NSO(名古屋ショスタコーヴィチ管弦楽団)第5回定期演奏会 | geezenstacの森

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NSO(名古屋ショスタコーヴィチ管弦楽団)

第5回定期演奏会

 

 

 

 ひな祭りの3月3日はNSO(名古屋ショスタコーヴィチ管弦楽団)第5回定期演奏会へ出かけてきました。このオーケストラショスタコーヴィチに特化して演奏している団体です。素晴らしいポリシーで活動しているのですが、どうも告知が下手で、今回のコンサートもチラシを見かけたことがないのでほとんど知られていなかつたのではないでしょうか。かくいう小生もこのオーケストラの第1回の演奏会は全くその存在を知りませんでした。第2回はたまたま、県芸のプレイガイドにチラシが置いてあったので初めてその存在を知ったのでした。上のチラシ画像もXの告知から拾っています。また、最近のコンサート会場不足を反映してか、会場がコロコロ変わり、開演時間も変わってしまうということで誠に困ったことです。今回も5回目にして名古屋市民会館とはじめての会場でした。

 

リハーサルの様子 ステージが前に迫り出しています

 

 まあ、その選択はステージの大きさも影響していたのかもしれません。プログラムは上記のとおりですが、前半の交響曲第9番からしてコントラバスが12本も並んでいるという巨大な編成でした。下がその配置図です。

 

 

 そんなこともあり、前列の客席を潰してステージが前に迫り出していました。本来はショスタコ特有のアイロニーで溢れた作品で、波いる作曲家の第9番とは趣を異にする重厚壮大な曲とは全く違う構成で、尚且つ短いながらも5楽章あるという構成はいかにもがなという感じがします。そういう曲ということもあり、通常は軽快なテンポで第1楽章は始まります。しかし、今回は編成が大きいこともあり、小回りが効かなかったのかアレグロの指定でありながらやや鈍重なテンポで始まりました。そのためちょっと本来この曲がもと雰囲気とは違う色合いになっていました。初世が初めて聴いたのがミラン・ホルヴァート/ザグレブ・フィルの演奏であり、その後もコンドラシン、バルシャイと聴いてきてこの早めのテンポに慣れていたので、今回のテンポはやや異質に感じてしまいました。

 

 この曲は、ショスタコーヴィチの交響曲の中でも、1番軽量なもので、並いる作曲家の交響曲第9番は、その重厚長大さにおいて、皆、恐れ小のいて作曲をしていましたが、ショスタコービッチは、そこに交響曲第9番の重圧を吹き飛ばすかのようなアイロニーを込めた、軽量な作品で、世に通うたわけです。

 

 ただ、ここでは上の編成表を見てもわかる通り、コントラバスが12本も使われています。これは本来の編成とは違う規模の大きなもので、次に演奏する第4番のための配置と言えるでしょう。その為もあってか、アンサンブルを揃えるために、少し慎重になったテンポ設計がなされたような気がします。そういうことで、この曲の軽妙な面白さが半減されてしまったのがちょっと残念でした。下ぐらいの演奏ならもっと楽しめたのになぁというのが正直な感想です。

 

 

 さて、後半はショスタコーヴィッチの交響曲の中でも最大規模を誇る交響曲第4番です。ここではさらにその編成が拡大されて、本来の134名という人員での演奏会となりました。指定の編成は第一バイオリン22、第二バイオリン20、ビオラ18、チェロ16、コントラバスは14とさらに増強されていて、これが本来の編成です。和田氏の指揮はこちらの曲に焦点を当てて、この重厚長大な曲を全身でドライブしていきます。第一楽章は交響曲第7番に匹敵する。25分以上の時間がかかる楽章で、そこにはマーラーの交響曲第3番や第7番のスコアを研究した後が如実に現れています。ショスタコーヴィチは他人のモチーフを巧妙に自作の中に取り入れるのがうまい作曲家で、ここでもマーラーの作品からの引用をたくさんちりばめています。

 

 このプログラムはよく考えられたもので、交響曲第9番は、変則的な5楽章で書かれているのに対して、この第4番は3楽章で成立しています。それも第1楽章が26分程度、第2楽章が8分程度。また第3楽章が26分程度と非常にシンメトリックな構成で書かれています。またもう一つ異色なのは、この交響曲の第3楽章は、序奏付きの自由な変奏曲の形式で書かれていますが、長大なコーダでは、突然2人のティンパニ奏者の連打を伴い、金管群のコラールが堂々と奏でられ、そして悲劇的な3拍子の行進曲がカタストロフのごとく炸裂します。最後は力を失い主調であるハ短調の和音が響くなか、弱音のトランペットが警鐘のような主題を鳴らし悲しみの入り混じるか、チェレスタの響きにより静かに終わります。こういう交響曲はショスタコーヴィッチの中では珍しいもので、いつもは華やかな主題の強奏によって華々しく終わるのですが、ここでは弱音とともに終了します。こういう交響曲であるがために演奏が終わった後は若干の沈黙があり、聴き手としてはこの交響曲の雄大さを噛み締める時間が持てたものです。その後はブラボーの掛け声とともに大きな拍手が起こりましたが、この一時の沈黙がこの交響曲を味わう余韻を引き立たせていました。演奏はとてもエネルギッシュなもので、ソロのパートが多い作品ですからちょっと張り切りすぎた感もあるような大きな音での飛び出しや音程の踏み外しなどもありましたけれども、アマチュアオーケストラらしい指揮者の棒に食らいついていく姿勢は、なかなか聴いている側にも伝わってきました。

 

 

 最後のアンコールはこのオケの定番の交響曲第7番のフィナーレのコーダが演奏されました。

 

 ショスタコーヴィチの全曲演奏会残りは4曲になりました。多分最後は第1番と第7番の組み合わせと予想しますから、次回は第2番と10番の組み合わせかと思います。残念なのは告知が下手で会場もまちまち、開演時間の変更などもあり、コンサートにたどり着くまでが大変なことです。第1回などいつ開催されたか知らなかったほどで、2回目は芸文のプレイガイドでチラシを見つけましたから参加できましたが、チラシすらまともに配布されていないのでお客が集まりにくいのでしょう。素晴らしい演奏会だったのに今回も1階席の前の方はガラガラでした。来年の3月はあけておきますから早くプログラムを発表してほしいものです。彼らの演奏はインスタにはそのダイジェストがアップされていますが、一眼に触れるYouTubeにはひとつもないのでその実力を知る方法がありません。これも残念なことです。

 

 

 

 もう一つ、感心したのは今回の演奏会から楽員が入場しても席に立ったままでコンサートマスターを迎えたことです。これはプロのオーケストラでは今や常識的なことですが、こういうマナーを提唱したのは飯森範親氏でした。こういう形なら聴き手も温かい拍手で楽員を迎えられるというものです。アマチュアのオーケストラでこういった入場の仕方を見たのが今回が初めてでした。これは他のオーケストラも見習って欲しいものです。