価値があるとか無いではなくて、出来るか出来ないかの問題 | 幻想斬り士と呼ばれて

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  心の囚われを解き放つカウンセラーのブログ

私がこの仕事を続けている理由の一つは
 
色々な人たちの物事のとらえ方を聞くことで
 
普段、当たり前だと思って深く考えもせずにやっている物事の
 
意味や価値をあらためて考えるきっかけを与えてもらえることです。
 
例えば、
 
自分には価値がないという捉え方をしていて
 
自分はダメだと嘆いている人だったら
 
その自分には価値がないというのがどういうことかを
 
正確に把握しようとしたら
 
そもそも人の価値ってなんだろう?とか、
 
何を基準に価値を決めているのか?とか
 
それは人類全体の普遍的な基準なのか?とか
 
そういう事を見直さないと捉えられないのですよね。
 
それを考えていくと、
 
そもそもこの社会そのものが
 
本人が意識しようがしまいが普通に生きているだけで
 
嫌でも誰かのお役に立ってしまうような仕組みなっているのですよね。

 

こうやっていろんな物事の意味や価値をあらためて考えていくと

 

むしろ本質的に全く意味や価値がないものってないのですよね。

 

意味や価値が無いって人間の勝手な都合でつけているだけなので。

 
だから、誰かにお前は価値が無いと言われたとしても
 
価値があるとか無いとかの話ではなく、
 
実際にはただ単に
 
相手の期待や基準を満たせないとか、
 
相手の思い通りに出来ないだけであって
(しかもその基準も不合理だったりするのですよね)
 
価値があるとか無いとかではなくて
 
出来るか出来ないかだけの問題なのですよね。
 
 
こうやって当たり前と思ってしまっている物事の意味や価値をあらためて考えていくと、
 
意味ないと思っていたことに意味を見いだせたり、
 
価値や権威があると思っていたものが、
 
そんなにとらわれることもないし、
 
本当に大切なことは何かということも見えてきたりと
 
自分の人生が豊かになっていくのですよね。
 
まあ結局私たちは、言葉の幻想に振り回されてしまっているのですが
 
逆に言えば
 
自分の捉えている世界や自分の人生を意味あるものにも、意味のないものにも
 
できちゃうってことなのです。