【ミレニアムの銚子電鉄を回顧】 ダイジェスト | ゲイムマンの日本縦断紀行 + ご当地ゲーム制作・配信

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ゲーセンでゲームをプレイし、1面クリア毎に増える“ゲーム路銀”を交通費にして日本縦断を目指す「ゲーセン紀行」でしたが、ゲーセン巡りよりも、普通の観光旅行の方が主になってしまいました。

現在このブログ上でゲーム『香川県からの脱出』を制作・配信中。

銚子電鉄といえば、お金がないことを自虐ネタにして、「まずい棒」や「鯖威張る(サバイバル)カレー」など多数のグッズを販売していることで有名です。

 

 

 

でも西暦2000年には、初日の出が全国で最も早く見られることが大きな話題となり、いわゆるミレニアムの2000年と、翌年、21世紀最初の初日の出となる2001年には、多くの観光客が訪れました。
当時から銚子電鉄の経営は厳しかったようですが、それでも、ぬれ煎餅の売れ行きが好調で、鉄道事業の赤字をかなり埋めていることが注目され、またユニークな駅舎が数多くあったことも話題になっていました。

 

 


それらの駅舎は現在、建てられた当時とはかなり異なる姿になってしまいましたが、私が初めて銚子を訪れた2000年には健在でした。ただし、ちょっとしたツッコミどころも多々ありまして……。

今年の1月から2月にかけて、2000年当時の銚子電鉄の旅を、それら駅舎の写真を多めに掲載しつつ振り返っていく、「ミレニアムの銚子電鉄を回顧」という記事を当ブログにアップしました。
(もともとは1999年から2001年にかけて、私のサイトで行なっていた企画、「東京から仙台まで ワンダー・スワンの旅」の一部)

しかしこのときは「鉄道コム」にまだ登録していなかったので、あらためて「ミレニアムの銚子電鉄を回顧」(全7本)の内容をこのページにまとめ、それぞれのページへのリンクを貼ることにします。

 

銚子電鉄公式サイトはこちら

 

鉄道コム

 

【ミレニアムの銚子電鉄を回顧(1)】
銚子駅ホームの風車
 

銚子駅

 


2016年から2018年にかけて建て替えられる前の、JR銚子駅。
1948年(昭和23年)、旧海軍の飛行機格納庫を転用して造られた。ホームがむちゃくちゃ広い。

 


「ミレニアム初日の出」の次は、21世紀初日の出ということで、駅の待合室前に「世紀越えカウントダウン 21世紀 西暦2001年まで あと345日」と記されたボードがあった。

 

駅の近くには利根川と、そこに架かる全長1,450メートルに及ぶ銚子大橋。
(私が見たのは1962年(昭和37年)に完成した橋だが、2013年(平成25年)に架け替えられた)

 

また、ヒゲタしょうゆの工場と史料館がある。
平日なら工場見学できるそうだが、この日は土曜日で工場が休みだった。

 

 


JR銚子駅のホームの端っこが銚子電鉄の乗り場。ぐるぐる回るオランダ風の風車が目印。
(風車は後に破損したため取り外され、現在見ることはできない)

 


車両は1両編成の電車。このときはデハ1000形だった。
営団地下鉄(現・東京メトロ)銀座線2000形が種車で、営団地下鉄日比谷線3000系や、富士急行モハ5700形(もともとは小田急2200形)の、パンタグラフや台車などが組み合わせられている。
(デハ1001は後に、ゲーム『桃太郎電鉄』のラッピング車両となり、末期は銀座線のオレンジ色に塗り替えられた。2016年引退)

 

2)ヒロミさんがリフォームする前の本銚子駅 

仲ノ町駅、観音駅、本銚子駅

 


銚子電鉄の本社がある仲ノ町駅。四方全てをヤマサ醤油の工場に囲まれている。


“日本一小さな機関車”デキ3号と、トロッコ列車「澪つくし号」

 


次の観音駅は、古くから町の中心にある飯沼観音の最寄り駅。
スイスをイメージした洋風の駅舎で、2017年まで、銚子電鉄直営のたいやき屋さんがあった。

 


本銚子駅は、木造の小屋があるだけの無人駅だった。
(この本銚子駅こそ、2017年の『24時間テレビ』の企画で、ヒロミさんの手によってリフォームされた駅である)

 

銚子ポートタワーに向かって歩く途中、川口神社という神社があった。
東日本には珍しく、安倍晴明の伝説があるが、その内容が晴明のイメージとはおおよそかけ離れたもので、どうしてこのような伝説が生まれたのか謎。

