レコード芸術1974年6月号 6 | geezenstacの森

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レコード芸術

1974年6月号

6

 

 この記事で、1974年6月号は終了します。最後に取り上げるのは連載されている音楽評論家の自宅を訪ねる、音楽と音と再生装置と言う連載です。この会はこの当時交響曲の担当をしていた大木正興氏を訪ねています。

 

 氏は当時、NHKのN響コンサートの番組を担当していましたから、覚えておいでの方も多いのではないでしょうか。その他、地元の中日新聞(東京新聞)で音楽会の批評も書いていました。ただ、この記事にある大木正興氏や若林俊介氏などをネットで検索してもまともに記事がありません。もう忘れさられているんでしょうなぁ。今回はこの特集の全文を取り上げていますが、氏は火事にあって自宅の半分を消失し、膨大なレコードコレクションも失っていました。ただ、リスニングルームのほうは間免れたようで、こちらにあったレコード類は残っていたようです。また、記事を読み解くと、若林氏と大木氏は文化放送で一緒に働いていたことがあるような記述になっています。

 

 氏のリスニングルームは18畳ほどの大きさで、また地下に鉄筋コンクリートの空洞があるということで、音響特性は素晴らしい部屋であったようです。そこのメインの装置は、スピーカーが三菱のES-305、これをラックスの真空管アンプCL-35マーク2、及びM960カスタムでドライブしていたそうです。レコードプレイヤーはデンオンのDP 3000プラス FRのFR 54、これにカートリッジがFR 5、デンオンのDL 103とオルトフォンのSPUGなどを差し替えて使っていたそうです。また別のセットは4チャンネル用ということで、ビクターのJL-B44プレイヤー、アンプがJA-S5、スピーカーがSX-3というシステムで構築していたようです。ディスクリート4チャンネル用としては、ビクターのCD4-10とマトリックス用として、ソニーのSQD-2020 が組み込まれていました。ただ写真を見る限りSX-3は縦と横置きのパターンが写っていますから2セットを稼働させていたと思われます。これはベストセラーでしたからねぇ。小生はこのアップグレードのSX-511を現在も使っています、

 

 僭越ながら、小生もアンプにはJA-5を使っていたので、4チャンネル再生はマトリック方式しか組み込みませんでしたが、ほとんど同様なシステムになっていたのではないでしょうか。まぁ詳しい内容はアップした写真の記事を得とご覧ください。

 

 

 この年バーンスタインがまた来日しています。まぁ次期音楽監督がブーレーズでしたので、そのお披露目も兼ねての来日公演でした。そしてこのコンサートを全国で1000名を招待すると言うのですから大層な企画です。名目は「ニューベストクラシック100 選」の発売記念ということですが、まぁこれはこじつけでしょう。

この当時は、ソニーが発案したサンプラーのカタログがヒットしていましたので、販促を打つには余裕があったのでしょうか。音のカタログも全8巻が揃っています。

 

 

 ホロヴィッツは、2ページぶち抜きで、彼の最新録音のベートーベンの熱情の広告を打っています。このジャケットはホロヴィッツ夫人と共に写っていて、なかなか味わいがあります。さらに記事としてホロヴィッツが獲得したグラミー賞のアルバムを列記しています。ここまでで9作品がグラミー賞を受賞していることになります。

 

 

  この頃はシンセサイザーを使ったアルバムがヒットしていました。後にウィンディ・カーロスと名前を変え変えるワルター・カーロスが製作した「スイッチド・オン・バッハ」がブームになっていました。ただ、その下のジョン・ウィリアムズのミキス・テオドラアルバムは全く記憶がありません。

 

 

 まだ当時はリスト版のベートーベンの交響曲をピアノで演奏すると言うピアニストはほとんどいませんでした。運命をグレングールド、そして第九をこのコンティグリア兄弟が演奏したものが非常に話題になったのを覚えています。小生もFMで放送された音源をテープにダビングしてよく聞いていたものです。

 

 フィリップスは後にこの音源を廉価盤にも投入しました。もちろんゲットした事は言うまでもありません。

 

 

 ハイティンクは続々と話題作を録音していましたが、セールスにはあまり結びついていなかったようです。「春の祭典」などオーディオ的にも素晴らしい録音だったのですが、あまり見向きもされませんでした。小生はこの録音も廉価盤で投入されたときにゲットしています。当時のフィリップスの録音は全体的には渋い音でしたが、そのダイナミックレンジは広くHi-Fi録音が多かったような気がします。

 

 

 1000円盤時代が終わり、フィリップスのグロリアシリーズは1300円に上がっていました。そんなことで新しくグロリア200シリーズが始まっていました。ジャケットは日本独自の縦型の文字を採用したもので、全く異色でした。ただし、しばらくの間は、いろいろなシリーズにこの方式を取り入れていました。

