荒れる円相場お金の価値がどうなろうとも自分に必要なのはまず健康「生きる生きよう」とすることだ | zum2のブログ

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この世は人生の学び舎、「人は変われる自分は変われた」と言えるように奮闘中

これから世の中厳しく残酷なものになっていくと「世界がどうなろうと私は生きる」ブログで脱弱男宣言した自分だが注目していた円相場昨日は大荒れだったようで

 

政府の「覆面介入」…市場に指摘する声 荒れる円相場、現実は打ち手乏しく

29日の外国為替市場は1ドル=160円台まで円安に振れた後、対ドルで6円近い急速な円高に転じるなど、円相場は乱高下する荒れた展開となった。円相場が急落する中、政府・日本銀行が為替介入を実施したかどうかを公表しない「覆面介入」に踏み切った可能性もある。ただ、円安の背景には、高金利で運用に有利なドルを買い、円を売る日米金利差の問題があり、打てる手は乏しいのが現実だ。

 

 

>>ただ、為替介入を行っていたとしても時間稼ぎにしかならないというのが一般的な見方だ。木内氏も「早晩1ドル=160円を超える円安が定着する」と予想する。

 

うーん、現状を見る限り自分も同意見、ただ疑問として引っかかるのは日銀の金融政策決定会合後の記者会見で植田総裁はなぜあんな円安容認とも取れる発言をしたのかだ、アメリカの大統領候補トランプ氏も「円安はアメリカ製造業にとって大惨事だ」と批判しているし実はサプライズが用意されており一転円高に転じる可能性もあるのではと考えてしまう、まさか岸田内閣の外遊にあわせ海外企業が日本への投資をさらにしやすくするためというわけでもないだろうが気になる

 

岸田内閣の今回の外遊言葉こそ外遊だがフランスのパリで開かれる経済協力開発機構(OECD)閣僚理事会に岸田首相だけでなく上川外相、松本剛明総務相、斎藤健経済産業相、河野太郎デジタル相、新藤義孝経済再生担当相が出席して岸田首相が生成AIをめぐる国際的な枠組みの創設や、偽情報対策として世界的に検討が行われているネット上の記事や広告などに発信者の情報を付与する技術の実用化(この技術のいかんによってはネット特有の匿名文化がなくなりネットを有効に活用しようと思ったら実名前提になるという可能性もある、自分が先日ゴシップ関連のブログをまとめて削除した理由の一つだ)を支援することを表明する予定になっているほか重要な国際会議があり訪米と同じく財界要人とも会う予定があるのでは外遊中誰がお供することになっているのか気になるところだ、自分は先日の岸田首相の訪米と同じく日本の今後を左右しかねない重要な外遊だと思っているが世間の評価は違うようだ

 

自分が脱弱男宣言したのは何も為替の問題だけでなく前回ブログで書いたように

 

 

・地球規模の地球温暖化と環境激変

・目まぐるしく変わる世界経済国際情勢と戦争

・超少子高齢化と外国人労働者受け入れによる多様化

・AI依存社会に向かっている社会の変容と超格差社会をどう生きるか

 

等を自分なりに考えた結果これから世の中厳しく残酷なものになっていくだろう、そんな世界で自分が生きていくためにはどうすべきか考えたら弱者男性だなどと自虐してる場合じゃない覚悟を決めて脱弱男宣言、自分を変えていくしかないと思ったからだ、技術の進歩からAIの脅威が盛んに言われるようになった昨今だがすべてのAIは人が求めたから作られ存在している、どれほど優秀なAIが作られようともそれは変わらない、人とAIの決定的な違いは人が持つ「生存本能」であり「生きる生きよう」とすることこそ人間の存在意義がある、思えば祖先の人たちは「生きる生きよう」としなければ「生きられない」自然の中でずっと生きてきた、自然の摂理ルールを破れば命を失う自然の厳しさ残酷さを知れば自然の中で生きるほど厳しいスパルタ教育はないと思えるが自分の場合祖先の人たちほど厳しく残酷な世界で生きることを要求されているわけでもない、現実から目を背けることさえしなければ十分に生きられるだろう(コロナ過で自分はこんなにも生きたかったのかと気づかされた自分からすると「生きたくないむしろ死にたい」と思っている人はまことに気の毒、心身ともに少しでも健康的ないい状態になれるように祈っている)

 

しかしこれから世の中厳しさと残酷さが増していくというのにネットをみていると自分よりも人のことばかりプライドが許せないのか批判ばかりしているというかあろうことか嘘をついてまで誹謗中傷までしている人がいるが彼らが見ていてふと火垂るの墓の清太と節子を思い出した、岡田斗司夫氏の動画解説によると火垂るの墓の清太と節子は自らの感情とプライドから親戚の叔母さんに頭を下げることが出来ず世間知らずゆえに欲望に流され貯えを使い切ってしまい妹が先に逝き最後は兄も餓死兄は妹を妹は兄を死なせてしまった後悔から二人とも成仏出来ず現世をさすらい続けることになってしまったとのことだがそれを聞いてからもし兄の清太が妹の節子を連れて叔母さんに「自分はどうなってかまいませんなんでもします節子を助けてくださいお願いします!!」と涙ながらに土下座をしていたら妹も自分のために涙ながらに土下座をする兄の姿を見て感じるのがあっただろうし叔母さんは土下座以前に節子の状態をみて助けたかもしれない、聖書のイエスや預言者ではないが人を最後に救うのはプライドではなく愛だ


愛のために全てを差し出せと言わんばかりにイエスは愛し救おうとした人々によって罪人として裁かれ酷い罰を受け殺されたがその愛によって現代にいたるまで多くの人々を救っている、余談だが自分はイエスを描いたある映画をレンタルで借りたとき痛めつけながら人々のことを神に祈っているイエスのシーンでなぜ人々をこれほど愛している人がその人々からこんな目に遭わなければならないのかとても耐えられないと残りを見ないで返却してしまったことがある、話を戻すとほかにどんないい部分があったとしてもネットでほかの部分を知ることが出来ない以上人のことばかりそれも誹謗中傷なんてしていたらそれがその人の全てになってしまう、自分を愛するならなおさら人のことなんて構わず自分のために時間を使おう

 

荒れる円相場お金の価値がどうなろうとも自分にとって必要なのはまず健康「生きる生きよう」とすることであり「人生と出会いを諦めない世界がどうなろうと私は生きる」覚悟だってことで