レコード芸術1974年6月号 3 | geezenstacの森

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レコード芸術

1974年6月号

3

 

  この号では、当時第一線で活躍していたプロデューサーが一同に会してセッションとライブの違いと問題点について忌憚なく意見を交わしています。この中で、名前を知らなかったのはNHK洋楽の八木さんですが、NHKとしてのライブの収録、スタジオでの収録の方法論の違いがくっきり表現されていて面白かったです。また、この月はRCAの井阪さんが八面六臂の活躍で録音していますが、彼の録音に対するアプローチはその後の活躍とともになかなか興味深いものがあります。

 

 つまり、ここで述べられているのは、ライブレコーディングでも録音を前提としたものと放送で収録されたものの違いが結構あるなぁということです。そしていろいろな意見が出る中で、最終的にはライブレコーディングでもその仕事をする人の理念がきっちりしていれば、それが商品としての価値を生み出すと言うのが、最終的な結論なんでしょう。

 

 

 この号の裏表紙は、ノイマン/チェコフィルのスラブ舞曲集が掲載されていました。アンチェル亡き後のチェコフィルは、命運をノイマンに託したわけです。この録音は、テレフンケン(現在のテルデック)によるものですが、ノイマンとチェコフィルの録音がスプラフォン以外から発売されている珍しい例です。多分、アンチェルの後チェコフィルの主席指揮者になっていますが、ソビエトの侵攻には抗議していて、同年にはゲヴァントハウス管弦楽団の音楽監督は辞任しています。多分この時点で、録音契約が残っていたのでその穴埋め的な形でこの録音がなされたのではないでしょうか。ちなみにこの組み合わせで他にテレフンケンに録音したものではチェコ組曲とスラヴ狂詩曲を録音したものが残されています。ブリューゲルの絵が大きく扱われていますが、実際のジャケット写真は小さくその下に印刷されているノイマン裏横顔のポートレイトがデザインされたものです。

 

 

 ここでは、ノイマンとチェックフィルについての記事が掲載されていました。どうも記事の内容によると、ノイマンは若手でありながら既にかなり期待されていたことがわかります。クーベリックがやめた後一時期チェコフィルと活動していましたが、アンチェルが1950年に常任になった時一度身を引いています。いろいろな記事を総合すると、ノイマンはかなり政治的に動いてチェコフィルの座を射止めたような感じです。それでも作られる音楽が魅力的ということで、チェコフィルも彼に託したのでしょう。ノイマンは1968年から1989年まで首席指揮者として活躍しました。

 

 

 レコーディングプロデューサーが登場したということで、先に国内レコーディングについてのグラビアを紹介します。この頃、RCAビクターの系列では、4チャンネルレコードを軌道に載せようと躍起になってレコーディングをしています。その中心になっているのが、先のRCAのディレクター、井阪紘氏です。オーレル・ニコレと小林道夫のレコーディングを始めドイツ・バッハ・ゾリスデンのセッション録音、はたまたは豊田耕児の小林道夫や安川加寿子とのセッション録音、江藤俊哉夫妻による録音など精力的にこなしています。

 

 

 この記事を読むまでこんな録音があったなんて全く知りませんでしたが、ウィーンのスタジオを使ってピアノのイエルク・デムスと豊田耕児のデュオによるシベリウスやシューマンの録音がなされていました。海外での4チャンネル録音をできるスタジオはここしかなかったということでのセッションが繰り広げられています。とくなーにシベリウスの作品は世界初録音ということですが、セッションは非常に順調に行われて予定よりも早く終了しています。豊田氏の寄稿ですが、この録音に関する様々な情報が盛り込まれています。記事によると、でむすの使ったピアノはベーゼンドルファー、シベリウスは天板を半開、シューマンは全開で収録されたとのこと、また録音機材についての言及もありなかなか興味深い内容になっています。下にジャケットを掲載しましたが、こういうレコードが発売されていたんですなぁ。

 

 

4chで録音されていますが流通したのは2chのもののようです

 

 次回に続きます。