セル/クリーヴランドの芸術1300 | geezenstacの森

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セル/クリーヴランドの芸術1300

 

 スクラップしていたファイルの中からこんなチラシが出てきました。これは1977年に発売された最初のセル/クリーヴランド管弦楽団の廉価版レコードのシリーズでした。よほど好調のセールスを記録したのか翌年にはさらに20枚が追加リリースされています。

 

 とりあえずこれは第1回分の発売のチラシです。この時代になるとセルはEMIに移籍していましたからソニーは慌てて手持ちの旧譜を発売したという流れになっています。

 

 

 チラシの裏面には第1期として5月21日発売で10点、続く6月21日に第2期分として10点発売しています。ここでの注目はトップにラインナップされたブラームスのアルバムです。ジョージ・セルとクリーヴランド管弦楽団が文字通り絶頂期にあった1964~67年に収録されたブラームスの交響曲全4曲と管弦楽曲3曲です。1964年に交響曲第3番とハイドン変奏曲が録音されたあと、1966/67年シーズンで残りの作品が一気に録音されました。セルならではの厳格で折り目正しい音楽観を反映し、全編にわたって格調の高さが保たれ、主観的感情がむき出しにならず、ブラームスの古典性が浮き彫りにされています。しかも細部の彫琢ぶりはすさまじく、あらゆるフレーズ、リズム、パート間のバランスが完璧に統御され、透明感のある響きと立体的・論理的な構築性を獲得しているさまはまさに壮観。それぞれの作品の性格も明快に描き分けられており、中でもセルの演奏に顕著な明晰なキャラクター付けとは縁遠い音楽のように思える第4番のふっくらとした憂愁に彩られた響きは、数多いこの曲の名盤の中でも格別の味わいといえるでしょう。セルらしいオーケストラ・パートの増強・改訂も19世紀生まれの指揮者ならではの「匠の技」であり、今や二度と再現することのできない20世紀オーケストラ演奏芸術の一つの極点がここにあります。

 

 

 この時はセルのベートーヴェンはあまり重要視されていませんでした。録音データを見ると、1957年から1964年にかけて7年がかりベートーヴェンの交響曲全曲録音を完成させ、すぐさまこのブラームスの交響曲全集の制作が開始されたことがわかります。ベートーヴェン全集の最後となった第2番(1964年10月23日録音)が録音されたのと同じ月に、ブラームス全集の第1弾となる交響曲第3番とハイドン変奏曲が録音されているのはまさにそれを象徴しているといえるでしょう(交響曲第3番:10月16日&17日、ハイドン変奏曲:10月24日[ベートーヴェンの第2番の翌日])。それゆえに、最初はEPICレーベルで発売が開始されたベートーヴェン全集とは異なり、ブラームスは当初からコロンビア・レーベルでの発売でした。 1960年代中盤は、セルが1946年にクリーヴランド管に着任してからほぼ20年が経ち、指揮者とオーケストラとの間の結びつきがこれ以上ないほどにさらに強く深まっていった時期にあたります。ブラームス全集完成の後は、ハイドンのロンドン交響曲集の続編(第93番、第95番~第98番)、モーツァルト「ポストホルン・セレナード」、「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」、プロコフィエフ「キージェ中尉」とコダーイ「ハーリ・ヤーノシュ」のほか、コロンビアへの最後の録音となった1969年10月のブルックナーの交響曲第8番にいたるまで、このコンビの極めつけともいえる名盤が続々と録音されていることからも彼らの充実ぶりが見て取れます。この数年間はまた、ギレリスとのベートーヴェン「ピアノ協奏曲全集」(1968年5月)、オイストラフとのブラームスのヴァイオリン協奏曲や二重協奏曲(1969年5月)をエンジェル=EMIに録音するなど、コロンビアにおけるセル&クリーヴランド管の独占体制が終わりを告げ、時代の変化を予感させる時期でもありました(このコンビの最後の録音はエンジエル=EMIへの1970年4月のシューベルト「ザ・グレイト」とドヴォルザークの交響曲第8番でした)。

 

 セルのブラームス全集で最初に発売された1964年録音の交響曲第3番とハイドン変奏曲でしたが、残りの交響曲3曲は交響曲第3番と合わせて1967年に3枚組LPの「交響曲全集」として一気に発売されました。一方ハイドン変奏曲は悲劇的・大学祝典の2曲の序曲と合わせて同じ1967年に発売されており、ハリネズミを連れて散歩するブラームスの有名なシルエットをあしらったそのLPの洒落たデザインは、1977年に「ジョージ・セル&クリーヴランドの芸術」(1,300円の廉価盤シリーズ)で交響曲全集と管弦楽曲が単独で再発売された時にジャケット・デザインに採用され、日本の音楽ファンには馴染みのものとなりました。日本では交響曲第3番とハイドン変奏曲、第4番と大学祝典序曲が日本コロムビアから発売され、それ以外の交響曲2曲と悲劇的序曲は、創立間もないCBSソニーから1968年8月にLP4枚組の「ブラームス:交響曲全集」(品番SONS30001~4)として発売されたのが最初で、世界に先駆ける形で交響曲以外の管弦楽曲も入れた形でのボックスセット化発売が実現しています。  

 

 小生はセルのブラームスは米コロムビアのボックスセットで所有していましたので、この1300シリーズのブラームスは触手が動きませんでした。調べてみるとセルは1957年にもブラームスの交響曲第1番を録音しています。1957年3月にステレオ録音され、当初EPICレーベルで発売された交響曲第1番です。下記のジャケットで発売されています。1957年はコロンビア・レーベルがステレオ録音を本格的に開始した年であり、EPICレーベルとはいえコロンビアのスタッフが収録に当たっており、コロンビアの最初期のステレオ録音として重要な意味合いを持っています。EPICレーベルが標榜したSTEREORAMAというキャッチフレーズで知られる最初期のステレオ録音ながら、すでにこの時点で確固たるものになっていたセル&クリーヴランド管の演奏の特質を余すところなく捉えています。また1958年に改修が行なわれる前のセヴェランス・ホールの音響を捉えているのも興味深いところです。ここでは全集盤の交響曲第1番を取り上げておきます。

 

 

 

 セルのベートーヴェンは1957年2月の第3番「英雄」に始まり、1964年10月の第1・第2番まで、ほぼ7年がかりでじっくりと録音され、当初エピック・レーベルから発売された、アナログ・ステレオ時代のベートーヴェン全集の定番。曖昧さを残さぬ緊密な演奏設計のもと、筋肉質の響きと強い推進力を持ち、オーケストラの各声部が無理なく驚くほどクリアに再現されるさまは、セルの耳の良さとクリーヴランド管の極めて高度な演奏能力の賜物であり、まさにカラヤン/ベルリン・フィルやオーマンディ/フィラデルフィアなどと並ぶ、20世紀のオーケストラ芸術の極点を示したものといえるでしょう。各所に聴かれるオーケストレーションの改訂、リピートの採用・不採用にはセルならではの慧眼が光ります。

 

 この1977年のシリーズに欠けている3,5,6,9番は翌年の1978年発売の第2期発売に収録されました。また、シューベルトやワーグナー管弦楽曲集、名盤のメンデルスゾーンのイタリアと真夏の夜の夢もの第2期の方で投入されています。