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カクテルの由来…その2

皆様、こんにちはニコニコ

今日は竹鶴さんのお話しはおやすみ。
カクテルの由来…その2をお話しします!!

1鶏尾説
アメリカ独立戦争たけなわなころ、ニューヨーク市の北にエムスフォードというイギリスの植民地がありました。バー『四角軒』では、美女の経営者ベティー・フラナガンが独立軍の兵士たちに酒をふるまい、力づけていました。
ある日彼女は、反独立派の大地主の家に忍び込み、みごとな尻尾を持つ雄鶏を盗みだしロースト・チキンにして兵士たちにふるまったそうです。兵士たちは、チキンをつまみにして酒を飲み、さてもう一杯分おかわりをとバック・バーを見ると、ミックスされた酒のビンに雄鶏の尻尾がさしてありました。そこで、兵士たちは、チキンの正体を知り「カクテル万歳」と呼び、そのミックスされた酒を注文するときCocktail(カック・テール)といって注文するようになりました。
これが「カクテル」の始まりと始まりである…。

2ドック・テール説
イギリスのヨークシャー地方で、雑種の馬の尻尾を切って純血種の馬と区別していた。この尻尾を切った馬をさすドック・テールがコックテールになったというもの。
混ぜた飲みものを、雑種の馬になぞらえたというわけですが、この説を支持する人はほとんどいないそうですよ。

今日はアメリカ説、イギリス説について書いてみました。

高野

竹鶴政孝さんのお話し…その4

皆様、こんにちはニコニコ

今日も竹鶴さんのお話し。

ヘーゼルバーン蒸留所の工場長は、恩師の友人だったこともあって数ヶ月の研修することが出来ました。
それまで訪ねたほとんどの蒸留所でメモや質問は断られ、トイレに行っては忘れないようにメモしていたそうです。

竹鶴さんがここで得た知識を記録したノートが今も残っています。具体的なウイスキーの製造方法から、酒税や社員待遇問題、販売方法まで、几帳面なきれいな文字で記録したノートから、帰国後のウイスキー工場の青写真ができあがっていたこともがうかがえます。
ジェムストーンに綺麗に複写したノートがあります!!是非、見たい方スタッフに言って下さい。

ヘーゼルバーン蒸留所は現在は閉鎖中、キャンベルタウンに残る蒸留所は2ヶ所のみになっています。
その一つが日本にもファンの多いスプリングバンク蒸留所です。マーケティング担当のケイト・ライトさんは「ここは昔と変わらない製法ですので、タケツルさんの学んだころのウイスキーの個性を一番残していると思います。この町の良く知られた地名であるヘーゼルバーンの名前をつけたウイスキーを1997年からつくり始めました」

現在、日本にも時々入荷されますが残念ながらジェムストーンにはありません。スプリングバンクはありますので是非、一度お試しください。


続く


高野

竹鶴政孝さんのお話し…その3

皆様、こんにちはニコニコ
今日もまた竹鶴さんの話の続きをお届けします。


ロングモーン蒸留所での一週間の研修を終えた竹鶴さんはグラスゴー大学に戻り図書館通いを続けていた。

留学から半年過ぎたころ、ホームシックになり、枕を濡らす夜も多かった。そのころ同じ大学の友人の姉、リタに出会い、これが竹鶴さんにとって運命の出会いとなる。

初めて出会ったのは留学した年の夏。ピアノを弾くリタは、竹鶴さんが鼓を持ってきていることを知り、二人で「蛍の光(スコットランド民謡)」を合奏した。その秋には竹鶴さんは香水をリタに贈り、リタは返礼にバーンズの詩集を贈った。
冬には、クリスマスに招かれた。リタの家では毎年、銀貨と指ぬきを入れた大きなケーキを作る。そして切り分けられたケーキのなかに、銀貨と指ぬきが入っていれば、将来結ばれるという言い伝えがあった。その夜、銀貨が政孝の、指ぬきがリタのケーキからでてきた。

そうして次第に心を通わせていった二人だが竹鶴さんには帰国してやらなければないことがあった。
竹鶴さんは「もしあなたが望まれるなら、日本に帰るのを断念して、この国に留まってもいいと考えています」と言うと、
リタは「私たちは・・・スコットランドに留まるべきではありません。マサタカさんは大きな夢に生きていらっしゃる。わたしもその夢を共に生き、お手伝いしたいのです」と返事を返したという。
リタは、竹鶴リタとして日本で生きる決意を固め、そして二人は結婚した。そして二人は次に研修をする蒸留所のあるキャンベルタウンのヘーゼルバーンに向かったのだった。


今日は竹鶴さんとリタが出会い結ばれるまでのお話しをしました。
次回は「ヘーゼルバーン蒸留所」での研修を…。

続く


高野