ということで、1番下に記載されているフルトヴェングラーのレコードも全部この形式で発売されています。中には結構眉唾的な音源も含まれていたと記憶しています。

 

 

 東芝はブレヴィンの話題作を次々と投入していました。ただこのプレビの惑星は全く記憶にありません。売れたんでしょうかね。

 

 

 表紙のページは、それまでのグリーンの帯を使った広告を掲載していますが、その他のページは一転して白黒のモノクロのページが差し込まれていました。費用対効果で広告費に予算がつけられなくなってきていたのでしょうか。

 

 

 レコード会社のレーベル契約の移動は、そのレーベルを所有する親会社の意向で簡単に発売ルートが変わってしまいました。ABCダンヒルはこの当時キングから東芝に変わっています。そんなことでウェストミンスターレベルは東芝からの発売になりましたが、いかんせんモノラルばかりの録音で東芝はそういう録音を廉価盤には投入しませんでしたから、個人的にはこれ等の商品は見向きもしませんでした。

 

 ソニーに対抗して東芝もベスト100シリーズをこの当時は発売していました。却ってこういうシリーズの方が値段がまた元に戻ったような2000円で出ていますから、確かにお買い得のような気はしました。

 

 クラシックはひとまずこれで終了とします。ここからはジョン・ルイスとMJQと言う特集記事がありましたので、それをピックアップしています。小生は個人的にこのM JQが好きと言うこともあり、かなりのアルバムを集めました。特にジョン・ルイスがバッハに傾注していることもあり、彼は平均律クラビア曲集なども録音しているジャズピアニストです。

 

 

 レコ芸は当時はポップスの記事も充実していて、点数的には多くありませんが錚々たるメンバーがお眼鏡にかなったアルバムを紹介していました。その冒頭のコラムも蘊蓄のあるものが書かれています。小生もなぜポップスのアーティストが猫も杓子も「武道館」公演を目指すの理解できなかったもので、野口久光氏のこの威厳には賛成です。まあ、今のポップスアーテイストは演奏よりもパフォーマンス優先というところがありますからそう割り切ればいいのでしょうが子と音楽を聴きに行くという行為を重点に考えればコンサートはやはり音楽用のホールで聞くのが一番でしょう。

 

 

 クラシック一辺倒ではなかったので、ポピュラーの記事もきちんと拾って読んでいました。トップのマッコイ・タイナーは2枚組ながら価格は1枚ものということで注目されたアルバムです、タイトルはイスラム教の「悟り」を表す言葉です。マッコイ自身もイスラム教徒ということもありいかにもガナというアルバムですな。そしてね次に取り上げられているのがニール・ダイヤモンドの「かもめのジョナサン」のサントラです。映画自体は大コケとなった様品ですが、サントラとしては秀逸でグラミー賞に輝いています。多分、このアルバムでニール・ダイヤモンドを知りのめり込んでいったのでしょうなぁ。まあ、いっぱい名曲がありますからなぁ。

 

 

 次に紹介されているのが「スティング」です。とは言っても映画の方です。シユ大曲のスコット目ジョプリンの「ジ・エンターティナー」なんか大ヒットし、ジョプリンが再評価されるきっかけとなった映画でもあります。また、当時はクロスオーバー、のちにフュージョンと名前が変わりますが、そういう音楽がジャズの一角として台頭してきました。この流れで頭角を著したのが、デオダートであり、アイアート・もれいら、さらにはボブ・ジェームス、ドン・セベスキーなんかが注目を浴びます。そのCTIレーベルを牽引したのがクリード・テイラーというプロデューサーなのですが、そのオールスター盤がこの時登場しています。それが、「ジャイアント・ボックス/CTIオールスターズ」というアルバムでした。

 

 

 オスカー・ピーターソンもアルバムを集めたジャズ・ピアニストの一人です。特にMPS時代のものはほとんど試余裕しているでしょう。

基本的にはライブの人でその類稀な明るい響きは心をハッピーにしてくれます。ここではMPSから古巣のパブロへ戻って録音したアルバムが紹介されています。

 

 

 レコード芸術と歌いながら文化芸術一般も取り上げていた時代で、この時映画は岡俊雄氏から今野裕二氏に変わっていました。ロードショーとかスクリーンでは輝いていた今野氏でしたがここではちよっと勝手が違ったのかあまり砕けた論評はしていなかったのですが、その分辛口の批評でぎゃつぷを楽しんで読んでいました。そんな今号では話題作「エクソシスト」を取り上げています。ウィリアム・フリードキンの

問題作でオカルトブームを巻き起こしたさくひんですな。音楽的にもマイク・オールドフィールドの「チューブラー・ベルズ」の冒頭部分をうまくこの映画に取り入れて当時はマイナーだったオールドフィールとを一躍表舞台に引っ張り出しました。

 

 

 パーシー・フェイスはエクソシストとしてではなく、チューブラー・ベルズとしてその第5楽章をイージー・リスニングにアレンジして演奏していました。