古書画の真贋考 その6 | 一毛録 - Genkairo Official Weblog -

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古美術 玄海樓店主のきまぐれブログ

贋物と呼ばれるものには必ずそれらを造り上げた贋作者の存在がある。

贋作者には様々なタイプがあるだろうが、
まず、真作を忠実に真似た、倣った、写した人物。
そして本人に成り切った、つもりになった人物。
さらに、とにかく有名人物の作を造り、仕立て上げた人物。

彼らの人物像や心理はいかなる様であったか。

ほとんどの場合、作品を売り、商売にしていたようであるが、
購入する客や商売人を上手く騙せた事は
ある意味「快挙」である。

私は決して奨励する訳でもなく、むしろ嫌悪感を抱かせる「贋作」は
人々を惑わせ、失望させる存在である。

ただし、
芸術家の中には本人作に出来不出来の差が大きく、
駄作と言われるような作品が存在する場合がある。

同様に
贋作の中にも出来が頗る良いものもあれば
明らかな悪いものもある。

ここで問題なのは
出来の悪い真品のものより頗る出来の良い贋物の方が
「誰が見ても優れているように見える」ということだ。

商売をやっていると此処に直面することがある。

綺麗な品、イキ(粋)のいい品、茶事等使える品、
変わった作(通常の作品に見受けられないような系統の品)、
箱書等鑑定的なものが必ずある品、

これらが売れる条件、即ち「売れ筋」と呼ばれる事になる。

であるからしてご承知のように、
これらのような作品に「贋物」が最も多く存在する。

逆に考えると
これらの正反対にあるような作品は
高く売れにくいし、人気が無い、
欲しいと思わない(需要が無い)、
即ち贋作を作る甲斐が無い、
作っても意味が無いのである。

どうせ作るのなら
高く売れるような品を作った方が身になる、ということである。

いいものを安く買いたい・・・

これはお客様方だけでなく、我々業者も同様だ。

可能な限り出来の良い品を、
傑作、名品と呼べるような品を買ってみたいものである。

「掘り出し」という言葉がある。

近年では中々品が薄いからかあまり聞かれない。

昔であればそれも可能であったに違いない。

が、いい品が安く手に入る事はあっても
本当に佳い品は高価なものである。

名品が青空市に出ていたとはあまり聞かない。
品物は必ず人を選び、またそのルートを選ぶ。

適材適所なのだ。

名品は必ずそれを理解し、扱える人物を通してしか
動く事は無い。

そして所持できるべき人物にしか納まらない。

佳い品こそ人を選んでいるのだ。

信頼できる限られた業者からしか買っておられない蒐集家のお蔵には
必ずいい筋の品しか入っていないし、
自分目利きであらゆる業者から買っておられたお蔵には
銘柄こそ大きいが
統一性も無く、あまり筋がいい品が無いのも 事実 である。