近衛秀麿の「運命」と「未完成」 | geezenstacの森

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近衛秀麿

「運命」と「未完成」

曲目/

ベートーヴェン/交響曲第5番ハ短調Op.55

第1楽章 Allegro con brio

第2楽章 Andante con moto

第3楽章 Allegro. atacca

第4楽章 Allegro - Presto

 

第1楽章アレグロ・モデラート

第2楽章アンダンテ・コンモート
 
指揮/近衛秀麿
演奏/読売日本交響楽団
 
録音/1968/02/21  杉並公会堂 
研秀出版  SK303
 

 

 

 このレコードは研秀社が1968年に発売した「世界のオーケストラ名曲集」全17巻の中に含まれる一枚で、第3巻は印字のものです。この研秀出版は書店ルートで発売しておらず、当時はセールスマン自身が特約店ルートでのみ発売されていました。そういう意味ではレコード時代は極めて認知度の低い演奏ではなかったかと思われます。ただ、発行部数は1万を下らない数字が期待できますから、セールス出来にはレコード店の比ではなかったでしょう。なを、読売日響は1967年10月から11月にかけて指揮者にアーサー・フィードラーを起用し北米ツァーを敢行していて、その成果を持ってこの録音に臨んだのではないかと思われます。当時の常任は若杉弘でしたが、こういう通俗曲は他の指揮者に任せたのでしょう。レコード制作はビクターが行っていますが、多分録音スタッフもビクターの人間が関わっていたことが推察されます。ただ、原盤は研秀出版が所有していたため、一連の録音はのちにCD化された時はPlazから発売されています。岩城宏之/NHK交響楽団がベートーヴェンの交響曲全集を録音したのが1968-69年にかけてでしたから、それと争ってビクターはこの読響との一連の録音を敢行したのではと思われます。
 
 さてこのディスクですが、最初の『運命』からしてオーケストラの気合いの入れ方は尋常ではありません。録音された1968年という時代において、西欧のオケより明らかに技量が劣る日本のオーケストラが名曲集をセッション録音する意義がどれほどあったか分かりませんが、ここでの読売日響は、やっつけ仕事的な生ぬるさは皆無です。日本においてクラシック音楽で有名な曲をレコードに遺すということへの気迫が溢れており、ほとんど「一発録り」ではないかと思うくらいの緊張感があります。わずか1日で未完成とともに収録されていますが、その前に周到綿密なリハーサルと、激しい練習が行われていたことが伺えます。弦楽パートは、おそらく楽器が良いものではないのか、音自体は痩せていてベルリン・フィルやウィーン・フィルなどの音色には遠く及びません。しかし長い音の時でも末尾に一片の濁りがまったくありません。これは、チューニングは勿論のこと、ボウイングにおいて上げ下げだけでなく弓の位置まできちんと合っていないと出ない音だと思います。管楽パートも楽器や技術的には万全とは言えないと思いますが、死にものぐるいで演奏しているのが分かります。

 

 近衛秀麿は自身で近衛版ともいうべきベートーヴェンの交響曲全曲の改訂版を作成しています。ライブでは札幌交響楽団との演奏で第1番と第7番が近衛版で演奏されていますが、ここでは当時のブライトコプフ・ウント・ヘルテル社(のものを使用しているのでしょうか。第1楽章の提示部のリピートは行っています。

 

全曲

 

 

 

 

 

 

  さて、2015年8月8日午後8時から放送されたNHK BS-1スペシャル「戦火のマエストロ・近衛秀麿~ユダヤ人演奏家の命を救った男」で番組全体のテーマとして流れる『未完成』に、『運命』をカップリングしたものですが、このドキュメントの元となった菅野冬樹氏の「近衛秀丸 亡命オーケストラの真実」ではこの2曲がポーランドての演奏会のキー曲であったことは間違いないようです。このドキュメントは玉木宏がナレーションを務めていましたが、60名のポーランド人演奏家で編成されたオーケストラが演奏、指揮者にはウィーン大学名誉教授の前田昭雄氏を迎え、現代によみがえらせていました。ナチスドイツの支配下にありながら、ポーランド人のみのオーケストラが演奏できたのも奇跡ですが、そこに同盟国であった日本人の近衛秀麿が指揮を務めていたということも奇跡でした。このオーケストラでコンマスを務めていたのは1964年5月にワルシャワ・ピアノ五重奏団で来日したタデウシュ・ヴィロンスキや「戦場のピアニスト」で描かれたシュピルマン、ブロニスワフ・ギンベルなども含まれていました。ヴィロンスキなどはもっぱら室内楽の人で、オーケストラで演奏などしない人でしたが近衛秀麿とレジスタンス活動でつながっていたんでしょうなぁ。正式な外交ルートでは外交官の杉浦千畝が6000人ものユダヤ人を救済していますが、近衛秀麿は音楽家としてコンセール・コノエというオーケストラを組織して、ユダヤ人音楽家の救済に当たっていたんですなぁ。かのフルトヴェングラーさえ、スイス経由の脱出に際しては近衛が仲立ちを下アンセルメの助けを借りながら活動していたことも明るみになっています。

 

 そんな背景を持つ近衛の 「未完成」もセコセコしたところがない、スケールの大きい演奏です。ポーランドでは第2の都市、クラクフやレンベルクとワルシャワの3か所で演奏会が持たれています。ポーランド以外のコンサートでは当時のドイツ・ポーランド総督府のハンス・フランクの招きでポーランドに移動することができました。この時代近衛秀麿はドイツ大使の大島屋ゲッペルスから演奏禁止令が出ていましたから、公式にはドイツで指揮活動は出来なかったのです。そういう背景を知ると、いかに後年の録音とはいえ、秀麿の未完成に込める意気込みは晩年の演奏にもい築いていることがうかがえます。

 

 ここでは、第一楽章では展開部に向かうまでを息の長いクレッシェンドにしており、特にチェロの弓の飛ばし方は見事です。近衛はテーマ毎に微妙にテンポを動かしていて、フレーズの終わりの音をきちんと処理して収めるところが至芸と感じます。従来は全く顧みられることが無かった録音ですが、研秀出版がこういう録音を遺してくれたことに感謝です。

 

未完成