわした