発掘!!1974-5年の コンサートパンフレット4-3
浦川宣也は第22回の定期にも登場していますが、ここは名曲路線とはちょいと違う肥後一郎の作品を演奏しています。浦川氏は最初ドイツで活躍し、1960年代はカイルベルトに認められてバンベルク交響楽団のコンマスを務めていたこともあります。70年代は日本に帰国して、
ツィヒリン4度目の来日時のコンサートです。この年の5月で指揮の森正氏は名フィルの音楽総監督を辞任していますので、多分その最後の演奏会では無いでしょうか。フィガロの結婚は別として、モーツァルトとベートーヴェンの最後のピアノ協奏曲がプログラミングされています。通常の定期ではS席2.000円がこの特別演奏会は3.500円という事では特別の演奏会であったことがうかがい知れます。
下はそのツィヒリンの「皇帝」です。バックはザンデルリンク/ゲヴァントハウスOで人によってはバックハウスよりこのツィヒリンの「皇帝」を評価しているほどです。
小生は2年連続で成人式コンサートの案内が届きました。当時は市ではなく民間の民音が主催していたんですなぁ。こちらは1974年の成人式コンサートです。どういういきさつでそうなっていたのか分かりませんが、せっかく招待されたのでのこのこ出かけていきました。民音もこの年は成人の意見を取り上げてポップスとクラシックの2本立てで、コンサートを実施しています。フォークロックの山平和彦はベルウッドレコードから発売した「放送禁止歌」が文字通り放送禁止になって当時話題でした。ただURC時代はあまりぱっとしていませんでした。やはり、岡林信康でしたかねぇ。
で、第2部は尾高忠明指揮の名フィルの演奏でスッペの「軽騎兵序曲」とドヴォルザークの「新世界」が演奏されました。それにしてもこの時の小高氏は若い!!
そして、こちらが1975年の成人式のコンサートプログラムでした。この年はプログラムはA4サイズでコート紙が使われていましたがプログラム自体は前年に比べてちょっと地味でした。前半はイソ弦楽四重奏団の演奏でモーツァルトの「アイネクライネ」とドヴォルザークの「アメリカ」、そして後半が井上宗孝とシャープ・ファイブはジャズバンドとばかり思っていましたが実際はちょっと変わった和風ポップスバンドでした。
1974年の名古屋市民会館開館2周年記念のコンサートのプログラムです。多分これは無料招待のコンサートだったと記憶しています。
開館当時の名古屋市民会館
この時のプログラムの詳細はいかのようになっています。この1974年5月から荒谷俊治氏は名フィルの常任指揮者になっていました。曲目は、「アイネクライネ」を除いて全てオペラ絡みの曲目になっていました。まあ、最後の曲はオラトリオですが、当時ショスタコのこの「森の歌」がちょっとしたブームになっていました。小生もこの演奏会でこの曲の生演奏を聴き、思わずレコードを買ってしまった記憶があります。
それにしても当時の最新の曲目がリアルタイムで聴けた翌時代でした。