ゼルキン、オーマンディ
ブラームスピアノ協奏曲第1番
曲目
ブラームス
ピアノ協奏曲第1番 ニ短調 作品15
1.Maestoso 20:24
2.Adagio 12:44
3.Rondo. Allegro non troppo 11:14
ピアノ/ルドルフ・ゼルキン
指揮/ユージン・オーマンディ
演奏/フィラデルフィア管弦楽団
録音:1961年1月 タウンホール、フィラデルフィア
P:トマス・フロスト
CBSソニー 13AC286
小生が入手したのは廉価盤L.P.(写真 CBSソニー 13AC-286 )でした。実はこのレコード、これより以前に13AC86として一度発売されていました。そちらは限定盤でしたので新たに「ヴィルティオーソの饗宴1300」というシリーズで廉価盤として再発売されたものです。以前のジャケットはこんなデザインでした。
13AC86
ソニーは1000円盤を発売しませんでしたから廉価版市場ではあまり注目されなかったのかほとんどデータがありません。小生もCBSは輸入盤のオデッセイばかりを買いあさっていましたから国内盤は見向きもしませんでした。そんなことで、のちに再発されたこちらを入手したわけですが、最初の「CBSステレオ1300」シリーズは完全限定盤と銘打ち1976年に発売されていますが、思ったより売れたんでしょうなぁ、シリーズの名前を変えて、こちらは1977年に発売されています。番号からすると、この一年の間に色々なシリーズでかなりの枚数がリリースされたことになります。ただ、このレコード棚の中でお蔵になっていてソニーお得意のファクトリーシールされた状態で眠っていました。つまりは新品の状態で眠っていたことになります。(^◇^;)
今回初めて開封してレコードに針を下ろしました。元々は交響曲として構想された スケールの大きな第一楽章の劇的な構成と何よりオケとピアノの対話の格好よさが魅力です。この頃の録音って音の感じが良いですね。オーマンディ指揮のフィラデルフィア管のシンフォニックな響きが素晴らしいですし、静まってからの丁寧な音楽づくりにも好感がもてます。プロデューサーのトマス・フロストの作り出すフィラデルフィアサウンドは豊穣です。冒頭の主題の演奏などまさに交響曲の響きです。再び現れる第1主題も大変力強く、しかも流麗で大変充実しています。満を時して登場する独奏ピアノも見事です。心がこもっていると感じさせタッチは洗練されておらず、ごつごつとしている印象がありますが、それがブラームスの音楽に合っていますし、旋律もよく歌われています。ゼルキンのピアノは折り目正しい楷書書き。ガッチリと太い芯のあるトーンを貫いています。
透きとおるように美しいアダージョの第二楽章は気品があります。ゆったりとしたテンポの中にソロの金管との絡みや左右に広がる弦の中にピアノがゆらゆらと音を紡ぎます。こういう響きを聴くとこの楽章がクララ・シューマンへの恋愛感情を感じざるを得ません。作品を完成させるにあたって、スケルツォを書き換えてアダージョを持ってきたあたりはララに対するラブ・レターのつもりだったのではないでしょうか。この演奏は、そういうシュチュエーションにぴったりの演奏です。
そして 四度上昇するピアノ独奏で始まる第三楽章の悲愴なテーマが 実は第一楽章の主旋律と密接な関連からできていることの素晴らしさに気づいた瞬間の全身に鳥肌が立つようなあの感覚が忘れられません。ヘ長調の第2主題は前録音よりもいくぶん抒情的になり、さらにデリケートに扱われています。フィラデルフィア管の優美なサウンドに対し、ゼルキンはやや無骨に感じるのですが、それゆえオーケストラに埋没しておらず、目立つ独奏となっているのかも。展開部の、音階パッセージ部はあまり強い打鍵ではありません。この辺、技巧的に少しつらさを感じますが、ゼルキンが一生懸命弾いている姿が目に浮かんで思わず応援したくなります。録音のせいで、少しピアノが引っ込んでいるように聴こえるのが惜しく、あまり盛り上がらないのが残念です。
第1主題の再現のピアノは、ゼルキンの集中力がすごく、不器用に感じる演奏ではあるのですが、それゆえ熱いものがあります。そうそう、ゼルキンの唸り声もたまに聴こえます。第2主題の再現も無骨ですが、いわゆる外面的な演奏ではなく、内面が充実している独奏でしょう。それにしてもフィラデルフィア管は巧いですね。ゼルキンのごつごつしたピアノとは対照的です。
結尾は、大変情熱的なピアノに、どこか余裕のあるオーケストラの響きが好ましく感じられます。ゼルキン58歳の録音です。
ゼルキンにはセル/クリーヴランドとの録音がありますが、こちらはオケの響きがやや冷たい印象を受けて、小生の中ではベストチョイスではありません。