山本直純と小澤征爾
著者:柴田克彦
出版:朝日新聞出版 朝日新書
「お前は世界に出て、日本人によるクラシックを成し遂げろ。俺は日本に残って、お前が帰って来た時に指揮できるよう、クラシックの土壌を整える」小澤征爾は、自分より優れた才能を持つ山本直純の激励を受けて日本を飛び出し、クラシック界の巨匠への道を駆け上がって行く。一方で山本直純は、「男はつらいよ」「3時のあなた」「8時だよ、全員集合」などのテーマ曲を手掛け、音楽の素晴らしさを庶民に伝え続ける。しかし、その多才さゆえに、彼はクラシック界では異端の扱いを受けてしまった。クラシックを心から愛し、新日本フィルの立ち上げに奔走した二人の錯綜した人生をダイナミックに描く一冊。---データベース---
小生の世代では、森永製菓の「大きいことはいいことだ」CM、TBS系列で放送された「オーケストラがやって来た」などで山本直純氏はおなじみの存在なのですが、現在では一般的に、ほぼ忘れられた存在になりつつあるのではないでしょうか?一方、小澤征爾氏は、大病の後、めっきり仕事量が減ってはいますが、やはり世界の小沢としての知名度は抜群のようです。この本ではその二人が実は斎藤秀雄式教室で出会い、以後お互いに交友関係を育み続けてきたということはあまり知られていません。
山本直純氏の誕生日は1935年12月16日です。音楽史をかじった人ならこの日がベートーヴェンの誕生日ということはご存知でしょう。その誕生からして運命的なものがありますが、家系からして音楽家になるべく人生を歩んでいます。彼の父は指揮者でありドイツでは小沢の師齋藤秀雄と一緒に学んでいます。父がキリスト教と出会った関係から自由学園に入学し、11歳の年には4手連弾曲を作曲しています。小澤征爾氏の少年時代は他の本でも多々紹介されていますからここでは省略しますが、斎藤秀雄の指揮教室で学んでいた山本直純について指揮の勉強をすることになります。初期の頃は直純の弟子でもあったわけです。この本はこんな2人の出会い、そしてお互い刺激を与えながら切磋琢磨し、友情を深めてきた軌跡を年代を追って書き綴ったものになっています。章立ては以下のようになっています。
目次
第1章 齋藤秀雄指揮教室(1932~1958)
第2章 大きいことはいいことだ(1959~1970)
第3章 オーケストラがやって来た(1971~1972)
第4章 天・地・人(1973~1982)
第5章 1万人の第九とサイトウ・キネン(1983~2001)
第6章 鎮魂のファンファーレ(2002)
のちに直純は、「オレはその底辺を広げる仕事をするから、お前はヨーロッパに行って頂点を目指せ」といったそうですが、この言葉の通り、直純は、大衆受けする仕事をし、底辺を広げ、アメリカ、ヨーロッパで超一流のオケを率い、クラシック音楽の世界の最上位で活躍をつづけました。小澤に関しては、その仕事、業績に関して多くの資料が存在していますが、直純に関しては、そのような資料がほとんどありません。ネットのWIKIもここらあたりはあまり詳しく書かれていません。
山本直純氏は芸大に進みます。作曲家を目指していたんですな。ただし、芸大では1学年上級の打楽器科学生岩城宏之氏と知り合って意気投合し、岩城とともに本物のオーケストラを指揮したい一念で、学生たちに声をかけまくって学生オケをつくり、岩城と交代で指揮をするようになります。3年生終了後、指揮科へ転じ渡邉曉雄に師事し、1958年長男出生の年に大学を卒業します。指揮科卒業演奏の曲目はのちに節目節目で登場するブラームス作曲「交響曲第1番」だったそうです。
この本には各章ごとに山本氏と小澤氏の記述が交互に描かれていきますが、この後の二人の接点は第三章までありません。小沢の日本フィルとのかかわりは1957年12月の定期演奏会の練習指揮から始まりますが、この後1962年に有名なN響ボイコット事件が発生します。作曲家としての山本直純は映画音楽やテレビの仕事話こなしながら純音楽も作曲し、1963年に指揮の渡邉暁雄が「和楽器と管弦楽のためのカプリチオ」を定期演奏会で取り上げています。また、今も放送されているフジの「ミュージックフェア」のテーマ曲やドラマ「氷点」の主題歌、さらには「いちねんせいになったら」なども作曲しています。1964年の東京オリンピックでは体操女子の床運動ではピアニストを務め「さくら変奏曲」を演奏して銅メダルを獲得しています。
そして、二人の接点は1972年の日本フィルの分裂事件を通していよいよ深い関係を見いだしていきます。この本はその経緯が第三章で克明に描かれています。そして、これが契機で二人は新日本フィルハーモニー交響楽団と大きくかかわり、苦楽を共にしていきます。まあ、それは読んでのお楽しみでしょう。興味のある人は是非一読ください。
愚直にクラシック音楽一筋に勉学にいそしみ、努力に努力を積み重ねてきた小澤征爾に対し、山本直純は、藝大在学中からすでにセミプロとして活動し、放送劇の伴奏、映画音楽の作曲などで1,2晩の徹夜は当たり前、5、6ヶ所のスタジオを掛け持ちして稼いでいたとにかく忙しい学生だったのだそうだ。卒業後も、才能豊かで器用がゆえに、次から次へと舞い込むそうした仕事を受ければ受けるほど、お茶の間の人気者にはなっても、「逆に、クラシック音楽界の正統派から遠ざけられ、溢れる才能を王道クラシック音楽で発揮できる機会を失わせることにも繋がったようです。「世界の表舞台に立つべき才能が、メディアに消費されてしまう」と憂えた岩城宏之が、N響の定期演奏会を振る機会を整え、「こっちに戻ってこい。オレたちとまた一緒にやろう」と言っても、なかなか首を縦に振らず、根負けして「わかったよ、ありがとう」と言った山本直純の声は涙にかすれていた(154ページ)のだそうです。そんな直純氏を純クラシックの方へ元そうとした岩城宏之氏の奮闘もサイドストーリーとしては書かれています。
少し残念なのは、2人の簡単な年表がないことです。これがあればもっと分かりやすかったのではないかと思います。指揮者としても活躍した山本直純氏ですが、その活動は忘れられても作曲家としての山本直純はこれからも忘れ去られることはないでしょう。
先に挙げた作品以外、代表的な作品として、童謡『歌えバンバン』『一年生になったら』、『こぶたぬきつねこ』、TV番組『マグマ大使』、『8時だョ!全員集合』、NHK大河ドラマ『風と雲と虹と』、『武田信玄』、映画「男はつらいよ」のテーマ曲、TBSラジオの人気長寿番組だった『小沢昭一の小沢昭一的こころ』のお囃子(劇中音楽)を担当し、テーマ曲と挿入曲を作曲したことでも知られています。小生なんか、「こぶたぬきつねこ」なんか薬師丸ひろ子の「探偵物語」で初めて耳にしましたが、あらためて、こんな曲まで書いていたのかとびっくりしたものです。
この本のタイトルが「山本直純と小澤征爾」となっているのにはそれなりの理由があるのですなぁ。