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竹鶴政孝さんのお話し…その2

皆様、こんにちはニコニコ


神戸港を出発した竹鶴さんはサンフランシスコ経由で葡萄酒づくりを見学した後、英国のリバプール港に到着。出発から、はや半年が過ぎていました。

実は何もツテもなく持っていたのは英語で書かれた大阪高等工業醸造学科の卒業証明書だけ。スコットランドにあるグラスゴー大学とロイヤル工科大学の門をたたくが日本で学んだ以上の内容はなかった。
ここまで来てあきらめて帰るわけにいかなかった竹鶴さんはロングモーン・グレンリベット蒸留所(現ロングモーン蒸留所)に直談判に。
当時のJ・R・グランド工場長は「ウイスキーづくりは本を読んだだけじゃだめ」と、初めて見る日本人の突然の訪問にもかかわらず、快く職人と一緒に働くことを受け入れ、紹介料や謝礼は必要なかった。

一週間の研修で竹鶴さんは・釜をたたいた反響で蒸留具合を知る
・最高のウイスキーは高価なシェリー樽で熟成する
など、書物では得られない体験をします。

目と肌と鼻で学んだの一週間の経験は本物のウイスキーをつくるという信念をより確固たるものにしこの「本物」へのこだわりは、竹鶴さんの一生の課題になっていきます。

竹鶴さんの物おじしない体当たり精神が、後々まで人生をあと押ししていくことに。

今日はこのあたりで終わり。
次回は竹鶴さん「運命の出会い!? 」。
続く

高野

竹鶴政孝さんのお話し…その1

皆様、こんにちはニコニコ


今日はニッカウイスキー創業者竹鶴政孝さんについてビックリマーク

竹鶴政孝は明治27年、塩田で栄えた広島県竹原町(現竹原市)に竹鶴酒造の家の三男として生まれます。
政孝は好奇心旺盛で相当な暴れんぼうで大人になっても少年時代の傷があちこちに残っていたそうです。

中でも極めつけは八歳の時の、鼻の大怪我で二階から階段を転がり落ちて顔を強打、七針縫ったそうで政孝さんはこのけがで大きい鼻がさらに大きくなって酒類の芳香を人一倍きき分けられるように。人生を左右する、けがの功名だったと語っています。

酒づくりに興味を持った政孝さんは大阪高等工業高校(現大阪大学)醸造学科に進学。そこで洋酒の世界に興味を持ち卒業後当時、洋酒メーカーのトップだった大阪の摂津酒造に就職。
摂津酒造は日本で初めて本格的なウイスキーをつくりたいと考えていたこともあり夢を若い政孝さんに託しスコットランド留学へ。

大正7年6月、神戸港を出発します。
見送りには社長をはじめ摂津酒造の社員一同、竹原から両親も。その中には寿屋の鳥井信治郎(後のサントリー創業者)、山本為三太郎(後のアサヒビール初代社長)の姿もあったそうです。


つづく

高野

キャンドルの中…

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