architecturephoto.netにcoyaaが紹介されています。
建築系web site"architecturephoto.net"にpivotoの最新作”coyaa”が紹介されています。
東京で開催されています”東京デザイナーズウイーク2011”にて、coyaaを発表しております。
ご興味のある方は、是非とも会場にお越し下さい。
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coyaa関連記事
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フランスの有名料理店”タイユバン”での昼食 by 山中コ〜ジ
せっかくフランス パリに行ったからと、ミシュランガイドに出ている有名料理店へ行く事に。
星を持っているお店は高級との事で、ディナーを避けランチを頂く事になりました。
行ったお店は日本でも有名な”タイユバン”です。
このお店は、1972年から2007年まで33年間も星ミツを獲得し続けた名店だったらしい。
ちなみに現在は二つ星のお店です。
今回の旅で星付きのお店に行く事は計画になかったのですが、知人のアーティスト ノブコ ウエダ氏のご子息がこのお店で働いているとの情報を聴き、ご紹介して頂いたと言うご縁です。
ドレスコードが有るお店ですが、色々なパーティーに出席する予定で出かけていたので服装はクリアしました。
お店に入り自己紹介をし、Shohei Moriの知人ですと話すと、厨房に通されました。
これは非常にラッキーなことです。
厨房では、慌ただしく働くコックさんが大勢いました。
何とも清潔感のある厨房です。
奥からシェフのALAIN SOLIVERES(日本語読みで来ません)が出て来てくれました。
少し遅れてShohei君も出て来てくれました。
折角だから同行した小山幸容氏と原麻由美と記念撮影。
席に付き、メニューをみる。
三人とも敢えて別々のオーダーをしました。
出されるお料理に合わせて、それぞれのワインが注がれます。
確かにお料理とワインの食べ合わせが最高に良く、お料理の美味しさが増します。
美味しい食事に、美味しいワイン、気の合う仲間と談笑しながらの食事は本当に幸福な一時です。
出されるお料理に合わせて数種類のワインを頂くと、デザートが出される前にお腹一杯でほろ酔い状態でした。
流石はフランス人だと思うのが、食べる量が非常に多い事です。
少し離れた席で食事されていた老夫婦も、同じくらいの量を二人とも食べておられました。
そして、お料理に対するこだわりは凄いと、改めて感じさせられました。
最近では日本食がフランスでもブームだとか、それが影響したかどうかは分かりませんが、以前はバターの濃厚なお料理が多かったフランス料理も、最近ではあっさりしたお料理が増えて来たと言う話を伺いました。
それでもソースは濃厚で美味しい。
素材よりも技術でお料理を美味しくしている手法は、まさに京料理の様な印象を受けました。
また、ミシュランガイドの星を持つお店の条件として、お料理の味は勿論ですが、お店の設えや雰囲気、サービスなどが一体となって星が与えられるとのこと。
食文化は味だけではないという事を、評価項目に入れている事に文化の高さを感じさせられます。
京料理でも名店と言われるお店に行けば、器からお店に至るまでのこだわり方が全く違います。
この文化は我々も大切にしていきたいと改めて感じさせられました。
TAILLEVENT ←
GENETO
山中コ~ジ
ラ・ヴィレット公園 @ paris by 山中コ〜ジ
それにしてもパリの街には、近代建築の名作と言われる建築が多いです。
もちろん、これまで歴史に残る名建築も残っており、その両方が共存してひとつの都市を成り立たせている事は、本当に驚かされる。
ラ・ヴィレット公園もそのひとつで、1982年建築家バーナード・チュミがコンペに勝利しました。
このコンペも国立図書館同様、当時は大変話題となったコンペだったらしい。
僕は当時3歳だったので、この話題はリアルタイムで知りませんが、ラ・ヴィレット公園について、大学の授業でも学ぶし、調べれば直ぐにわかります。
公園として使われる敷地は35ヘクタールとかなり大きく、20世紀を代表する公園として計画されたもので、注目度も高かった事でしょう。
さらに一等案が決まらず、バーナード・チュミ(建築家)、レム・コールハース(建築家)、ジル・ヴェクスラール(造園家)、ベルナール・ラシェス(造園家)の4名が、再度コンペを闘い現在の案であるバーナード・チュミ案となったという経緯を持っています。
公園のコンペだけあり、建築家と造園家が闘うと言う状況も面白そうに思えます。
ただ、公園だけではなく「科学産業都市」「音楽都市」「グランド・ホール」「ロック・コンサートホール」というプログラムも組み込まれていたことから、建築家が有利だったのではないかと思われます。
また、このラ・ヴィレット地域はパリの北東部に位置しており、メトロで行っても終着駅だったはずです。
建設当時は郊外で都市環境も良く無かったらしい。
都市環境の改善も目論みにあった公園の計画は、僕が行って実際に見た限りではその役目を果たせているのではないかと感じました。
勿論、移民風の人は多く見かけましたが、劣悪だという印象は無くなっていました。
この公園は120m四方に割られたグリッドの交点に、フォリーという建築を配置していくというプロジェクトです。
このフォリーという建築は、赤一色で作られており、様々なプログラムを持って配置されています。
