「しっかりする」ってなんだろう? | 幻想斬り士と呼ばれて

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  心の囚われを解き放つカウンセラーのブログ

最近、他人の面倒をみすぎて疲れてしまっている人と話をしている時に

 

あれ?と気付かされたことがあってそのことを書こうと思います。

 

 

他人の面倒をみすぎて疲れてしまっている人たちに


なんでそこまで面倒をみるの?と質問してみると、

もっと面倒くさいことになるとか

自分がやらないと回らないからとか

理由は色々とあるのですが

よく見ていくと

それによって全部やってあげることが

やってあげるから、相手が自分でやらない

相手が成長しない(さらに依存してくる)
やってくれるの当たり前になってしまう

面倒をみなければいけなくなる

と面倒をみてあげればあげるほど

お世話しなければいけなくなる

お世話地獄になっちゃっているのですよね。


そこで、さらに探っていくと、よく出てくるのは2つあって

一つは
面倒見なくなると、相手との関係が切れて孤独になる

というのを恐れていたり

もう一つは

自分が面倒見なくなると

自分がしっかりした子ではなくなる

自分が面倒を見てもらうようになるとダメな自分になってしまう

親に怒られ、嫌われる

捨てられる

という子供の頃の親との関係から作ったパターンが出て来たりします。

つまり、しっかりしていないと(過去の親のイメージに)嫌われたり、捨てられる

だから相手の面倒を見続ける

となってしまっているのです。

これは逆に言えば

しっかりした自分でいないと、愛されない、認められないということなのですが

このパターンをもっていると
自分が人に頼ったり、面倒をみてもらうと自分の価値がなくなったように感じますので

面倒見てもらうことにすごく罪悪感を感じたりします。

このためにしっかりした自分でいようとし続けているのです。

でもね。

「しっかりする」ってどういう意味なんだろうって考えたことあります?

 

 

goo辞書によると、(特に人に関係する意味は)

 

 

考えや人柄などが堅実で信用できるさま。

(例、しっかりした意見の持ち主、論旨のしっかりした論文)など

 

気持ちを引き締めて確実にするさま
(しっかりと勉強する、上級生らしくしっかりしなさい)

心身が健全であるさま。また意識がはっきりしているさま。
(しっかりとした足とり、高齢でも頭はしっかりしている)

とあるのですが

 


自分が孤独になってしまうかもとか、捨てられるかもしれないと

自分が疲れ切ってしまうまで面倒を見たり、それによって相手を依存させる人って

考えや人柄が堅実で信用出来る人?

本来の目的も見えなくなっているし

健全な関係性じゃないし、

訳わからなくなっちゃっているし

ぜんぜん、しっかりした人じゃないじゃん!

という事は、これまでの人生、しっかりしていないとダメだと思って生きてきたかもしれないけど

本当の意味でしっかりした人になっていないのですよね。

しっかりした人にならないと孤独になったり、捨てられてしまうというのは

違うということなのですね。

本当の意味でしっかりした人は

自分の考えをもち、

信用に基づいた関係を築くので

相手と自分の両方を尊重し、

対等な関係を築こうとするのですよね。