窯垣といらかの波 <176日目 窯垣の小径は本当に小径だった(4)> | ゲイムマンの日本縦断紀行

ゲイムマンの日本縦断紀行

ゲーセンでゲームをプレイし、1面クリア毎に増える“ゲーム路銀”を交通費にして日本縦断を目指す「ゲーセン紀行」でしたが、ゲーセン巡りよりも、普通の観光旅行の方が主になってしまいました。

現在このブログ上でゲーム『香川県からの脱出』を公開中。

尾張瀬戸('13.9.27)

ゲイムマンの日本縦断紀行-窯垣の小径(176-18)
さらに先へ。
入り組んだ坂を上ったり下りたり。
陶器の板や棒が家の垣として使われ、独特の模様を形作っている。

ゲイムマンの日本縦断紀行-窯垣の小径資料館(176-19)
窯垣の小径資料館。
ここも、もともとは窯元の家だった建物。

ゲイムマンの日本縦断紀行-窯垣の小径(176-20)
平たいのはタナイタ、円いのはツク。
やきものを焼く際に使われた道具で、タナイタの上に製品を載せ、その横にツクを柱のように立て、その上に別のタナイタを置いて、別の製品を載せたらしい。

入館無料。江戸時代末期から明治時代に作られた皿や、「本業タイル」。
(瀬戸では、江戸時代後期から発展した磁器に対し、それ以前から作られていた陶器作りを“本業”とよぶ)
道具類や、現代の作品、昔の製作風景の写真などが展示されていた。

観光パンフレットや地図があったので入手。
もともと家だった建物なので、座敷があって、ちょっと休むことができた。

窯垣の小径をさらに先へ進む。一層細くアップダウンの大きな道になる。

ゲイムマンの日本縦断紀行-窯垣の小径からの眺め(176-22)
その分、眺めはいい。
家々の瓦屋根がまさに「いらかの波」。

ゲイムマンの日本縦断紀行-窯垣の小径(176-21)
アーティスティックな窯垣。
通りかかった女性の方が、ループタイを埋め込んだものだと教えてくれた。

窯垣の小径は、観光名所であるとともに、地元の方々の生活道路だった。
今ではすぐ南側に、車も通れる広い道があるが、昔はここがメインルートで、荷車や天秤棒で、陶磁器が運ばれたという。

同じ愛知県の焼きものの町である常滑も、生活道路が観光名所となっていた。
あちらも細くて入り組んでいて、きつい坂の多い道だけど、常滑と瀬戸では景色が微妙に違うのがおもしろい。
常滑では土管や瓶が塀に使われている。

ゲイムマンの日本縦断紀行-窯垣の小径(176-23)
エンゴロという道具を使った窯垣。
すき間に花が咲き、アクセントになっている。

ゲイムマンの日本縦断紀行-洞本業窯(176-24)
窯垣の小径から少し東へ歩き、洞(ほら)本業窯へ。
4連房の登窯が残っている。
造られたのは1949年(昭和24年)だが、それ以前からあった13連房の窯材を使って再構築された物だそうだ。
タナイタやツクが多数置かれている。

午後に入って、暑くなってきた。
「窯横カフェ」でアイスカフェオレを飲んで休憩。
シンプルながらおしゃれで綺麗。金土日祝のみ営業。

窯垣の小径に入って以降、瀬戸のイメージがどんどん良くなってきた。
さっき道に迷ったときは、どうなることかと思ったが。


※これ以前の「日本縦断ゲーセン紀行」はこちらへ。
第176回 窯垣の小径は本当に小径だった(三郷→尾張瀬戸)
第175回 陶磁器三昧の一日(陶磁資料館南→八草→瀬戸市、新瀬戸→三郷)
第174回以前