(前回 の続き)
ある日僕はその靴磨きのおじさんの仕事ぶりをみていて、仕事に関するある重要なことに気づかされたんです。
それは....
仕事は、一生懸命、必死に打ち込むと、仕事を超えて、はるかに大きな仕事以上のものになるということ。
もしあなたが靴みがきを職業にしていたら、お客様に何を提供しようと思いますか?
もちろん、 『ぴかぴかの靴』 ですよね。
でも、このおじさんが僕に提供してくれたのは、単なる 『ぴかぴかになった仕事用の革靴』 だけだったのでしょうか?
...明らかに違います。
このおじさんから僕が受け取ったものは、本当に無数にありました。
"プロフェッショナルな仕事ぶりの人を見たときのすがすがしい気持ち" や
"そのプロの職人技の手に掛かった靴を履いていることのほこらしさ"
"そこから生じる自分への自信" など。
また、
"冬の寒い日も、夏の暑い日も、誰に文句もいうことなく、誰にほめられることもなく、ただひたむきに自分の仕事をし続けるという生き方への感動と共感"
などなど。
上にあげたものって、明らかに "靴みがき" という仕事が顧客に提供するものの域をはるかに超えていませんか?
そして、こういった多くのものを、彼は、僕以外の多くの人にも与えているわけです。
...彼は、"靴磨き"という仕事を通じて、多くの人に働く姿勢や、生き方、勇気を与えている存在であって。
それらは、全て彼の働く姿勢のひたむきさから生まれてきたのです。
そして、それは、単なる靴磨き という仕事を、はるかに大きく超えていく。
僕は、あるひそれに気づき思ったんです。
"このおじさんを目指そう" と。
人の評価や、結果を目指し、影響力、リーダーシップを身につけたい!とあくせくするのでなく、このおじさんのように、ひたむきな働きぶりによって、結果的に多くの人に、影響を与えられるようなそんな人間になろう と。
別の角度で仕事へのひたむきさというものを語っている一節がありますので、今日それを引用して終わりたいと思います。
「手術は祈りである」ということばのなかには、はるかに最善以上のものが含まれている。それは、医学と医術の限界を知り尽くした名医が、自らの最善を尽くして、その上に神の前にひれ伏し、患者のために手術の成功を祈る姿である。
- 元京都大学総長 平澤興 -
外科医と、靴磨き ってまったく違う職業なのに、なんだか共通のものを感じませんか?
春日原森