没後50年-堂本印象とは何者か | geezenstacの森

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没後50年-堂本印象とは何者か

京都府立堂本印象美術館コレクション

 

 名都美術館で開催されている「没後50年-堂本印象とは何者か」という展覧会を覗いてきました。はっきり言って知らない画家でした。

 

 

 この展覧会は前期展示と後期展示があり、前期と後期で半数ぐらいの入れ替えがあります。ですから期の切り替えごろを狙っていかないと全部の作品を見ることはできません。いつからこういう展示が主流になったのでしょうかねえ。チラシは日本画ですが、この人の作風は時代によって劇的に変化しています。まあ、そんなところから展覧会のタイトルもこういう形になったのでしょう。代表作を見ていきます。

 

 会場のトップに飾られている作品です。「深草」1919年

 

 

 印象が初めて公募展に出品し、そして初入選を果たしたデビュー作である。制作にあたり、印象は京都南東の郊外地である深草周辺を実際に訪れ、いくつかのスケッチを残しているが、深草という特定の地を写生的に表現することよりも、むしろ収穫の終わった農村地の情景をセピア調のトーンで表し、晩秋の静けさを伝えようとしている。左右から中央に向かって微妙な歪みをもたせて描かれた画面は、観る者を不思議な遠近感の世界に引き入れる。西洋画の表現を積極的に採り入れ、線だけでなく色の濃淡による立体表現を用いた大正期の日本画の特徴をよく示している。

 

 

春 1927年

 

 うららかな春の陽射しのなか、麦畑に筳を敷いて少女が小さい妹の髪を梳いている様子が描かれている。膝の上で昼寝をしている子猫や飛び交う蝶々が、この季節ののんびりとした雰囲気をよく表している。この年の春、印象は九州別府で病身を養ったが、その折に取材し、秋の帝展に出品したものである。清明で簡潔な表現からは、昭和初期の日本画壇に起こった新古典主義の特徴がみられる。

 

木華開耶媛 1929

 

 木華開耶媛(このはなさくやひめ)は、『古事記(こじき)』に登場する、木の華(はな)のように麗(うるわ)しい女神(めがみ)のことである。山を司(つかさど)る大山祇神(おおやまつみのかみ)の娘で、天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫である邇邇芸命(ににぎのみこと)の妻となった。嫁いだ木華開耶媛は火照命(ほでりのみこと)(海幸彦(うみさちひこ))火須勢理命(ほすせりのみこと)・火遠理命(ほおりのみこと)(山幸彦(やまさちひこ))を生み、安産の神、美しく花を咲かせる春の女神として人々に愛されてきた。桜・タンポポ・ゼンマイ・ツクシなど春の草花が満開の野に純白の衣を纏(まと)って座った木華開耶媛の姿は、古代の情緒あふれる神秘性と官能性をただよわせている。なお、黒髪に添えられたぶどうの葉は、豊穣を象徴するものである。

 

兎春野に遊ぶ 1938年

 

 タンポポが咲くのどかな春の野に、5匹の兎が群れ遊ぶ様子が描かれている。白、茶、白黒とバラエティーに富む兎の種類、草の鮮やかな緑色、タンポポの黄色など鮮やかな色彩によって華やかさが生じている。本作品は、もともと三菱財閥の総帥岩崎小彌太の還暦祝いとして描かれ、氏の邸宅の食堂に飾られていた。兎は岩崎氏の干支であり、5匹で60歳という年齢を表している。ちなみに印象もまた卯年生まれであった。

 

坂 1924年

 

 本作は京都清水の五条坂をモチーフにしたもので、西山翠嶂画塾青甲社の第1回展に出品された。画面中央に坂が大きく配され、左に空地と寺の石垣が続き、右には民家が並ぶ。坂には和装と洋装の人々が行き交い、自転車、人力車、電柱など、まさに大正という時代を表す風俗が描き込まれている。これらに加え、遠景に描かれた気球や洋館など、作品内にちりばめられる不思議な和洋折衷は見るものを退屈させることがない。日本画でありながら、左手前に配された画家の名前を貼紙状に描くカルテリーノもそんな作者の遊び心を伝えている。


 

柘榴 1940年 

 

 実をたくさんつけたザクロの枝が、上下左右に大きく屈折する様子が描かれている。複雑に交差する枝ぶりは画面に流動感を与え、画面中央に静かに佇むリスを中心に、軽快なリズムを刻む。本作品は、移りゆく季節へのはかない想いが、背景を略した色濃い秋の色彩によって表現されている。

 

雪 1930年

 

 雪をかぶった芦の間を鋭く鳴きながら飛ぶ一羽の白鷺。せせらぎでは、もう一羽が毛づくろいをしている。二羽の姿には、静と動の対比がよく表れている。空気はどこまでも冷たいが、寒々とした雰囲気のなかに微かな赤みがさして、日の出が間近であることを告げている。細長い茎のそこはかとなく淋しい風情と、白鷺の華奢な姿から受ける鋭利な感じが雪景色に調和し、いかにもきびしい冬の朝の寒さを伝えている。

 

或る家族 1949年

戦前の人生観(右の母)と、戦後の人生観(左の娘)がせめぎ合う当時の社会を表す。モデルは京都郊外のある知人家族で、それぞれ年代の異なる女性のあり方を構成し、戦後の思想の最も動揺した時代の親子の姿を描いた、と印象は語る。母と娘の対照的な様相は、世代や価値観の対立を感じさせ、また、二人の間に挟まれた妹達は不安げである。印象は戦後の揺らぐ社会の様子を微妙な心理空間によって表した。

 

 ここらあたりから作風が変わってきます。

 

メトロ 1953年

 

 パリのメトロ(地下鉄)の車内を描いたもの。乗り合わせた人々は、互いには全く無縁な存在として各々の空間にいる。芸術紙を読む男性の背後に見える表情のない顔たちは都会人の孤独や無関心を感じさせ、不安の中に安住するような現代人の営みをそのまま提示するかのようである。本作品では、鮮やかな色彩と簡略化した形を主体とした表現にその成果が見られる。この作品あたりから、紫、黄、ピンクなど新しく暖かい色が多用され、のちには印象の色として定着する。

 

 1955年(昭和30年)以降は抽象表現の世界に分け入り、その華麗な変遷は世界を驚かせました。多くの国際展にも招かれ、1961年(昭和36年)には文化勲章を受章したています。

 

交響 1961年

 

 文化勲章受章の年に制作された、印象の代表作である。制作にあたり、印象は「楽譜は私なりに解釈して、絵の中に私の交響曲を表現したい」と語った。交錯し、重なり、結合する線の濃淡が画面に三次元的な空間を創り出している。墨や絵具の飛沫や背後に沈潜する多彩で微妙な色彩とともに、それらの波動はそのまま音に置き換わるかのようである。アンフォルメルの影響は感じられるが、情感溢れる墨線、効果的な金色の使用、日本画固有の素材である紙本や顔料の微妙な質感や色調からは、料紙装飾的な感覚がうかがえる。