近江八幡市立郷土資料館<220日目 近江商人にあやかりたい(3)> | ゲイムマンの日本縦断紀行

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ゲーセンでゲームをプレイし、1面クリア毎に増える“ゲーム路銀”を交通費にして日本縦断を目指す「ゲーセン紀行」でしたが、ゲーセン巡りよりも、普通の観光旅行の方が主になってしまいました。

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近江八幡('18.10.21)

 

しばらく東へ進み、小幡町通の信号を渡って、近江八幡市立資料館にやってきた。
4館から成る(4館共通券¥800)。

 

まず、郷土資料館へ。
近江商人・西村太郎右衛門宅跡に建つ。
建物は1886年(明治19年)に、八幡警察署として建てられた。
1953年(昭和28年)にヴォーリズ建築事務所が改築を手掛けている。

 

1階展示室。まずはこの町の成り立ちから。
この地にはもともと日牟禮(ひむれ)八幡宮があったが、1585年(天正13年)、羽柴(豊臣)秀吉と甥の秀次が八幡山城を築城。秀次が城主となる。
このとき安土から城下町を引っ越させた。

1590年(天正18年)、秀次は清洲へ移封となり、代わって京極高次が入城する。
しかし1595年(文禄4年)に秀次が切腹させられると、秀次ゆかりの八幡山城は廃城となり、京極高次は大津へ移った。

城は短期間で廃城となったが、交通の便が良かったこともあり、町はその後も商業地として発展した。
この経緯は長浜とちょっと似ている。長浜城はもう少し長く続いたが。

町に引かれた古式水道と背割り排水についての解説もあった。
地中に竹筒で水道が引かれていたそうだ。

明治時代、靴作りに使われたミシンを展示。八幡靴は品質が高かったという。
太鼓の胴。数珠玉作りの道具。千石船の模型。
明治・大正時代の町割り図や、引札・広告。八幡警察署の瓦。

近江商人、特に八幡商人についての解説がある。
江戸時代、日本橋に八幡商人の店が5軒並んでいたという。
現在も続く布団の「西川」は、そのうちの1軒、西川甚五郎家が前身。

かつてこの資料館の場所に住んでいた、西村太郎右衛門についても書かれている。
江戸時代初期に安南(ベトナム)へ渡り、朱印船貿易で財を成したが、帰国しようとしたら日本はいわゆる鎖国状態になっていて、帰国できなかった。
長崎の絵師・菱川孫兵衛に依頼して、日牟禮八幡宮に奉納した絵馬が現存し、重要文化財となっている。

近江八幡観光物産協会 


2階へ。江戸時代の八幡町絵図。
近江商人が興った発端は、織田信長の楽市楽座だそうだ。
安土の楽市を豊臣秀次も引き継ぎ、さらに領内の「市」を八幡城下に集結させた。

近江八幡の城下町を通る、朝鮮人街道についての解説もあった。
朝鮮通信使が通ったのでこう呼ばれる。
野洲・小篠原から鳥居本までの区間では、中山道より琵琶湖寄りの道を通ったそうで、この区間を朝鮮人街道という。
先ほどの本願寺八幡別院は、通信使の休憩所として使われた。

その他、信長の時代以来の諸役免除の特権を、江戸時代に守ろうと奮闘した人々の話。

「近世畸人伝」で知られる伴蒿蹊(近江商人・5代伴庄右衛門)について。
八幡商人と茶道速水流との関わりについて。

 

近江八幡観光物産協会 びわこビジターズビューロー(滋賀県)
JRおでかけネット(JR西日本)  近江鉄道

 

※旅のマップはこちら

 

※これ以前の「日本縦断ゲーセン紀行」&地図はこちら。
第220回 近江商人にあやかりたい(近江八幡)
第219回 信長になってみたいけど(安土→近江八幡)
第218回以前


安土、近江八幡(第218回~)
彦根(第215回~第218回)
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