相国寺展 | geezenstacの森

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相国寺承天閣美術館開館40周年記念
相国寺展

―金閣・銀閣 鳳凰がみつめた美の歴史

 

 

 愛知県美術館では久しぶりに本格的な「相国寺承天閣美術館開館40周年記念 相国寺展―金閣・銀閣 鳳凰がみつめた美の歴史」が10月11日(金)〜11月27日(水)まで開催されます。

 

 相国寺(しょうこくじ)は、室町幕府三代将軍・足利義満(1358~1408)が永徳2年(1382)に発願、京五山禅林の最大門派であった夢窓派の祖・夢窓疎石(1275~1351)を勧請開山に迎え、高弟の春屋妙葩(1311~1388)を実質開山とし創建された禅宗の古刹(由緒ある古い寺)です。今も京都の地、御所の北側にその大寺の姿を誇り、金閣寺、銀閣寺の通称で名高い鹿苑寺、慈照寺を擁する臨済宗相国寺派の大本山でもあります。時代を通じ、相国寺は芸術家を育て、名作の誕生を導いてきました。

 室町幕府の御用絵師とされる相国寺の画僧である如拙と周文。室町水墨画の巨匠と称される雪舟。江戸時代の相国寺文化に深く関わった狩野探幽。そして奇想の画家・伊藤若冲、原在中、そして円山応挙…。そんな時代を彩った画家たちの作品を一堂に鑑賞することができます。

 

 小生なんかはしばらく前に放送されたNHKの「ライジング若冲 天才 かく覚醒せり」に触発された後進の人間ですからこういう展示があると真っ先に乗り込んでしまいます。

 

今回の相国寺展は5つの場面で構成されていましたが、今回は撮影不可となっていたのでネットから写真を転載しています。本展覧会は、相国寺承天閣美術館開館40周年を機に開催するものです。国宝、重要文化財あわせて45件以上を含む相国寺派の名品が並んでいます。

 

第 1 章 創建相国寺 ― 将軍義満の祈願

第 2 章 中世相国寺文化圏 ― 雪舟がみた風景

第 3 章『隔蓂記』の時代 ―復興の世の文化

第 4 章 新奇歓迎!古画礼讃! ―若冲が生きた時代

第 5 章 未来へと育む相国寺の文化 ―”永存せよ"

 

第 1 章 創建相国寺 ― 将軍義満の祈願
 

重要文化財 《足利義満像》 室町時代 15 世紀 鹿苑寺蔵

 

 「吾れ、新たに小寺を建てんと欲す」—室町幕府3代将軍・足利義満(1358〜1408年)が発したその一言に、相国寺の歴史は始まります。寺は夢窓派の高僧たちの進言により小さな寺ではなく大伽藍の禅寺であることが望まれ、御所の北側、室町幕府の傍らに開かれました。明徳3年(1392年)、発願から10年を経て伽藍が完成し落慶供養が行われました。

 

第 2 章 中世相国寺文化圏 ― 雪舟がみた風景
 

重要文化財 陸信忠《十六羅漢図 賓度羅跋囉惰闍尊者》(部分) 南宋時代13世紀相国寺蔵 

 

 15世紀の相国寺には、相国寺文化圏と名づけられるべき美の営みがありました。室町幕府の御用絵師であったとされる相国寺の画僧・如拙と周文は室町水墨画の様式を確立し、また、彼らを師と仰いだと語る雪舟(1420~1506?年)は、若き日を相国寺にて過ごしたとされます。のちに室町水墨画の巨匠と称される雪舟がみた中世相国寺文化圏の風景を展開します。

 

相国寺展 第 3 章『隔蓂記』の時代 ―復興の世の文化
 

国宝 《無学祖元墨蹟与長楽寺一翁偈語 》(部分) 鎌倉時代 弘安 2 年(1279) 相国寺蔵 左:第三幅

 

 国宝 《無学祖元墨蹟与長楽寺一翁偈語 》(部分) 鎌倉時代 弘安 2 年(1279) 相国寺蔵  右:第一幅【前期展示】

 

戦国の世の荒廃した相国寺を復興したのは92世住持・西笑承兌(せいしょうじょうたい)(1548~1607年)。相国寺の復興に尽力し、天下人秀吉、家康のブレーンとなり外交僧としても活躍。相国寺中興の祖となりました。これに続く1600年代。復興の相国寺に登場するのが鳳林承章(1593~1668年)でした。

西笑承兌の法嗣は鹿苑寺の住持を務め、75歳で亡くなる34年間の日記『隔蓂記(かくめいき)』は鳳林承章をめぐる風雅の時と場を伝える貴重な史料となっています。作品をめぐる『隔蓂記』の世界を再現します。

 

第 4 章 新奇歓迎!古画礼讃! ―若冲が生きた時代
 

重要文化財 伊藤若冲《鹿苑寺大書院障壁画 二之間襖絵 松鶴図》(部分) 江戸時代 宝暦 9 年(1759) 鹿苑寺蔵

 

中世の相国寺文化圏を代表するビッグネームが「雪舟」であるとすれば、近世の相国寺の文化に賑わいを添えてくれたのは「若冲」と言えるでしょう。今回の展示ではこの金閣寺の襖絵が全て展示されています。これは圧巻です。

独特の絵画表現を完成させ、「私は理解されるまでに1000年のときを待つ」と言った若冲ではありますが、若冲が生きた1700年代は驚くほどにアバンギャルドな時代でした。人の交流を通し、ものの往来を通して、多感に構築される相国寺文化の新時代を再現してゆきます。

 

第 5 章 未来へと育む相国寺の文化 ―”永存せよ"
 

重要文化財 円山応挙《牡丹孔雀図》 江戸時代 明和 8 年(1771)相国寺蔵

 

相国寺の什物は、どのように形成されてきたのか?なぜ今、この作品はここ相国寺に在るのか?今回の展覧会を企画するにあたって重視した、ひとつの視点でした。相国寺の什物は中世より伝来したものもあれば、近世や近代の寄進などの新規受入により加わったものもあります。それらは今後、相国寺で活かされ、価値を見いだされ、什物としての履歴を積み重ねて成長してゆくことでしょう。この章ではそうした作品群を展示します。

 

 この展覧会、期間はそれほど長くはないのですが、会期中に展示替えがあります。現在は前期展示ですが、11月6日からは後期展示に変わります。どちらかというと後期の方が見応えがありそうです。

 

前期:10月11日(金)~11月4日(月・休)
後期:11月6日(水)~11月27日(水)

 

 ところでこの展覧会、同じチケットで愛知県美術館のコレクション展も鑑賞することができます。そして、このコレクション展の方でも伊藤若冲の作品を鑑賞することができます。それが下の作品です。

 

六歌仙図

 

菊に双鶴図

 

伏見人形図

 

 1788年に天明の大火により、若冲は自宅や画材、そして作品を焼失てしまいます。その後、描いたのがこの「伏見人形図」です。大火に見舞われた人々が辛い時期であるからこそ、笑顔の「伏見人形図」を描いたことに若冲の思いが感じられる作品です。

 

若竹雄鶏/梅花雌鳥図

 

上の箱書きです。
 
 下の「鷲図」は展示されていませんが、これが若冲最後の作品です。若冲はこの鷲図を描いた寛政12年(1800年)、85才で亡くなりました。同時代に江戸では葛飾北斎(88)が活躍していました。そして、若冲の後を追うように、5か月後の享和元年(1801年)若冲の誕生日に大典顕常もこの世を去ります。
 
 
 
 ぜひ、コレクション展にも足を伸ばしてください。