クレンペラーのジュピター
曲目/モーツァルト
交響曲第40番ト短調K.550
01.第1楽章:アレグロ・モルト 8:45 | |
02.第2楽章:アンダンテ 8:56 | |
03.第3楽章:メヌエット(アレグレット)&トリオ | |
04.第4楽章:アレグロ・アッサイ モーツアルト 交響曲第41番 K.551「ジュピター」 |
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05.第1楽章:アレグロ・ヴィヴァーチェ 9:17 | |
06.第2楽章:アンダンテ・カンタービレ 9:08 | |
07.第3楽章:メヌエット(アレグレット)&トリオ 4:48 | |
08.第4楽章:モルト・アレグロ 6:43 指揮/オットー=クレンペラー |
演奏/フィルハーモニア管弦楽団
録音/1956/07月19,21-24(40番)、1962/0306-7日,26-28(41番) キングスウェイ・ホール
P:ウォルター・レッグ
クレンペラーは巨匠の割に地味な存在で、個人的にはレコード自体もあまり興味がありませんでした。ややつう好みの音楽作りでEMIという存在が災いしたのではないでしょう。なんと言っても、EMIの録音には長命録音というものがあまり存在しません。同じイギリスのデッカと比較するとその差は歴然としています。
さて、手元にあるのはフェーマス・レコード・クラブから発売された「世界クラシック大全」というセットに収録されているものです。先日取り上げたピエール・デルヴォーのものも同様です。まあ、市販されていたレコードと中身は一緒です。ただ、このクレンペラーのモーツァルトは謎の多いレコードです。録音データをみても分かる通り、40番はなんと1956年7月の録音で、41番は1962年の録音です。で、クレンペラーのディスコグラフィを見るとちゃんと1962年の録音の40番も存在するのです。EMIもおかしな発売の仕方をしたものです。2つの演奏を聞いてもその違いはよほど注意をしないとわからないとも言えます。決定的な違いは第1楽章の無提示部を繰り返すか繰り返さないかという点です。つまり、このレコードに収録されている演奏はその提示部を繰り返しているということで急録音だということがわかるのです。言い換えれば1956年の録音と1962年の録音の音質差はないと言ってもいいほどなのです。まあ、EMIの録音での比較でそういう点に踏み込んだ批評は目にしたことがありません。これはクレンペラーのスタイルにも表れているからかもしれません。頑なに対向配置を貫いているからです。
これによって第1楽章は、対向配置によって弦の掛け合いが良くわかるし、オーボエなど管も埋もれていないので独自の音響の世界を聴くことができます。このため音が重層的に鳴っているのでなく並行して鳴るため威圧的に重くないのが特長で、EMIのサウンドとも言える透明感のあるブルーではなくくすんだ曇り色の音色が響きます。この時代のクレンペラーはまだ、鈍重というイメージはなく、思ったよりあっさりとしたモーツァルトが響きます。
第2楽章も遅く少しロマンティックな静けさが漂いますが、この時代の典型的なEMIの録音で、低い雲が垂れこめたイギリスの天気そのものです。ただ、この時代のフィルハーモニアはまだカラヤンの時代で、渋いながらも華やかさがある音色が特徴的だった時代です。その時期にこういう音色でレッグの要望に応えていたクレンペラーはさすがです。そして、この音色こそがこの1956年の録音を採用させた大きな要因だったのではないでしょうか。
第3楽章は普通のテンポ感だがうきうきすることはありません。そして第4楽章のフーガは左右のくっきりした録音と対向配置がものをいい面白く聴くことができます。当時の一般的に演奏はストコフスキー型の低音部を右に寄せる標準スタイルをとっていたのでこの対向は一は珍しいものでした。クレンペラーは相変わらずインテンポで淡々と音楽を進めているように思いますが、徐々に大伽藍を仰ぎ見るような壮観さが広がります。
キャプションが間違っていますが、下は確認する限り1962年盤のジュピターです。こちらはリピートがありませんから、 5:34 8:53 4:20 5:12 の演奏時間になっています。
さて、交響曲第41番です。こちらもある意味予想を裏切られた演奏になっていました。そもそもクレンペラーのモーツァルトはリアルタイムの時代でもほとんど話題になっていなかったのではないでしょうか。レコ芸のベスト300なんかでもクレンペラーの41番にしろ41番にしろリストに名前が登場したことはありません。そんなこともあり、気楽な気持ちで針を落としました。最近この曲で気に入っているのはルネ・ヤーコブス/フライブルク室内管弦楽団の演奏です。室内オーケストラでこれだけ雄弁な演奏は出会ったことが無くピリオド楽器による演奏ですが一聴に値します。まあ、音楽評論家の評価はいまいちなんですけどね。
こちらは1954年の録音もあるのですが、このモノラル録音に比べれば、クレンペラーの演奏はテンポはずっと遅く淡々としていますが、「ジュピター」の名に相応しい堂々とした演奏です。第1楽章冒頭から既にクレンペラーならでは充実した音楽です。40番と同様思ったほど重くはなく、中声部に重きを置いた美しい響きに惹かれます。ただ、耳を澄ませると提示部の繰り返しはなく古き良き時代の時の流れを感じさせる演奏です。
第2楽章は旧盤よりも更に深い密やかさで弱音器付きの弦が非常に美しい響きを奏でます。このころはオーケストラも次第にクレンペラーの楽器になりつつある頃でクレンペラーの意図した弦の掛け合いを楽しめます。
第3楽章はモーツァルトとしては英雄的な響きのメヌエットです。そして、終楽章は気力、スケールともに素晴らしく、フガートでヴァイオリンが左右で旋律を受け渡しする様はスリリングでさえあります。この対向配置による効果は、ロマン派後期以降の曲ではあまり効果的ではないでしょうが、古典期のシンプルなオーケストレーションの曲を聴くと、改めてその効果に驚きます。クレンペラーがこの配置に固執していたのは録音の効果のためではありませんが、結果として残された録音からはクレンペラーの響きの特徴を形つくっているのは確かでしょう。
この録音でもクレンペラーはリピートを全く行っていませんが、この凝縮された演奏はそういうものを感じさせない緻密さと緊張感があります。一般の指揮者でもそれは感じますが、無駄をそぎ落とした演奏の中で広げられる音楽は並みの指揮者ではできないことでしょう。クレンペラーにとって、1962年は夫人を亡くした後、大火傷で休養して以降、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団になるまでの期間にあたり、精力的に定期公演、客演、レコーディングをこなしていた期間でした。ついでにこの年の後半はアメリカ、フィラデルフィア管への客演があり、極度の鬱状態の期間があったようです。
現代音楽にも精通していたクレンペラーですが、この時期以降はレコード会社からの要請はあったとは思いますが、一般的な有名曲をどんどん録音していきます。そのターニングポイントがこの録音であったような気がします。贅肉をそぎ落としたモーツァルトは多分これからは録音されることはないでしょう。そういう意味では貴重な録音です。