ご無沙汰しております。


年明け早々に、新たなプロジェクトがいくつも控えていて、その準備に忙しく、12月は少しバタバタしており、ブログ更新ができませんでした。


さて、これを読んでいるベンチャー経営者・起業家の皆様も、年の瀬はぎりぎりまで、忙しくされていることと思います。



しかし、年末はただいたずらに忙しく過ごす、また年明けはただだらだらと過ごすというだけでなく、少し、意味のある過ごし方を提案したいと思います。


古来より


一年の 計 は元旦にあり。


といいますが、皆さん、その意味をご存知ですか?



計には2つの計の意が含まれているんです。



一つ目の計は、去り行く年の活動の 合 "計" 点を計算すること。


すなわち、年末に一年の活動を振り返りをして、その合計点が、当初の目標にどれだけ近かったか、志に近づくことが出来たかどうかの反省をするということですね。


二つ目の計は、新たな年の "計" 画を立てること。


これはすなわち、年の始まりに際して、さきほどの反省も踏まえつつ、その一年の展望に思いをはせ、これから来たるべき新たな一年の "計" 画 をたてるということ。



こうしてみると、一年の計は元旦にありっていう言葉は、PDCAの実践なわけです!



これって、先人からわれわれが引き継いできた知恵でもあり、古来より、リーダーといわれる人たちが行ってきたことでもあります。



僕の提案は、皆様にも、年末年始には、しっかりとお休みをとっていただいて、一年の計を図る 時間をとっていただきたいということです。



僕は、毎年大体同じフォーマットで、


『 200X年の春日原ミッション 』


という感じのタイトルで、新たに迎える年に達成したい目標を、事業、個人、家族、友人などの側面から記述しています。



皆様には、いわずもがなかもしれませんが、世の中のリーダーといわれる人がみな語るとおり、書くことは、未来の自分の行動、言動、気づきを、一定の方向に向けていく強い効果がありますし。


また、除夜の鐘を聞きながら、また正月のすがすがしい気分の中で、来るべき一年について、思いをはせ、目標をたてることは、それ自体、心の落ち着き、気力の充実、聡明な思考などが得られて、気分がいいもので、お勧めです。

次回ブログでは、過去に僕が書いた 『 200X年の春日原ミッション 』 を公開しちゃいますね。



春日原森


前回 の続き)


ある日僕はその靴磨きのおじさんの仕事ぶりをみていて、仕事に関するある重要なことに気づかされたんです。




それは....


仕事は、一生懸命、必死に打ち込むと、仕事を超えて、はるかに大きな仕事以上のものになるということ。




もしあなたが靴みがきを職業にしていたら、お客様に何を提供しようと思いますか?


もちろん、 『ぴかぴかの靴』 ですよね。




でも、このおじさんが僕に提供してくれたのは、単なる 『ぴかぴかになった仕事用の革靴』 だけだったのでしょうか?


...明らかに違います。



このおじさんから僕が受け取ったものは、本当に無数にありました。


"プロフェッショナルな仕事ぶりの人を見たときのすがすがしい気持ち" や


"そのプロの職人技の手に掛かった靴を履いていることのほこらしさ"


"そこから生じる自分への自信"  など。


また、


"冬の寒い日も、夏の暑い日も、誰に文句もいうことなく、誰にほめられることもなく、ただひたむきに自分の仕事をし続けるという生き方への感動と共感"


などなど。



上にあげたものって、明らかに "靴みがき" という仕事が顧客に提供するものの域をはるかに超えていませんか?




そして、こういった多くのものを、彼は、僕以外の多くの人にも与えているわけです。



...彼は、"靴磨き"という仕事を通じて、多くの人に働く姿勢や、生き方、勇気を与えている存在であって。


それらは、全て彼の働く姿勢のひたむきさから生まれてきたのです。


そして、それは、単なる靴磨き という仕事を、はるかに大きく超えていく。




僕は、あるひそれに気づき思ったんです。


"このおじさんを目指そう" と。


人の評価や、結果を目指し、影響力、リーダーシップを身につけたい!とあくせくするのでなく、このおじさんのように、ひたむきな働きぶりによって、結果的に多くの人に、影響を与えられるようなそんな人間になろう と。


別の角度で仕事へのひたむきさというものを語っている一節がありますので、今日それを引用して終わりたいと思います。


「手術は祈りである」ということばのなかには、はるかに最善以上のものが含まれている。それは、医学と医術の限界を知り尽くした名医が、自らの最善を尽くして、その上に神の前にひれ伏し、患者のために手術の成功を祈る姿である。

- 元京都大学総長 平澤興 -



外科医と、靴磨き ってまったく違う職業なのに、なんだか共通のものを感じませんか?



春日原森


(今日は前回 の続きです)


株主総会の当日、僕は毎朝、熱いシャワー浴びて、クリーニングしたばかりのシャツとスーツを着て、それこそ戦場に赴くような気持ちで株主総会の会場に向かいました。


その朝に、必ず立ち寄ったのが、新橋駅前の靴磨きのおじさんのところだったんです。


よろいをまとうような気持ちで、スーツを着ているわけですから、さながら、武器に磨きをかけてもらうような気持ちで、靴磨きを御願いしていたのかもしれません。



そのおじさんの仕事ぶりが、本当にすばらしくて、夏の暑い日でも、汗びっしょりになって、一心不乱に、それこそ、靴がぴっかぴかになるまで磨いてくれて、靴紐がすこし傷んでいれば、交換もしてくれて、かかとが磨り減っていれば、かかとの修理までしてくれるんです。


おじさんがいるから、僕は、準備万端整って、思い残すことなく、株主総会に立ち向かっていけたわけですよ。



...でもよく考えてみるとそのおじさんに僕が払っている靴磨きの代金って、たったの500円なんですよね。


たったの500円で、僕は、年に何回かある重要な会議に望む心の準備ができて、しかも、その日一日いい気分でいられる。

それって、すごいことだなって、あるときから気づき始めたんです。



しかも、おじさんのところは、いっつも列ができている。


多くのビジネスマンがきっと僕のような考えで、気持ちよく500円払っているわけです。


そこで、ある日僕はその靴磨きのおじさんの仕事ぶりをみていて、仕事に関するある重要なことに気づかされたんです。



僕が気づいたことって、何だとおもいますか?

次回に答えをかきますが、もし、何か思いついた方はいつものようにコメントくださいね。



春日原森