 

3)銚子ポートタワーと文学碑 

(銚子ポートタワー、)西海鹿島駅

 


銚子ポートタワー。全高57.7メートル。
展望台の高さは46.95メートルだが、タワー自体が高台にあるので、海抜は60メートルになる。
全日本タワー協議会に加盟する、16のタワー(当時)の1つ。(現在加盟しているタワーは19ヶ所)
併設されている「ウオッセ21」では、海産物を中心に、銚子の特産品が販売されている。

 

黒生(くろはえ)漁港まで歩き、いったん内陸に入って、国木田独歩の文学碑を見る。独歩は銚子出身。

 


その昔アシカがいたことから名がついたという海鹿島(あしかじま)海岸。ごつごつした岩の多い海岸だ。

 

このあたりには国木田独歩碑のほかにも文学碑が多い。
「河童の芋銭」として知られた画家、小川芋銭(うせん)の句碑。
明治から戦後まで活躍した政治家、尾崎咢堂(がくどう)(尾崎行雄)の歌碑。
そして竹久夢二の『宵待草』の詩碑。この詩は海鹿島の南、君ヶ浜海岸で書かれたものだそうだ。

 

歩いて海鹿島駅へ進もうとしたが、夜の住宅街で道に迷った。

 


結局、海鹿島駅の1駅手前、西海鹿島駅でこの日の旅を終えた。

 

4)君ヶ浜駅の失われたアーチ、そして犬吠埼灯台 

海鹿島駅、君ヶ浜駅

 


後日、あらためて海鹿島駅へ。関東最東端の駅。
海沿いに南へ進むと、ごつごつした岩場から一転、なだらかな砂浜の海岸が姿を現した。

 


君ヶ浜しおさい公園。右側に小さく見えるのは犬吠埼灯台。
ここから内陸側へ5分ほど歩くと、次の君ヶ浜駅に着く。

 


君ヶ浜駅。
歩いてる途中からこのゲートは見えていたが、こうして間近で見ると、その大きさと奇妙さに圧倒される。
こんなゲートがありながら、この駅には駅舎がない。
白亜の大アーチと、プレハブの待合室を持った無人駅。
いつまでもこのまま、ツッコミがいのある状態で、残っていてほしいと思っていたのだが……。

 

(残念ながら、2007年にこのゲートは撤去されてしまい、柱のみが残っている。
最近では命名権により、副駅名が「ロズウェル」となったことで話題に。UFOの目撃情報が多いのだとか)

 

再び公園に戻り、海岸伝いに犬吠埼を目指す。いよいよ犬吠埼灯台の真下までやってきた。

 

5)賑わう犬吠埼灯台と犬吠埼マリンパーク 

(犬吠駅周辺)

 


関東の東の端、犬吠埼に立つ犬吠埼灯台は、明治7(1874)年に完成・初点灯した。
地上31.3メートル(灯火までは27メートル、海面から灯火までは51.8メートル)で、青森県の尻屋埼灯台に次いで日本で2番目に高い、レンガ造りの建造物だそうだ。
(2020年、重要文化財に指定された)
 
灯火の周りが黒っぽく見えるが、この黒いのはみんな人影。
観光客が灯火の周りを、ぐるりと囲んでいるのだ。

 

私も上ってみた。99段の螺旋階段を上った先に、急なハシゴ段が13段ある。
このハシゴは人間一人がやっと通れるだけの幅しかなく、ここがボトルネックになって、上がる人と下りる人がすれ違うのに時間がかかった。

なにぶん明治の建物。しかも灯台。設計したブラントンさんも、こんなに多くの人が一度に上ってくることは想定していなかっただろう。

 


灯台の上から見た君ヶ浜の海岸。銚子ポートタワーも見える。

 

近くの犬吠埼京成ホテル(現・絶景の宿 犬吠埼ホテル)の敷地内に、佐藤春夫と尾張穂草の碑がある。
その横では、温泉掘削工事が行われていた。
(犬吠埼ホテルの温泉露天風呂は、多分このとき掘られたものと思われる)

 

 

続いて、犬吠埼マリンパークへ。

 

「ながすくじらのペニス」が展示されてたり、動いて煙を吐く首長竜の首が迫力ありすぎて、小さな子供が泣き出したり。

ツッコみがいのある展示もあったが、ユニークな魚がいっぱいいたし、大きな水槽でタカアシガニやピラルク、ピラニアを見ることもできたし、かなりおもしろい水族館だと思う。
屋上の展望台からの眺めも見事。

