最近ブログを見て、メッセージを頂きます。


” 春日原さん っていったい何をしている人なの? ”


” 春日原さんのしている 経営コンサルティング って何をしてくれるの? ”


という感じの。




そこで、僕のしている経営コンサルティングについて、ぼちぼちと書いてくことにしました。

僕が行う経営コンサルティングというのは、基本的に、 会社の成長  にフォーカスしています。


なんでも、やります というタイプのコンサルタントが多いと思うのですが、僕は、成長に伸び悩んでいる 社長に対して、会社を伸ばしていくための具体的な施策 に関するアドバイスのみを行っているのです。


僕は、ベンチャー企業は、その 成長への道筋 の中で、 2つの成長の壁 (成長の棚と僕は読んでいますが) にぶつかると考えています。



27才で起業して10年が経過、今また起業する39歳の起業家のブログ


上のグラフを見てください。



これは、僕が、いろんな会社の社長に時々書いてみせる曲線なのですが。



緑の太い線が、ベンチャー企業の典型的な、売上成長の曲線を、ピンク色の細い線が、ベンチャー企業の典型的な、利益率の成長曲線をあらわしています。


僕の知る限り、およそほとんどといっていい数の企業が、このグラフに書かれたのと同様の成長曲線を描いて、成長していきます。


逆に言うと、およそ、ほとんどといっていい数の企業 が、すべて同様の理由によって、売上成長の壁につかまり、そして、また、利益成長の壁につまづいていきます。


そして、ここが 大事 なのですが、


ですから、僕は、多くの経営者がつかまる、成長課題となる、そうしたポイントを指摘し、具体的にそれを攻略するための方法を教えてあげます。


すると驚くほどに、多くの企業は成長路線にのっていくのです。




業種、業態によって、若干の違いがありますが、売上の成長の壁にぶつかるのは、およそ売上1億円~3億円の規模の企業で、このときの従業員数は5人~15人ぐらい。


利益成長の壁にぶつかるのは、売上20億円~30億円の企業で、このときの従業員は、30人~100人ぐらい。



ですから、僕のお客様に大きな企業様はいません。



次回は、売上、利益の成長の壁のときに、どのような現象がおき、そして、その壁を乗り越えるための施策にどのようなものがあるか、書き進めていきます。




春日原森




前回、前々回からの続きです。はじめから読みたい方はこちらをクリック。


彼は自分自身のビジネスを運営する能力を持っていないし、そのうえ、他人のために役立つことも全くないのだ。


それというのも彼は、雇い主がいつも自分を虐げている、あるいはそういう目的をもって行動しているというおよそばかげた妄想を抱き続けているからなのだ。彼は他人に与えることができない。従って、他人から何かを受け取ることもない。もし彼に、ガルシアに手紙を持っているよう命令したならば、その答えはきっとこうに違いない。「自分で行けば。」


今夜もこの男は仕事を探して通りを歩き続けるだろう。すり切れたコートのほつれからピューピュー風を通しながら。彼をあえて雇おうというものに誰も心当たりはない。それは彼が先頭を切って不平不満をあおるからなのだ。しかも鈍感ゆえにそれが分からない。分からせるには底のあつい革ブーツでけ飛ばしてやるしかない。


もちろん、このような心のねじ曲がった男たちといえども、身体障害者くらいに同情に値することくらい承知している。だが、同情の涙は別の者たちのために流そうではないか。つまり、偉大なる目的のために就業時間など関係なくひたすら努力している人、そして、自分を無視する者やだらしない無能力者、心ない恩知らずたちを率いて苦闘してきたおかげであっという間に白髪を抱えてしまった人たちにこそ流してやるのだ。もし彼らの事業がなくなれば、そんな輩はたちまち貧乏となり、ホームレスになってしまうのだから。


私は言い過ぎてしまったんだろうか? 多分そうなのだろう。だが、世界中がスラムを抱えている今、私は成功してきた男たちに激励の言葉をかけてやりたいのだ。彼ら成功者たちは、その目的のために他の人たちの助けを集め、成功してきたのにも関わらず、何も手元に残らないのである。ただ住む所と着るものを除けば、本当に何もないのだ。


私は弁当箱を持っていって日雇い仕事をしたこともあるし、人を雇ったこともある。だから、両方の立場について何を言うべきかよく分かっている。貧乏なことはそれ自体美徳ではない。襤褸《ボロ》を着ることは誉められることではない。雇い主がみな強欲だとか高圧的だとかいう主張は、あらゆる貧乏人がみな有徳の士であるという主張と同じくらい間違っている。


私の関心は、「ボス」がいようといまいと、同じように仕事をする人に引きつけられる。


彼こそはガルシア宛の手紙を与えられれば黙ってそれを受け取り、無駄な質問もせず、手近な下水道に手紙をこっそり投げ捨てたりせず、よそ事をしないで手紙を届ける男であり、そういう男ならばレイオフ宣告を受けることもなく、高い賃金を求めてストライキを打ったりする必要もない。


文明世界はそのような人間を熱心に捜し続ける一つの長い道程《どうてい》である。


そのような男が求めるものはなんだって与えられるだろう。彼のような性格の持ち主は非常にまれであり、雇い主には彼を手放す余裕など持てないものである。


彼はあらゆる都市、町や村で――どこのオフィスでも店でも、倉庫でも工場でも――必要とされている。


全世界が彼を呼んでいるのだ。


「ガルシアへの手紙を届けられる」人間は、どこでも、本当にどこでも必要とされているのだ。



以上です。


いかがでしたか?


