苫小牧(とまこまい) ('02.6.3)
昨日から何度もバスで通った交差点。
ちょうど低学年生が下校する時間帯だったようだ。
私も二十数年前は、こんな感じだったのだろう。
交差点の角にデンコードー。
この辺りではひときわ大きな建物で、よく目立つ。
もちろん昔はなかった。
昔ここに何があったかは思い出せない。
- 緑ヶ丘公園とかスポーツセンターとか(苫小牧)
- 母校・若草小学校へ行ってみた(苫小牧)
- 昔住んでた室蘭本線沿いの家(苫小牧)
- 博物館と図書館で昔を懐かしむ(苫小牧)
小学生の頃に住んでたマンション。
当時とまったく変わっていない。
線路沿いにあるので、実は北斗星に乗ってたときに見ていたのだが。
しかも、周りの風景もだいたい一緒だった。
向かいの公園の遊具も、色が違うだけでほとんど当時からあったもの。
公園の隣には、昔通っていた幼稚園。
こちらは遊具が増えているような気がする。
この線路わきでは、「さようならSL」を見た記憶がある。
多分、現在秋葉原の交通博物館に展示されている、あのSLだと思う。
それと、ここには50両編成の貨物列車がよく通っていて、通り過ぎるまでずっと見ていたものだ。
今とは違って、当時の貨物列車には、いろんな車両がつながっていて、見飽きなかった。
※1975年(昭和50年)12月14日、日本最後(観光列車を除く)の、蒸気機関車が牽引する旅客列車が、ここを含む室蘭-岩見沢間を走行しました。
牽引機はC57 135。秋葉原の交通博物館は2006年(平成18年)に閉館したため、翌2007年からは、さいたま市の鉄道博物館で保存されています。
↓産経新聞の公式YouTubeチャンネル「産経ニュース」より
裏の自動車学校も、その奥の生協も当時の場所にあった。
変わったのは、線路を通る電車の形くらいだろう。
上の写真ではスーパー北斗が通っているが、これを撮るのに5分以上待った。その間、まったく電車が来ないのだ。
むしろ上空を飛ぶ飛行機のほうが多いくらい。
明日の移動は苦労するかも。
※当時、特急「北斗」のうち、キハ281系が使われていたものは「スーパー北斗」と呼ばれていました。
2018年でキハ183系が北斗に使われなくなったこともあり、2020年から列車名は「北斗」に統一されています。
3時20分。スーパー北斗が撮れたので、ここを離れることにした。
しかし、あまりにも当時のままなので、にわかには去りがたく、さらに10分ほどここにいた。
「公園横断ウルトラクイズ」とかやったのを思い出した。
さらに近所をいろいろ見て回って20分。
歩いてホテルまで戻ることにする。ゲーム路銀をそろそろ抑えたい。
記念切手を買いによく行っていた郵便局の前を通って、4時18分、駅に着く。
明日東京に帰るつもりで、北斗星の特急券を買うために来たのだが、ここで気づいたことがある。
明日北斗星に乗ってしまうと、(サッカーワールドカップの)日本VSベルギー戦が見られない!
考えた末、帰るのを1日先に延ばすことにする。
4時55分、宿泊しているホテルの部屋に戻る。歩きすぎてバテる。ごろごろする。
6時になってようやく、明日の宿の予約をとる。
さらにごろごろする。そのまま寝る。
目が覚めたら6時45分。休みすぎた。
食事&ゲーム路銀稼ぎに出よう。
予報ではもうやんでる頃だからと、傘を持たずに出掛けたら、出て歩いた途端に雨。
小雨程度だから、そのまま歩いていったが、どんどん本降りになっていく。
サンプラザに飛び込み、夕食。200グラムのステーキが苦もなく胃に入る。
サンプラザを出たら、既に8時だった。
空腹はおさまったが疲れはおさまらず、また時刻も遅いので、ゲームコーナーには寄らずに戻ることにする。
……雨はまだ降り続いていた。
しかたない、バスを使おう。と、バスターミナルに歩きかけたときに雨がやむ。
これなら歩ける、と、歩き出して3分もたたないうちに大雨。
笑いのツボをよく心得た雨である。
でも、降ったりやんだりということは、この大雨も長続きしないだろう。
そう考えた私は、通りがかったビルの入口前で雨宿り。
……そのまま15分待つが、一向にやむ気配がない。
走る!
赤信号にあたる!
街路樹の下に入る!
水たまりにハマる!
そんなこんなで、徒歩8分の道のりを、30分以上かけて、ほうほうの体でホテルにたどりついた。
もしここで雨がやんだら、コントとして完結していたのだが。
ホテルでイタリア-エクアドル戦を見る。2-0でイタリア勝利。
現在のゲーム路銀
-\1,130
※最近の「日本縦断ゲーセン紀行」はこちら。
俳優・八名信夫氏の著書『悪役は口に苦し』(小学館)の中で、それぞれの時代背景について補足説明する文章を、少しだけ書いてます。