カフェやインフォメーション等、様々な用途を予め持って建った物と、オブジェとして建った物とがあります。
ラ・ヴィレット公園内で最も大きな建築物”ラ・ヴィレット科学産業都市”はアドリアン・ファンシルベールという建築家がリノベーションをおこないました。
本当に巨大な建物で、公園のスケール感とは合っているものの、なんとも言いようが難しい建築物です。
ラ・ヴィレット公園での印象を少し書いておくと、公園のポイントとなるフォリー(点)とギャラリー(線)と庭園(面)の3つが互いに影響しながら共存しているのですが、必ずしも上手くいってないように感じました。
庭園部分とフォリーが上手く連動してる所は、上手く機能しあっているのでしょうが、関係性を持たないオブジェ化しているフォリーについては、廃墟化した様な状態になっていた点です。
また、この赤いフォリーが存在感をことさら誇張しているので、ここまで形状も色もアピールする必要性があったのかどうか疑問さえ持ち出してしまいます。
もう少し上手く人々の行動に馴染んでいたら、ここまでの隔絶した印象を受けなかったのかも知れません。
ただ、この形状と色が当時は非常に斬新で、他に類を見ないインパクトを持っていた事は理解出来ます。
次回、この公園を訪れる際は、何かしらのイベントがされている時を狙って来てみたいと思わせました。
きっと、今回とは違う顔を見せてくれるのではないかと思います。
僕にとってバーナード・チュミの建築を見るのは始めての経験でしたが、日本ではなかなか見る事の無い建築のスケール感や、ディテールを堪能し、本当に学ぶ事が多い建築でもありました。
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Bernard Tschumi Architects ←
GENETO
山中コ~ジ
もちろん、これまで歴史に残る名建築も残っており、その両方が共存してひとつの都市を成り立たせている事は、本当に驚かされる。
ラ・ヴィレット公園もそのひとつで、1982年建築家バーナード・チュミがコンペに勝利しました。
このコンペも国立図書館同様、当時は大変話題となったコンペだったらしい。
僕は当時3歳だったので、この話題はリアルタイムで知りませんが、ラ・ヴィレット公園について、大学の授業でも学ぶし、調べれば直ぐにわかります。
公園として使われる敷地は35ヘクタールとかなり大きく、20世紀を代表する公園として計画されたもので、注目度も高かった事でしょう。
さらに一等案が決まらず、バーナード・チュミ(建築家)、レム・コールハース(建築家)、ジル・ヴェクスラール(造園家)、ベルナール・ラシェス(造園家)の4名が、再度コンペを闘い現在の案であるバーナード・チュミ案となったという経緯を持っています。
公園のコンペだけあり、建築家と造園家が闘うと言う状況も面白そうに思えます。
ただ、公園だけではなく「科学産業都市」「音楽都市」「グランド・ホール」「ロック・コンサートホール」というプログラムも組み込まれていたことから、建築家が有利だったのではないかと思われます。
また、このラ・ヴィレット地域はパリの北東部に位置しており、メトロで行っても終着駅だったはずです。
建設当時は郊外で都市環境も良く無かったらしい。
都市環境の改善も目論みにあった公園の計画は、僕が行って実際に見た限りではその役目を果たせているのではないかと感じました。
勿論、移民風の人は多く見かけましたが、劣悪だという印象は無くなっていました。
この公園は120m四方に割られたグリッドの交点に、フォリーという建築を配置していくというプロジェクトです。
このフォリーという建築は、赤一色で作られており、様々なプログラムを持って配置されています。
カフェやインフォメーション等、様々な用途を予め持って建った物と、オブジェとして建った物とがあります。
ラ・ヴィレット公園内で最も大きな建築物”ラ・ヴィレット科学産業都市”はアドリアン・ファンシルベールという建築家がリノベーションをおこないました。
本当に巨大な建物で、公園のスケール感とは合っているものの、なんとも言いようが難しい建築物です。
ラ・ヴィレット公園での印象を少し書いておくと、公園のポイントとなるフォリー(点)とギャラリー(線)と庭園(面)の3つが互いに影響しながら共存しているのですが、必ずしも上手くいってないように感じました。
庭園部分とフォリーが上手く連動してる所は、上手く機能しあっているのでしょうが、関係性を持たないオブジェ化しているフォリーについては、廃墟化した様な状態になっていた点です。
また、この赤いフォリーが存在感をことさら誇張しているので、ここまで形状も色もアピールする必要性があったのかどうか疑問さえ持ち出してしまいます。
もう少し上手く人々の行動に馴染んでいたら、ここまでの隔絶した印象を受けなかったのかも知れません。
ただ、この形状と色が当時は非常に斬新で、他に類を見ないインパクトを持っていた事は理解出来ます。
次回、この公園を訪れる際は、何かしらのイベントがされている時を狙って来てみたいと思わせました。
きっと、今回とは違う顔を見せてくれるのではないかと思います。
僕にとってバーナード・チュミの建築を見るのは始めての経験でしたが、日本ではなかなか見る事の無い建築のスケール感や、ディテールを堪能し、本当に学ぶ事が多い建築でもありました。
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