春日原森



後半、多少過激な表現が多いですが、前半のほうには、何度もうなづかれている人は多かったのではないでしょうか?




昨日前回からの続きです。前回を読みたい方はこちらをクリック。


あなたは自分のオフィスに座っている。そして六人の部下を使っているとしよう。

ここで誰か一人を呼びだし、こう命令してみるのだ。


「百科事典を見て、コレッジオの生涯について短いメモを書いてきて欲しい。」


さて、部下はすぐに「分かりました。」と言って仕事に取りかかるだろうか?


おそらくあなたの状況では、そうはならないだろう。

たぶん、どんよりとした目であなたを見つめ、こんな質問をいくつか聞いてくるだろう。


「コレッジオって誰ですか?」


「どの百科事典を見ればいいんでしょうか?」


「百科事典のどこに載っているんですか?」


「私はそのために雇われてるんですか?」


「ビスマルクとは関係ないんですか?」


「チャーリーにやらせたらどうですか?」


「その人は故人ですか?」


「どれくらい急いでやればいいんですか?」


「本を持ってきますから、ご自分でなされたらどうですか?」


「いったい何が知りたいのですか?」


そして、賭けてもいいが、あなたが以上の質問に答え、いかにして資料を探すのか説明し、なぜそれが知りたいのかも話した後に、部下は部屋を出て、他の部下の助けを借りながら、“ガルシア”を探そうと試みた後で、引き返して「そのような男は存在しません。」と報告するだろう。もちろん私が負けるかもしれない。しかし、平均の法則によれば、私は負けはしない。


あなたがもっと賢明であれば、「部下」に対して「コレッジオ」は「K」じゃなくて「C」の項にあるんだよと付け加えることはせずに、にこっと笑って「気にするな」と言って自分で探しに行くに違いない。


こういった自分から行動を起こさず、道徳心のかけらも持ち合わせず、なんのやる気も持たず、みずから進んで気持ちよく頼まれごとを引き受けようとしないなどという行動をするから、真の福祉社会がいつまでたっても実現しないのだ。


自分のためにだって行動を起こさないのに、そんな人たちがみんなのために何か行動を起こすのだろうか?


棍棒でむりやり行動させるナンバー2が必要になるだろう。


土曜の晩にはクビに対するおそれから、実におおぜいの社員が職場にとどまらざるを得ないのである。


速記者を募集しても、十人に九人はスペルも綴れず、句読点の打ち方も知らず、しかもなぜそれが必要なのかすら考えていないのだ。


そのような男にガルシアへの手紙を書かせることができるだろうか?


「あの簿記係、いるでしょう。」ある大工場で工場長がこう言ってくる。


「うん、それがどうした?」


「えぇ、あいつ、計算は立派にやるんです。ですが、あいつを街に使いをさせると、だいたい要件は終わらすんですが、たまに、四軒酒場に寄り道して、大通りについた頃には、何を言われたのか忘れちまってることがあるんですよ。」


こんな男に、ガルシアへの手紙を持っていくよう頼むことができるだろうか?


私たちは最近、「非人間的な工場にて虐《しいたげ》げられた社員」や「すばらしい雇い主を捜す浮浪者」に対する、いささか感傷的な同情の念をよく耳にする。


それにはしばしば、力ある人間に対する厳しい言葉がたくさんくっついていることが多い。


それに対して、雇い主に対してそのように言われることは全くない。


彼らが薄汚いろくでなしに知的な仕事をさせようとむなしい努力を続けた末に、実際の年より老けてしまったり、何もしないのみならず、背中を見せるとサボりだすような人の「助け」を当てにして長いこと我慢強く奮闘しているのに、である。


あらゆる店や工場の中で、無駄を取り除こうという努力が日々続けられている。

雇い主は、仕事での利益を最大限上げるなどという能力を持ち合わせていない「助っ人《すけっと》」を日々追い出して、代わりの人を雇い続けている。好景気の時でさえこのような努力が続けられているのだから、万が一景気が悪くなって仕事がなくなってきたら、よりいっそう人員整理が激しくなり、能力を持たない下らぬ輩は職を失い、二度と仕事に就けなくなってしまうのだ。


それが適者生存というものなのだ。

自己の利益を追い求めんがために、あらゆる経営者がベストを尽くそうとする、これすなわち、ガルシアへの手紙を運べる人を雇い続けることにつながるのだ。


私は最近、才能あふれる紳士と知り合った。


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