レコード芸術
1974年7月号
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まだ、古いレコ芸のストックが10冊程度ありますからもう少しこの書庫は続けられそうです。で、今回は 1974年の7月号を取り上げます。この号では当時の「最新オーディオ再生機器考」という記事が特集で取り上げられています。多分、当時は1000円盤ブームに乗ってクラシックレコードが一番売れていた時代ではなかったでしょうか。小生もこの頃に本格的なコンポーネント・オーディオを揃えています。レコ芸では珍しく長岡鉄男氏も登場しているので、そこから取り上げることにします。
ボーナスシーズンということで各メーカーがオーディオの新製品をぶつけてきていて、この月は特集が3本組まれています。オイルショックで値上げが進行しているので売り込みはヒートアップしています。レコードは原材料が不足していますから、売り込みが難しいということでオーディオがクローズアップされています。
これが7月号の目次です。ということで、第3特集から取り上げていきます。当時はオーディオフェアが大都市圏では開催されていました。これだけでもオーディオ人気が伺えます。レコードの再生にはオーディオ機器が不可欠でしたからいい音でレコードを聴こうとマニアはこぞって出かけていました。下はこの年の5月22日から27日まで大阪は仙波センターで開催されたオーディオフェアを取り上げています。小生もそうですが、最初に購入したのはモジュラータイプのステレオでした。アンプ、プレーヤー、チューナーが一体になったものでこれとスピーカーを揃えればレコードは聴けるというものでした。大学に入った時にアルバイトで貯めたお金で次はコンポーネントタイプだということで、この時期こういう催しにはよく出かけたものです。
もう、今では無くなってしまったメーカーも色々登場していますが、オーディオ業界はこの当時群雄割拠状態でした。次の対談ではクラシックの再生を前提にした最新機器の使用でどんな音がするのかという座談会です。もうここでは1クラス位上の新製品を扱っていますから小生にはあまり参考にはなりませんでしたけれどね。
さて、最後に20万円を基準にどういう組み合わせでコンポを組めばいいかというサンプルをオーディオ評論家の各氏が挙げています。学生の身であった小生はこれらを参考に自分なりのコンポを決めたものです。もちろん20万以下のコースでしたけどね。(⌒-⌒; )
オーディオフェアやこれらの記事を参考に家電店に出かけコンポをコツコツ集めました。当時のセットは
プレーヤー パイオニア PL1100
アンプ ビクター JAS5
スピーカー ダイヤトーン DS251Mk II
チューナー ソニー ST5150
というものでした。この時はまだオープンデッキが主流でしたからデッキはオットーのものを使っていました。のちにここにビクターのカセットデッキが加わることになります。プレーヤーは斉藤宏嗣氏や金子英夫氏がチョイスし、アンプは山田定邦氏がチョイスしています。アンプは以前紹介した村田武雄氏が使用していたシステムで使っていたのでこれをチョイスしています。このアンプ、SEAコントローラーが付いていて細かい音場補正ができたのが特徴です。
この号では村田氏が第1回に登場した「音楽と音と再生装置と」の11回目で西村弘治氏が登場しています。当時、氏はレコ芸の姉妹誌の「ステレオ」誌で室内楽の月評を担当していました。氏のシステムは写真で見てもわかるように、オーディオにも造詣が深いのでかなりカスタマイズされています。スピーカーはJBLのLE8T、アンプはマックトーンの真空管式、プレーヤーは手作り、カートリッジは光悦のMC型を使っています。
最後に、このオーディオの記事の最後にテイチクの広告が載っていましたので取り上げます。もう、すっかりハルモニアムンディ一色の広告になっています。ただ、さりげなくパイ原盤のルネサンス・スペインの音楽をリリースしています。この頃のパイはもうほとんど新譜を発売していなかったのですが、カタログの中には結構バロック期の作品を録音していました。
当時の独ハルモニア・ムンディは化学メーカーのBASFが親会社でした。ポピュラーではMPSも翼下に持っていてかなり活発に活動していました。コレギウムアウレウム合奏団がメインアーティストで、広告にはオリジナル楽器使用と謳っていますが、実際には現代楽器にガット弦を張っただけのエセ小楽器合奏団だったことがわかってしまいます。ただ、当時はフッガー城の糸杉の間で収録された音はそれなりに典雅な響きがしていて、エラートのパイヤール室内楽団の響きとは全く違っていたのは覚えています。
続きます。