この水族館の大きな売りだったイルカのショーは、時間が合わなくて見られなかった。

(犬吠埼マリンパークは、2018年に閉館した)

 

マリンパークの向かいに、高浜虚子の句碑があった。

 

ここから犬吠駅へと向かう。

 

6)タイル張りだった犬吠駅と、その周辺の施設と絶景 

犬吠駅

 


関東の駅百選、犬吠駅。
君ヶ浜駅のようなツッコみがいのある駅を想像してたのだが、実際来てみたらまあこんなにオシャレ。
駅舎もそれなりに大きいし、駅前広場もきれい。

 

(駅舎の正面には絵タイルが張られていたが、後年だんだんはがれてきていた。2013年にリフォームされ、現在は駅名標のみタイルが残っている)

(当時、駅の中でぬれせんべいが焼かれていた。現在は、たい焼き屋が営業している)

(犬吠駅の駅前広場には、2007年に『桃太郎電鉄』の貧乏神と犬を組み合わせた、「貧乏がイヌ」像が建てられた。
同時に仲ノ町駅には「貧乏がサル」像、笠上黒生駅には「貧乏をトリ」像が設置されている)

 

この当時、駅の中には、日本画家・後藤純男氏の作品を展示する美術館があった。
(2004年に閉館。2014年から、鉄道写真家・中井精也氏の美術館、「銚電写真館・中井精也ギャラリー」がオープンした)

 

 

駅前広場に置かれた車両が、そのままレストランになっていた。
ここで昼食。マグロづけ丼を食べた。

 


この景色を見ながらマグロづけ丼というのはミスマッチかもしれないが、せっかく銚子まで来たんだから、海のものを食べたかったのだ。
(車両レストランは後に閉店し、車両も老朽化のため解体された)

 

近くの満願寺というお寺に参拝。見た目がずいぶんゴージャスなお寺。
高さ4.3メートルの十一面観音と、百尊の観音像が安置されている。

 

キャベツ畑の中の道を通って、「地球の丸く見える丘展望館」へ。
屋上から、看板に偽りなしの眺望が広がる。

 


海の向こうの断崖は屏風ケ浦。

 

犬吠駅に戻って、終点・外川行きの電車に乗った。

 

7)素朴な外川駅と、外川漁港の夕暮れ 

外川駅、笠上黒生駅

 


銚子電鉄の終点、外川(とかわ)駅。
鉄道ファンに人気の銚子電鉄だが、犬吠や観音のような派手な駅ばかりではなく、この素朴な外川駅も、人気を集めているようだ。
(現在の外川駅は、正面にあった自販機が移設されるなど、より風情が増したようだ)

 

細い道をまっすぐ下って外川漁港に出て、左に曲がり、突き当たりの長崎鼻に建つ、円筒形の灯台を見る。

 


外川漁港に戻った。夕日が水平線に沈みつつある。

 

そのまま海沿いの道を進む。
千騎が岩(せんがいわ)という大きな岩がそびえる。源義経が千騎の兵とともに立てこもったという伝説がある。

 

3頭の白い犬に追いかけられながら、外川駅まで戻ってきた。ちょうど停車中の電車に間に合った。
もう真っ暗で景色は見えないけど、1駅だけ立ち寄ってない駅があるので、せっかくだから降りてみた。

 


笠上黒生(かさがみくろはえ)駅。難読駅名の多いこの銚子電気鉄道線でもとりわけ難読。
銚子電鉄で唯一、上り下りの電車がすれ違える(交換可能駅)。タブレット交換が見られる(正確には、当駅から外川駅まではスタフ閉塞式)。

 

(現在では「髪毛黒生(かみのけくろはえ)」という愛称(副駅名)で注目されることの多い駅。
銚子電鉄では各駅の“愛称”の命名権を販売しているが、どの駅でも駅名標にこの愛称が、正式名称よりはるかに大きく、目立つように書かれている)

 

ぬれせんべいを食べながら電車を待つ。
銚子駅まで戻り、特急しおさいに乗り換えて、帰路に就いた。

 


(これは別の日に東京駅で撮った写真だが、この時代の特急しおさいには、国鉄時代からの183系、しかももう珍しくなっていた0番台(正面の扉が開いて、別の編成と連結できる「貫通形」)が充当されていた)

 

 

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