ルービンシュタインのブラームス | geezenstacの森

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ルービンシュタイン

ブラームスピアノ協奏曲第2番

 

曲目

1. Allegro non troppo  15:48

2. Allegro appassionato  8:21

3. Andante 10:58

4. Allegretto grazioso 8:17

 

 

(P)アルトゥール・ルービンシュタイン 

指揮/シャルル・ミュンシュ

演奏/ ボストン交響楽団 

録音/1952年8月11日 シンフォニーホー、ボストン

 

 

 今回取り上げるのはモノラル時代のルービンシュタインのブラームスです。モノラル時代の録音はほとんど興味がなかったので今回初めてこういう録音があることを知りました。

 

ブラームスの第2番は、ルービンシュタイン十八番のレパートリーの一つで、生涯に4度レコード録音を残しています。そして、このピアノ協奏曲第2番はルービンシュタインが世界で初めて1929年に録音しています。その4種類は以下のものです。

 

1.1929 アルバート・コーツ/ロンドン響

2.1952 ミュンシュ/ボストン響 モノラル

3.1958 クリップス/RCAビクター響 ステレオ

4.1971.11 オーマンディ/フィラデルフィア管弦楽団

 

この録音、実は村上春樹のエッセイ集『意味がなければスイングはない』(文藝春秋、2005)に登場しています。ただ、当人の記憶違いかちよっとした誤りがあります。そこにはこう書かれています。

{{{ルービンシュタインでは、ヨーゼフ・クリップス指揮のRCA交響楽団と組んだ録音(LM2296・LP、1958年の吹き込み)が個人的に好きだ。それほど世間の評判にはなっていないみたいだが、格調ある端正な演奏で、気持ちが頭からしっぽの先まですっぽりと音楽の中に入っている。古い録音ながら、熱気もひしひしと伝わってくる。それに比べるとフリッツ・ライナーとの共演盤は風格のある演奏ではあるけれど、音楽の作りが全体的にいささか古風だ。もちろんそれはそれでひとつの味わいであるわけだが。ルービンシュタインという人は世間的に、ショパンのスペシャリストみたいに見なされているふしがあるけれど、シューマンやブラームスの演奏には、ショパンを演奏するときとはまたひと味違った気合いが入っている。}}}

 

 そう、ミュンシュとの録音をフリッツ・ライナーと勘違いしているんですなぁ。ルービンシュタインがフリッツ・ライナーの指揮で録音したのはブラームスの第一協奏曲の方です。そもそもルービンシュタインとライナーとは反りが合わず、1956年にラフマニノフの第ニ番の録音を巡って諍いになり、両者は決裂したので、1958年の録音にはヨーゼフ・クリップスが引っ張り出されたのです。

 

 多分もう2年くらい後ならRCAですからステレオ録音で残せたと思うのですが、52年という数字はなんとも残念なところです。やはり冒頭のオーケストラの響きは痩せて聞こえてしまいます。もともとこの作品のオーケストラパートは交響曲のように充実しています。そして、それに対抗しうるようにピアノのソロも充実していて、その両者はがっぷりと組み合うことが要求されます。ということでは、ピアノのソロが入ってくると急に雄弁になってオーケストラを向こうに回して両者はがっぷりと組み合っています。

 

 もともとミュンシュもブラームスの作品に関しては一家言持っている人ですから、ここではがっぷり四つに組んでお互いのブラームスはこうだというところを主張し合っています。こんな演奏ですから途中からモノラルがどうのこうのということは関係なくなります。それよりも熱い火花が飛び交う丁々発止のやりとりにひきこまれてしまいます。そういう意味で、この録音は安定路線のクリップスとのステレオ録音よりも巨匠同士の魂のぶつかり合いを堪能できる演奏に仕上がっています。

 

村上春樹なのである。出典は。

 1952年に録音されたルービンシュタインとのブラームスでは雰囲気がガラリと変わります。
もともとこの作品のオーケストラパートは交響曲のように充実しています。そして、それに対抗しうるようにピアノのソロも充実していて、その
まさに、ここで聞ける両者の演奏を一言で言えば「喧嘩上等」です。

考えてみれば、ルービンシュタインもミンシュも偉大な芸術家ではあるのですが、その根っこを掘り下げていけば基本的にはエンターテイナーです。ですから、多少のアンサンブルの乱れなどは気にしないで、「オレの方が目立たなくてどうするんだ!」という意気込みがひしひしと伝わってきます。
最近ではみんなお行儀が良くなって、こういう「喧嘩上等」な協奏曲は滅多に聴けなくなっているので、気楽な聞き手にとっては実に楽しい時間を過ごすことが出来ます。