真夏の方程式 | geezenstacの森

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真夏の方程式

 

 

著者:東野圭吾

出版:文藝春秋 文春文庫

 

 

 夏休みを伯母一家が経営する旅館で過ごすことになった少年・恭平。仕事で訪れた湯川も、その宿に滞在することを決めた。翌朝、もう一人の宿泊客が変死体で見つかった。その男は定年退職した元警視庁の刑事だという。彼はなぜ、この美しい海を誇る町にやって来たのか...。これは事故か、殺人か。湯川が気づいてしまった真相とは―。---データベース---

 

 ずっと湯川学は子供が苦手、嫌いでガリレオシリーズが進んでいましたが、今作では子供と深く関わり物語が進んでいきます。人の複雑な感情が絡み合い凄くストーリーに没入出来ました。過去作と比べ物理学での謎解きは少し物足りなく思えますが、子供でも理解できる水ロケットの実験なんかもありますし、結末向けての伏線等もしっかりと張られていたるので満足できます。作中に「献身」と言うワードもあり、人を愛する、守るが故の罪があるというのをまた思い出しました。前作「容疑者Xの献身」からの作者の「裁けない事件」のテーマがここでも見られ、裁かれない刑というのは、同時に償いきれないという事が、読むとよくわかります。このテーマはガリレオシリーズでは一つのテーマにもなっている様です。

 

 ガリレオシリーズ6冊目で、シリーズの登場人物はちゃんと配置されていて、県警の捜査とは別に警視庁は独自の調査方法で事件を追っていきます。タイトルに真夏とありますが、田舎の海水浴場の夏休み…花火に、スイカに、宿題に、何てエモーショナルなんでしょう。

 

 冒頭でキッズ携帯の話が出てきます。子供用の携帯が電源が切れないことを初めて知りました。確かに、連絡したい時に電源が入っていないのは問題なんでしょう。まあ、そのことで頑固爺さんから文句を言われるわけですが、それをサラッとアルミホイルで包むということで解決してしまうのは湯川の登場にはふさわしいシチュエーションの設定ですなぁ。

 

 舞台は玻璃ヶ浦というという駅から坂を登った緑岩荘という旅館が舞台です。2013年の福山雅治が演じた映画では西伊豆町浮島(ふとう)でロケが行われましたが、確かに小説で出てくるイメージにぴったりです。小生も小説を読みながら伊豆ぐらいが最適値と思っていましたが、ただ一つ違うのは最寄りの鉄道駅がないことですな。ただ、映画の中で出てくる地図によると場所は千葉県の安房白浜付近にせっていされています。こちらも鉄道駅がないということでは同じなんですが、む多分作者もここらあたりをイメージしていたのではと思われます。

 

 物語は淡々と進んでいきますが、今回は湯川が投資した宿で起こった事件と言うこともあり、湯川が積極的に事件に関わっていきます。こういう展開もいいですね。旅館で見聞したことを参考に、事件の背景を追っていきますが、一酸化炭素中毒だったと言うことに注目した点は、ど目に値します。

 

 地元の警察が、ただの転落事故士として処理しようとしているのに対して、湯川は旅館の人々の行動に不審な点を見出し、その背景をあぶり出していきます。この転落死したのは、旅館に宿泊していた警視庁の引退刑事でした。それもあり、事件の背後関係を洗うようにと警視庁の草薙、内海たちに指示が出ます。この警視庁のメンバーは、特任という形で事件を捜査し、死んだ元刑事の背後関係から、この事件の本質をあぶり出していきます。その地元と警視庁の2面操作の隔たりがあまりにも滑稽に見えてきます。今回はいつもなら蕁麻疹の出る子供を相手とやや得意な設定なんですが、子ども嫌いの湯川が恭平に勉強を教えたり実験したりと、今までと違った展開でこれもまた一気読み。「大人はなぜこどもに隠し事するんだろう」と子ども扱いに納得がいかずも諦めてる恭平に、下手に隠さず言える事は言う湯川に教えられたように思います。その子供を見守る湯川の目は暖かいものがあります。

 

 と少し設定が違いますので、これはぜひとも原作を読まれ、そのストーリー展開に集中した方が良いのではと思います。最後のどんでん返しはいつものことなのですが、そこに積極的に関わっていく湯川の姿が将来を担う子供を必死に守ろうとする姿と重なります。まさかのラストにやり切れなさはあれど、別れ際に恭平が湯川と話せて本当に良かったと思えます。難しすぎる問いだけが残るまさしく夏の方程式だと言えましょう。