名古屋駅西喫茶ユトリロ
龍くんは引っ張りだこ
著者:太田忠司
出版:角川春樹事務所 春樹文庫
名古屋駅西で長く愛される老舗喫茶店ユトリロ。そこを営む祖父母宅で暮らす医学生の鏡味龍は、自分の将来について悩んでいた。医者が向いているのか、好きな喫茶店を仕事にできるのか……。そんな龍に人の好さから様々な依頼が舞い込み、ちょっとした違和感から日常の謎を解き明かし、他人の悩みは解決していく……。龍くんの明日はどっちだ? 納屋橋饅頭にイタリアンスパゲッティ、名古屋弁での会話も温かい、ご当地グルメミステリー!---データベース---
前巻が2021年3月に出版されていますから、2年ぶりの新刊です。このシリーズは太田氏の名古屋ものの中ではちょっと毛色の変わった作品になっていて、確かに推理ものではあるんですが殺人が起こるわけでも、喧嘩が起こるわけでもありません。名古屋飯に関係するちょっとした事件がユーモアに描かれています。過去の3作品とも取り上げています。
現在名古屋駅周辺はリニア新幹線の建設が始まっていて、あちこちで立ち退きが始まっています。この、小説が舞台の名古屋の駅西も例外ではありません。舞台の駅西商店街はすでにあちこち空きスペースができていますし、小説の中でもその立ち退き話が登場します。この店のモデルがありますが、それは第2作で取り上げています。リアルと想像の店舗がうまくミックスされていてユニークな仕上がりになっています。この間の章立てです。
目次
どて煮と見通せない将来
天むすと少しばかりの転機
納屋橋饅頭と優しい詐欺師
イタリアンスパゲッティと意外な誘い
味噌カツと新たな一歩
コロナというパンデミックは外食産業を直撃し、喫茶ユトリロも常連客以外の来店はめっきりなくなってしまっています。龍の祖父母はそろそろ店仕舞いすることをリアルに考え始めています。ただ、祖父の正直は龍(とおる)にコーヒーの淹れ方の勉強会への参加を促します。名大医学部を休学中の龍は断る理由がないので、いそいそと出掛けていきます。そこで出会うのが東堂虎(たいが)というマスターで龍と虎という組み合わせが登場するというわけです。この龍がコーヒー豆をブレンドしてオリジナルを作ることがこの小説の大きな柱になってきますが、そこにどて煮とか天むす、納屋橋饅頭などが絡んでくるわけです。名古屋飯と一概に言いますが、地元に住んでいる小生らにとっては昔から属しているものばかりでちっとも珍しいものでもなんでもない美たべものばかりです。
牛すじのどて煮
龍自身、名古屋大学の医学部に合格しながら、勉学に身が入らず、休学中です。そうした将来を見通せない主人公たちの前に、不可思議な豚肉混入事件が発生するというわけです。冒頭のストーリーでは西区の弁天通りの肉屋が作るどて煮が登場します。弁天通はお祭りがあり、子供の頃はよく出かけたものです。高校時代の友人も住んでいたので馴染みがあります。ただ、肉屋があったのは、ここより、ちょっと西の天神山だなった気がします。
ここでも龍は牛のどて煮に豚が混ざっていたことから事件になります。事件の真相解明は拍子抜けするほどあっさりと進んでいきますが、それはこのシリーズのいつものことで、それよりこの巻は龍の将来どの道に進むのかという悩める選択の道筋を見つけるために名古屋飯が登場していると言ってもいいでしょう
「自分が何をすべきかわかっている人間なんて、じつはとても少ない。みんなするべきことを探しながら、でも見つけられないまま生きているんです」
「好きなだけ迷えばいい。迷うのは辛いかもしれないが、その辛さも含めて人生の糧です」
という言葉で著者が登場し人物の口を借りてエールを送っています。
「天むすと少しばかりの転機」
天むすにかかわる蘊蓄から入ります。実は天むすは発症は三重県で暖簾分けの店が名古屋にあったことから名古屋飯と言われるようになります。龍の叔父・宣隆はビデオゲームファンに向けた期間限定のカフェを企画することになります。たまたま、龍が試作したコーヒーがいいじゃないかと採用され、ついでにスナック感覚で食べることができる天むすにゲーム食としてアレンジを加えたものが提供されることになります。具の手羽先としては世界の山ちゃんで無く「風来坊」が登場するあたり渋いですなあ。
「納屋橋饅頭と優しい詐欺師」
名古屋の銘菓とされる納屋橋饅頭が2022年1月に生産工場の老朽化に伴ってすべての販売店を畳んでい販売中止となりました。名古屋の老舗の饅頭ですが、酒蒸し饅頭ということで最近の若者には好まれていなかったのではないでしょうか。名古屋駅のキオスクでも扱いはありましたかからそこそこは売れていたんでしょうなぁ。この最後の饅頭をめぐって一事件起きます。それよりも、このストーリーの中で龍の曾祖母・千代が語る終戦直後のコーヒー事情が興味深かったです。日本の戦後にも、タンポポの根を焦がして、湯で煮出した代用コーヒーがあったのだとか。他にもどんぐりを煎ってコーヒーの代用品にしていて、コーヒー豆が当たり前に出回るようになるのは昭和30年くらいだったという話を興味深く読みました。
「イタリアン・スパゲッティと意外な誘い」
1980年代ごろの名古屋の喫茶店はドコモ鉄板に乗った「イタリアン・スパ」が定番のようにありくしたがこれは名古屋独特のものだったんですなぁ。でも、このストーリーはそんなことには関係ないように、龍が立ち寄った叔父・宣隆が開いたカフェに違和感を覚えます。そこで出された「暗黒コーヒー」は龍が考案したものとは別物になっていましたし、天むすも売れているとは言い難いものでした。何よりの違和感は店員のやる気のなさと、リピーター客を獲得するには程遠いオペレーションでした。
ここでは医学部の休学を続ける龍に友人の駿が話をするために来店します。二人の会話から、生きることに悩む若者の心情が浮き彫りになります。そして駿は竜に引導を渡します。
「お前は休学届を出した時点でもう、医学生としてやるべきことはやってしまった。それ以上はないんだ。」
と、
「味噌カツと新たな一歩」
東京にいる父の昭光が龍を尋ねて名古屋にやってきます。父と息子が味噌カツを矢場とんで食べる場面が本当に胸に迫りました。父はこの時点で息子は医者にはならないということを悟っていたんですなぁ。で、タイトルの方は味噌カツに絡めた商品の差し替えと横領ということが発覚します。
ここで、第2巻で登場した東京の女子大生の雫が突如登場します。まあ、こんなことでこのシリーズは第1巻から読まないと理解できないつながりがあります。なんか急にいい感じになります。
最後は父親との対面で矢場とんのの味噌カツを食べに行くくだりが登場します。ここで、大学を辞めることを認めるにあたり「立浪が監督になった」からナゴヤドームにドラゴンズの試合を見に行けという条件をつけます。2023年シーズンが終わろうとしている現在の状況を知る小生としては苦笑せざるをえません。龍よ、今季は行かなくていいぞ、来季にしろ!!と声をかけたくなります。