東海学園交響楽団演奏会 | geezenstacの森

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東海学園交響楽団

第41回定期演奏会

 

 

 最高気温が19度を超えるような天気になった。21日に東海学園交響楽団演奏会第41回に出かけてきました。東海学園の中学高校生で構成されるこのオーケストラ、昨年も鑑賞していますが、今年はちょっと期待はずれだったと言うのが正直な感想です。

 

 コンサートはOBが多いこともあり、学生やらその家族の人たちが中心になって、ほぼ通常の客席は満席の生協でした。小生はいつもながら最近は3回の席の中央よりで鑑賞しています。今回のプログラムはドヴォルザークとシューベルトと言う意外な組み合わせのコンサートでした。

 

アンコール

ロッシーニ/「ウィリアム・テル」序曲より行進曲

指揮/碇 充弦

演奏/東海学園交響楽団

 

 

 今日のコンサートのステージです。ただ、冒頭のドヴォルザークの交響詩「我が家」ではフルサイズの編成ではありませんでした。ドヴォルザークは結構たくさん交響詩を書いているのですが、その中ではこの我が家と言う作品はちょっと地味な作品です。一興してわかるのは、リヒャルトシュトラウスの交響詩「家庭交響曲」をミニサイズにしたような印象です。派手好きなドヴォルザークにしては、冒頭から室内楽的な響きで、ちょっと地味な感じのする作品です。ただ、家庭のことを描いたということでは、このしっとりとした落ち着いた感覚と言うのは、ドヴォルザークが求めていたものなのでしょう。

 

 パンフレットを見てもわかるように、どこにも指揮者の記載がありません。オーケストラの1つのセクションとしての位置づけが、このオーケストラの指揮者です。学生が振るということで、ちょっと得意なオーケストラではあります。今回の指揮者は、指揮棒を使わず、両腕を使って細かい指示を出していました。シューベルトの未完成はイン店舗でそれほど重厚さを伴わない演奏になっていました。現代楽器による演奏ですが、早めのテンポで演奏されると、どことなく楽器で演奏してるようなキリッと引き締まった感があります。そのため、シューベルトの持つロマンティシズムはやや抑えられて、メロディアスなキリッと引き締まった演奏に仕上がっていました。ただ、この曲も構成としては、第一バイオリンが4プルトとした編成で、響自体は、それほど大音量になることもなく、こじんまりとした演奏であった印象です。

 

 後半のドヴォルザークの交響曲第8番は、こちらも早めの店舗で引き締まった演奏になっていました。ただ、この曲だけはフル編成の響きで、第一バイオリンも第5プルトまできっちりと舞台上に揃っていました。ただ全体的に言えることですが、ややミスが目立ちオーケストラの若く、パートが溶け合うと言う雰囲気ではなく、バランス的にもホルンが吐出したり、トランペットが響きすぎたりと言うバランスの部分での齟齬がちょっと感じられました。また客席が埋まっていたので、この時期としては珍しい弱冷房がかかっていました。そのためか弦のピッチがやや揃いきれていない部分があり後半の演奏会の難しさを露呈していたような気がします。指揮者は、要所要所を抑えた的確な指示で、オーケストラを巧みにコントロールしていましたが、学生オーケストラの欠点と言うのか、ミスの響きが大きく、心から曲を楽しむと言うところまでは至っていなかったのが残念です。またそれに加えて学生が多いということで、演奏中もスマホから着信音を知らせるピコピコと言う音がひっきりなしに聞こえてきたのも残念なことでした。事前にスマホのボリュームを消すとか、電源を落とすようにと言う指示があったのですが、それすらも守られていないと言うのがこのコンサートのもう一つの残念な点でした。

 

 こういう学生のオーケストラということで、退団する2年生に対する花束の贈呈などが行われる時間が取られるのですが、こういう儀式は掛け声が飛びポップスのコンサートのノリのようでした。

 

 アンコールで演奏されたのは、1年生も登場して、賑やかなステージでロッシーニのウィリアム・テルから第4部の行進曲の部分が演奏されました。序曲1曲ではなく、その部分パートだけを取り上げると言うのは初めての視聴でした。ただこれだけでも結構ボリュームのあるアンコールピースだなぁと感じました。またこの曲では最後にパフォーマンスで、元のセクションが顔上げのパフォーマンスを披露していたのもさりげない演出でありました。

 

 来年は3月30日がコンサートの予定日ということです。メインプログラムは同じくドヴォルザークの「新世界」だそうですが、オーケストラの日と言うこともあって、何かちょっとした仕掛けがあるのかなあと期待させられます。