伴さんの家がでかい<220日目 近江商人にあやかりたい(4)> | ゲイムマンの日本縦断紀行

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ゲーセンでゲームをプレイし、1面クリア毎に増える“ゲーム路銀”を交通費にして日本縦断を目指す「ゲーセン紀行」でしたが、ゲーセン巡りよりも、普通の観光旅行の方が主になってしまいました。

現在このブログ上でゲーム『香川県からの脱出』を制作・配信中。

近江八幡('18.10.21)

 

引き続き、近江八幡市立資料館。
渡り廊下に、漁具や、市田利助のトランクを展示。
市田利助は明治時代の商人で、サンフランシスコに渡り、醤油を日本から輸入販売した。
しかし1917年(大正6年)、スペインかぜ(インフルエンザ)で亡くなったそうだ。

中庭で、大正琴の演奏が行なわれている。
東京ブギウギを聞きながら、歴史民俗資料館へ。
八幡警察署の署長官舎だった建物(豪商・森五郎兵衛の控え宅と伝わる)で、近江商人の使っていた道具を展示。

台所のかまど(おくどさん)、三宝荒神クド(かまどの神をまつる)、古式水道の水を溜める井戸が残る。

座敷にも上がることができる。こちらにも数多くの展示物。
江戸後期の総絞り小袖、香時計など。
壁がベンガラで赤く塗られていた。
 

近江八幡観光物産協会 


資料館の向かいにある、旧伴家住宅へ。
江戸時代の豪商・伴庄右衛門の屋敷。
1827年(文政10年)から1840年(天保11年)にかけて建てられた。

 

伴庄右衛門家といえば、さっきの郷土資料館で取り上げられていた、「近世畸人伝」の伴蒿蹊が5代目の当主を務めた家。
ただし、この家ができたのは7代目の能尹(よしただ)の時代。

江戸期の建物にしては珍しい3階建て。
あまりに大きいので、明治以降は小学校、戦後は図書館になった。
純白の打掛や、朝鮮通信使をモデルにした瓦人形が展示されている。
校長室の椅子。通信使饗応膳の復元。

2階が45畳もの大広間だった。屏風に貼られた引札を展示。

1階に戻り、後から増築されたと思われる部屋へ。ここにも展示が多数。
伝統工芸品の押絵細工、扇子、数珠。
町家の街並みを見事に再現した紙粘土細工。リアルながらも素朴さもある。

昭和末の、「八幡堀」復元中の写真。
今では観光名所となっている堀だが、昭和の後期にはかなり荒れていて、地元の方々の活動によって、今日のような姿を取り戻したのだそうだ。

 

1階入口の土間へ。
3階まで吹き抜けになっている。
左義長まつりのダシが展示されている。
正面のリアルな犬が異色。

 

映像展示もあった。左義長まつりは毎年3月に行なわれる日牟禮八幡宮のお祭り。
ここではダシというのは曳山ではなく、正面の飾りのみを指すらしい。
巨大なたいまつとダシ、そして十二月(赤紙)を組み合わせ、棒を通して、おみこしのようにする。これを左義長という。
ダシの意匠は干支にちなんだものと決まっているそうだ。戌年だから犬なのか。
そして祭が終わると、左義長は燃やすらしい。

 

隣の駐車場から、伴家住宅の側面が見えた。
こんなにでかかったのか。

 

文化伝承館という小さな建物に、左義長まつりのダシの写真がずらりと並ぶ。

 

近江八幡観光物産協会 びわこビジターズビューロー(滋賀県)
JRおでかけネット(JR西日本)  近江鉄道

 

※旅のマップはこちら

 

※これ以前の「日本縦断ゲーセン紀行」&地図はこちら。
第220回 近江商人にあやかりたい(近江八幡)
第219回 信長になってみたいけど(安土→近江八幡)
第218回以前


安土、近江八幡(第218回~)
彦根(第215回~第218回)
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