とはずがたり | geezenstacの森

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マンガ日本の古典

とはずがたり

 

著者/

作画/いがらしゆみこ

脚色/芝風美子

出版/中央公論社

 

 

『とはずがたり』は後深草院の後宮に入った二条というひとりの女房が、三六年間に亘る自らの半生をつづった日記・紀行文学である。伝本は宮内庁書陵部蔵の桂宮本(江戸時代初期の写本)のみが現存。昭和一五(一九四〇)年に世に初めて紹介されるまで、ごくわずかな人々にしか知られていなかった作品である。
 鎌倉時代、権力の中枢は貴族の手から武士の手へと移り変っていた。ややもすれば退廃的な宮廷の世界で数奇な体験を重ねつつも、自己を確立し成長していく二条ーー。その生き様は、七〇〇年の歳月を経た今日でも鮮烈な印象を与えずにはいられない。---データベース---

 

 どうも日本の古典は今の現代人には別の日本語に思われる部分があるし、それほど教養があるわけではないので作品中に現れる短歌なども意味不明でわからないところがありいま、NHKで放送されている紫式部の物語「光る君へ」の視聴も二の足を踏んでいます。日本史は飛鳥時代まではなんとかついていけるのですが、平安朝から室町、鎌倉時代まではどうも付いていけません。以前、吉田兼好の「徒然草」も途中で断念しました。そんな中で、偶然見つけたのがこの「とはずがたり」です。源氏物語は長大なスケールの物語ですが、あまり世に知られていないこちらは時代も鎌倉時代で一人の女房、後深草院二条の語る半世紀ならついていけるのではと読んだ次第です。

 

 古典日本文学も漫画の力を借りないと読解出来ない体たらくですが、さすが「キャンディ・キャンディ」の作者でもあるいがらしゆみこ氏の巧みな作画で最後まで読み通すことができました。この作品、後深草院の後宮に入った女房二条が、三十六年間にわたるみずからの半生を綴った日記・紀行文学です。鎌倉中期の宮廷で燃えあがる灼熱の恋と罪の呵責の相剋―。苦しみの果てに自己を確立し成長していくひとりの女性の姿を叙情豊かに描いています。そして、平成九年度文化庁メディア芸術祭マンガ部門で大賞を受賞しています。

 

 元々の作品は古典文学と言っても1938年(昭和13年)に再発見された「新しい古典」です。要するに江戸時代の一般庶民はこういう物語は知らなかったというわけです。原作は5巻からなる作品です。物語は二条院14歳の時から始まります。巻末に問うじょぅ人物の相関図が掲載されているのでそれを参考に横進めていくのですが、ストーリー中の表記と表の表記が必ずしも一致していないので、首っ引きで照合するという作業が必要になります。

 

 

 「有明の月」は作中では「阿闍梨」と表記されています。

 

第1巻

 二条は2歳の時に母を亡くし、4歳からは後深草院のもとで育てられ、14歳にして他に想い人「雪の曙」がいるにもかかわらず、後深草院の寵を受けます。二条は院の子を懐妊し皇子を産みますが、程なく父が死去してしまいます。後ろ楯を亡くしたまま、女房として院に仕え続けますが、雪の曙との関係も続きます。雪の曙の女児を産みますが、後深草院に知れることを恐れ他所へやることになります。ほぼ同じ頃、皇子が夭逝。

第2巻

 粥杖騒動と贖いの巻で、「有明の月」に迫られて契ります。女楽では祖父の兵部卿・四条隆親と衝突し宮廷を後にします。また、「近衛大殿」と心ならずも契ることになります。

第3巻

 有明の月の男児を産むが、他所へやることになります。有明の月が死去し、同じく彼の胤である2人目の男児を産みますが、今回は自らが育てる決心をします。かねてより考えていた出家を決意し御所を退出します。

第4巻

 尼となったのちの日々。熱田神宮から、鎌倉、善光寺、浅草へ赴きます。八幡宮で後深草法皇に再会しさらに伊勢へ足を向けます。

第5巻

 厳島への途中大可島の遊女の庵へ赴きます。二条45歳の時、遂に後深草法皇死去します。跋文。

 

という構成になっています。これらのさまざまな出来事をピックアップして漫画は時代背景を描写しながら語られていきます。特に第3巻の出来事など源氏物語の「若菜下巻」の出来事を彷彿とさせる展開になっているようで、武家の台頭により形骸化している朝廷の儀式だけが虚しく執り行われています。まあ、狭い世界での出来事で、男女の仲は隠せ通せるものではありませんが、後ろ盾のない二条の乱れた肉体関係が赤裸々に綴られています。こういう、状況では「出家」というのは最後の逃げ道になっていたのではと、思ってしまいます。これは日記文学で、一人の女性の目を通した鎌倉時代の宮中の人間模様を描いていますが、女性の地位の低さと、権力の構造が垣間見える作品になっています。作家の瀬戸内寂聴氏はこの二条の生き方に触発されて出家していますが、彼女の人生もこの二条同様のものであったのかもしれません。