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ウィーンフィルの哲学

至高の楽団はなぜ経営母体を持たないのか

 

著者:渋谷ゆう子

出版:NHK出版新書

 


 言わずと知れた世界最高峰のオーケストラ、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団。なんと彼らは創設から一貫して経営母体を持たず、その運営を演奏家たち自身が行っている。なぜ彼らは長きにわたり後ろ盾なしで存続し、伝統を守り続けてきたのか。2020年、コロナ禍でコンサート開催が困難を極めた時期の来日公演の舞台裏から、組織のマネジメント形態や奏者たちによる「民主制」の内実、偉大な音楽家との関わりや戦時の対応、変化するマネタイズの手法まで。音楽ジャーナリストとして楽団長や団員に取材を行い、同時に彼らのレコーディングにも参加する著者が明かす、180年続くウィーン・フィルの「行動原理」。---データベース---


 ベルリン・フィルとともに世界の二大オケとして並び称されるウィーン・フィルが、その母体であるウィーン国立歌劇場管弦楽団の楽団員から選抜された楽団員から成るということや、楽団員による自主運営組織で、音楽監督や首席指揮者を置かないユニークな楽団であるということはクラシック音楽ファンには周知の事実ですが、そうした哲学・なぜ経営母体を持たないのかに迫っているということで興味を持ち、本書を読んでみる気になりました。 タイトルは「ウィーン・フィルの哲学」ですが、むしろ「~のマーケティング戦略」「~のブランディング哲学」といった内容で、非常に興味深い内容です。以下、章立てです。
 

目次

第1章 音楽界のファーストペンギン
第2章 ウィーン・フィルとは何者か?
第3章 ウィーン音楽文化と自主運営の歴史
第4章 戦争が落とした影
第5章 王たちの民主主義
第6章 アート・マネジメントの先駆として

 この本ではまず第1章で、世界中の音楽家がかつて経験したことのなかった未曽有の危機であったコロナパンデミック下でのウィーン・フィル楽団員及び楽団の活動状況を、第2章から第5章まででは、ウィーン・フィルの特徴や組織の運営方法、さらにはその誕生前後から現在に至るまでのウィーン・フィルの歴史などを詳しく紹介し、第6章では、若い奏者育成を目的としたウィーン・フィルアカデミーとウィーン・フィル独自の青少年教育システムを紹介した後に、筆者の専門分野である音源制作にまつわる様々な話題について論じています。

 

 まず、そのコロナ禍の対応に目を見張りました。まあ、当時は世界中がコロナの対応であたふたとしていましたが、ウィーンフィルはその初期の段階で早くも奏者のソーシャルディスタンスの距離の問題をオーケストラ全体の問題ととらえすべての楽器で実験していました。日本では木管や金管楽器だけで調査していたニュースを見ましたが、ウィーンフィルは違ったんですなぁ。

 本書を読んでいて小生が一番驚いたのは、実は第4章の「提携する弁護士や会計士、一部の事務を担う補助的なスタッフが数名いるのみだ」という小文でした。提携する弁護士や会計士の存在は当然として、「運営に関わることは全て自分たちの手で行っている」(第2章)としても、超一流のウィーン国立歌劇場管弦楽団とウィーン・フィルの奏者としての練習や公演に多大な時間や労力を費やさざるを得ない人たちには、当然ある程度の数の事務補助員が付いているはずと思っていたので、わずか数名が本当だとしたら、人ごとながら本業の方は大丈夫なのだろうかと心配になってくるほどです。

 
 ニューイヤーコンサートはTVでよく見るし、音源も聴くのでよく知ってるウィーン・フィル、 でも知っているかのようで、その実態はなかなか興味深いものがあります。 今ではかなり明らかになりましたが、ニューイヤーコンサートと同じプログラムが3回連続して行われていたとは驚きです。 
 
 本書で最も驚かされたのは、1842年の設立以来、ウィーン・フィルが一貫してオーケストラの演奏家たち自身によって自主的に運営されているという事実です。ウィーン・フィルの最高意思決定機関は147名の演奏家を正会員とする総会であり、そこで収益を配分し、コンサートごとに指揮者を選ぶ。政府や企業の経営母体を持たず、常任指揮者も置かず、オーケストラの演奏家たちが民主的に自由な意思決定を下しているのだそうです。なぜそんなことができるのか? 
 

 ウィーン・フィルの演奏家は全員がウィーン国立歌劇場管弦楽団に所属し、オペラ演奏によって安定収入を得ています。本業のオペラに支障がないように綿密な年間計画を立てて、ウィーン・フィルとしてコンサート活動を行っているわけです。ウィーン・フィルの母体はウィーン国立歌劇場ですが、現在歌劇場はオーストリア政府が100%出資する有限会社Bundestheater–Holdingが運営しており、楽団員は公務員ではないということです。民営化されて楽員には自由な身分が与えられ、副業的な演奏活動が可能になっています。スポンサー企業はロレックス一社ですが、経営には参加していません。

 

 そのウィーン・フィルは147名のプロの演奏家が個人事業主として集まった小さな団体に過ぎない。それゆえ、パンデミックで演奏の機会が失われると自分達の安定した収入がなくなるという切実な問題を抱えます。彼らが毎年のように日本へ演奏旅行を実施するのも、年金を安定的に確保するための手段という側面も見えてきます。ウィーン・フィルのHPを覗いたことがある人は気がついていると思いますが、ちゃんと日本語の表示があります。まあ、ヤマハがウィーンフィル独自の楽器を製造していることもありますが、強力なスポンサーがついているんでしょうなぁ。その辺りがベルリンフィルとの大きな違いかもしれません。

 

 筆者は、音楽プロデューサー、文筆家であり、株式会社ノモス代表取締役として、海外オーケストラをはじめとするクラシック音楽の音源制作やコンサート企画運営を展開しています。また演奏家支援セミナーやオーディオメーカーのコンサルティングを行う一方、ウィーン・フィルなどに密着し取材を続けています。豊富な実務経験に照らして語られる、音楽業界の変遷、ニューイヤーコンサートの舞台裏など、ウィーン・フィルと録音録画との関係も興味深いものがあります。一つエピソードを上げれば、2020年1月にジョン・ウィリアムズがウィーンフィルの指揮台に立ってコンサートが行われました。その模様はCDやDVDになっていますが、このコンサート、ウィーンフィル側からスター・ウォーズの「帝国のマーチ」をプログラムに追加できないかと持ち掛けたのです。ウィリアムズの方は、ウィンナホルンでの演奏は難しかろうということで外してあった曲目なのだそうですが、ウィーン・フィル側は果敢にチャレンジしたいということで急遽追加された曲目だったそうです。つまり、ここで聴かれるのはウィンナホルンによる唯一の「帝国のマーチ」なんですな。ベルリン・フィルとものちにウィリアムズは録音していますが、この響きだけはいかにベルリンフィルでも出せない響きだったということです。

 

 

 この本さらに、ウィーン・フィルとその歴史についても、多数の資料を読み解き、丁寧に紹介されています。その辺りは実際、この本を手に取りご自身で確認してみるといいかもしれません。

 

 最近読んだ音楽関連の書籍の中でも、出色の一冊だといえます。