今更ながらベタで恐縮ですが、子育てでよく言われることに、
「自分の子どもをよその子どもと比較しない」
というのがあります。
ましてや、
「よその子どもと比較した挙句、劣っていると思われる点を子ども本人に指摘する」のはNG
と言われています。
そんなことをすると、子どもの自己肯定感がズタズタになってしまうからです。
親に面と向かって反抗することができない代わりに、不登校や身体愁訴という形で表れるかもしれません。
あるいは、親の前ではいい子を演じるけど、学校ではイジメの常習犯になってしまうかもしれません。
しかし、それをやってしまう親の大半は、やっている自覚がないか、または罪悪感なくやっている場合がほとんどかと思います。
そういうことをする親も、子どもの時に同じことをされて育ってきた可能性が高いからです。
かくいう私がそうでした。
両親は常に私を他の誰かと比較し、劣っていると思われる点を逐一指摘していました。
私も比較されるのは嫌でしたけど、あまりに頻繁にされていたせいか、もはや感覚が麻痺していました。
私の育った時代・育った地域では、私の両親が特別にひどい毒親ではなかったのかもしれません。
よその家の親たちも、そういうことを当たり前のようにしていたような気もしますし。
自分の子どものレーダーチャートで欠けた部分を常に見つけて補い続けることが「継続的改善」と誤解され、親としての義務とされてしまっていたのかもしれません。
私は自分が父親になってからも、どうやらそうしたことを自分の子どもにしてしまっていたようなのですが、妻に指摘される迄は全く無自覚でしたし、指摘されてもなぜいけないことなのか当初は理解できませんでした。
もし結婚していなければ、もし子どもができなければ、そういうことには一生無頓着だったかもしれません。
それがいけないことだと分かるようになってから、物事の見方が変わったような気がします。
- 私自身の長年に及ぶ何かしら霧がかかったような精神状態、慢性化していた身体の凝りや不調もそれが原因だったかもしれないこと。
- 職場とかでいつもピリピリしている人、いつも誰かをいじめている人、平気で人を蹴落としたり陥れたりする人も、ひょっとしたらそのように刷り込まれてしまい、おそらくはそれに気づかないまま一生を終える可能性が高いこと。
こういうこともする人たちも、きっとそうなのでしょうね。
- 自分より勉強ができる人に対しては、自分は運動ができるとマウントを取る。
- 自分より運動ができる人に対しては、自分は勉強ができるとマウントを取る。
- 自分より勉強も運動もできる人に対しては、嫉妬心をあらわにし、欠点を見つけ出すことに躍起となる。
こんなことを四六時中考えていたのでは、何をやっても幸せも安らぎも感じることはできません。一歩間違えば自分もそうなってしまっていたのかもしれません。
自分の子どもをそのような育て方をしてそのようにしてしまうのが、いかに深刻なことなのか、これでお分かりいただけたかと思います。
ひょっとしたら、これがいけないことではなく、むしろ美徳だと刷り込んでしまうような学校もあるかもしれません。簡単に転校というわけにもいかないでしょうから、そういう場合は親が子どもを守るしかないと思います。
偉そうな書き方になってしまい恐縮ですが、自分の子をよその子と比べて腹が立ってしまう時は、まずは自分の生き方を見直してみた方がいいのかもしれません。