駿河徳山('09.12.1)
ホームに出た。構内踏切の鐘が鳴り、まず金谷行きの南海電車が到着。
続いて、私が乗る午後2時2分発の千頭行きが来る。
もと京阪の特急車3000系だ。昭和40年代後半から平成の頭まで活躍。
車内にテレビがついていて、「テレビカー」と呼ばれていた。
(大井川鐵道に入った際、テレビは撤去された)
なお、台車は旧営団地下鉄(現・東京メトロ)東西線5000系のものが使われている。
南海車と同じく、車内は転換クロスシート。
自分が生まれた頃に造られた車両だが、SLの客車の後だと、新しく感じる。
今度は普通電車なので各駅に止まる。
茶畑と家並みが広がる青部を出ると、大井川を渡り、今度は川の左岸を走る。
崎平を経て、また大井川を渡り、トンネルを通ってまた大井川を渡る。
右手に学校と製茶工場。左手に転車台と各種車両。
~青部(あおべ)~崎平(さきだいら)~
千頭(せんず)
ホームの向かいで、さっきのC56が煙を噴き上げて、出発の準備中。
このC56 44号機は、大井川鐵道で唯一の、炭水車を連結しているテンダー式機関車。
戦時中はタイで活動し、1979年(昭和54年)に日本へ帰国。
以後、大井川鐵道で活躍を続けており、大修理を経て復活した2007年(平成19年)から、タイ時代のカラーリングで走っている。
(※2019年から休車中)
改札の方へ歩いて行く。
SLの編成の最後尾に、電気機関車が連結されていた。
このE102号機も、1949年(昭和24年)に造られた年代ものだ。
1本向こうのホームから、別のSL列車が発車していった。
大井川鐵道
千頭は大井川本線と井川線の乗り換え駅だが、井川線には明日あらためて乗ることにする。
今日乗るのはこっち。
2時30分発の寸又峡(すまたきょう)温泉行きバスだ。
乗客は5人だった。いったん踏切を渡って、駅裏の「音戯の郷」前を通り、そのまま折り返して、別の踏切を渡った。
右手に大井川が見える。橋を渡って今度は川が左に。橋の手前に、井川線の車両基地。
トンネルに入った。随分長い。出たところで橋を渡るが、川は依然左側。
大井川が曲がりくねっているため、この区間だけは川の下流側へ向かうことになる。
家が増えてきたと思ったら、奥泉駅前だった。
縄文遺跡が近くにあるようで、駅前には縄文人の像があった。
トイレが竪穴式住居風。
駅舎は階段を下りた所にあり、ここからは見えない。
さらに山奥へ進んでいく。
バスは普通のサイズなのだが、道幅はこのバスがやっと1台通れる程度。
私は右側の席に座っているのに、窓の外ぎりぎりにガードレールが見える。
ところどころにある、道幅のやや広い場所で、向こうから来た車やバスとすれ違う。
車1台とすれ違った直後に、バスが停車。
真下にダム湖の姿がある。
ここで運転手さんから説明が入る。このダムは、大井川ダムというらしい。
240メートルも下にあるそうだ。
写真を撮ってみると、景色がまるで、本城直季氏の写真集『small planet』ばりに、ミニチュアのように写った。
空気が澄んでいて、遠くの景色なのに、あまりぼやけて見えないからだろうか。
峠を越えて、今度は下り坂。けっこう対向車が多い。
よくこんな険しい山に、道路が通せたもんだ。
この道路も、鉄道に負けず劣らずのアトラクションだ。
寸又峡温泉(すまたきょうおんせん)
午後3時2分、寸又峡温泉入口で降りた。
やっぱり空気がちょっとひんやりしている。
ロビーや廊下は洋風の、高級感ある内装。広い和室に入ってくつろぐ。
あんまり1人で来るお客さんはいないかも。
若干車酔い気味なので、酔いざましを兼ねて、温泉郷を少し散策しよう。
ホテルのすぐ前の駐車場に、1968年(昭和43年)に廃止された、千頭森林鉄道の小さな車両が展示されている。
かつては寸又峡温泉への観光客輸送も行なっていたらしい。
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