コンヴィチュニーの田園
曲目/ベートーヴェン
交響曲 第6番 ヘ長調 Op.68 《田園》
1. Erwachen heiterer Empfindungen bei der Ankunft auf dem Lande. Allegro ma bon troppo 11:39
2. Szene am Bach. Andante molto mosso 14:33
3. Lustiges Zusammensein der Landleute. Allegro 5:31
4. Gewitter - Sturm. Allegro 4:01
5. Hertengesäng: Frohe und dankbare Gefühle nach dem Sturm. Allegretto 9:31
6.《レオノーレ》 序曲 第3番 Op.72b 14:32
7.歌劇 《フィデリオ》 序曲 Op.72c 6:33
8.序曲 《コリオラン》 Op.62 8:23
指揮/フランツ・コンヴィチュニー
演奏/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
録音/1960/03 ヴィタニア教会、ライプツィヒ
EDEL 7821402172-6
現在手持ちにあるのは1990年代に発売されたドイツ・シャルプラッテン原盤による11枚組のボックスセットに収録されているものです。以前はコロムビアのダイヤモンド1000シリーズで発売されたオイロディスク原盤のものも所有していたのですが、これは俗にいう疑似ステレオもので芯のぼやけたものでした。
ダイヤモンド1000シリーズでコンヴィチュニーのベートーヴェンが発売されたのはこの「田園」(MS1012)だけでした。これでコンヴィチュニーのイメージが小生の中で崩壊してしまいました。このころのダイヤモンド1000シリーズで発売されたものの中で他にもハズレくじを引いていて、MS1027で発売された「ベートーヴェンの序曲集」もウェルナー・ヤンセン指揮ロスアンジェルス交響楽団という怪しい演奏も擬似ステで頭にきてすぐ処分した記憶があります。
そんなこともあり、同じように「田園」1曲でフォンタナのグロリアシリーズで発売されたものは多分買わなかった記憶があります。まあ、当時は一枚900円と最安の廉価盤シリーズだったんですけどねぇ。現在手元に残っているのは3枚だけです。
このフォンタナ盤のベートーヴェンは何度も手を変え品を変え発売されています。フィリップスの初期はカタログ充実のために他社の原盤をライセンスして埋めていたんでしょうなぁ。ただ、今になって調べてみるとコンヴィチュニーの「田園」にはステレオとモノラルの2種類あることがわかってきました。まあ、正確に言えばライブ録音が残っているということで3種類ということにはなります。もう処分してしまったので今では確かめるすべはないのですが、フィリップス/フォンタナはステレオ、オイロディスク/エテルナはモノラルということのようです。詳しい経緯は下記の記事に詳しいです。
さて、手持ちの演奏です。コンヴィチュニーの全集は旧来からいぶし銀のような響きと評されることが多いのですが、それを如実に感じ取ることができます。
第1楽章はやや速めのテンポで開始されます。実直に刻む主題は安定感がありますし、ヴィオラをたっぷりと響かせてコントラバスはゴリゴリと唸らせるようなフレージングで開始されます。1960年代のドイツ本流のベートーヴェンを感じさせます。ここにオーボエの鄙びた音色が和音を重ねて生きます。改めてこの演奏を聴くと当時のオーケストラの配置がこのサウンドを紡ぎ出していることがわかります。第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンは左に集められており、右手にヴィオラの響きがくっきりと捉えられています。典型的な現代的配置で録音されていることがわかります。もう一つ興味深いことがわかり、1961年に来日した折はコンサート・マスターはゲルハルト・ボッセとカール・ズスケの二人が弾いていたということです。この当時のデータは詳しくはわかりませんが、全集は交響曲第1、2、7番が1959/06、第9番が1959/07、第3、5、6番が1960/03、第4、8番が1960/08というスケジュールで録音されたようです。全集録音完成の翌年に来日していることを考えるとこの二人の響きがこの演奏に響いていると考えて聴くとより興味深く聴くことができます。
第2楽章はどっしりと腰を据えたテンポでの歌い回しです。クラリネットの響きがオーケストラの中から湧きあがり、それをファゴット、ヴィオラ、チェロがくすんだ響きで幽玄とした響きで音を紡ぎます。コンヴィチュニーはそれを睨みを効かせた眼光でただただ身を任せている様が目に浮かびます。概してシャルプラッテンは聖ルカ教会で収録することが常ですが、ここで響くヴィタニア教会は残響が少ないこともあり、実にオーケストラの音がクリアーに捕らえられています。
第3楽章は反対にコンヴィチュニーはぐいっとオーケストラをドライブし、愚直と言えるほどかっちりとスタッカートを刻んでいます。この当時のゲヴァントハウスのアンサンブルの精度はかなりのもので、これはコンサートマスターがしっかりしていたからでしょう。このテンポに乗って独奏のオーボエやクラリネットが反対にのびのびと吹きまくりコントラストの際立つローカル・カラーの演奏で花を添えています。
第4楽章の嵐はコントラバスの重低音に乗って生々しい弦のトレモロが緊迫感を助長します。ゴリゴリと打ち込む稲妻の重低音の響きやズンと叩きつけるような雷鳴の響きが風雲急を告げるシーンを演出します。ここなんか黒澤明の「七人の侍」の野武士との戦いをイメージしてしまいます。ここから第5楽章につならる音の響きは野武士との戦いに勝利した農民たちの歓喜につながります。弦楽によるカンタービレは朗々と歌われ、威厳に満ちたホルンの響きが野山を駆け巡ります。コンヴィチュニーの 指揮はそれらの喜びと幸福感を絶妙のバランスでオーケストラの響きに落とし込んでいます。基本的にコンヴィチュニーは、あまりテンポを揺らしたり、細部を繊細に詰めていったりしません。ベートーヴェンの求めていたものを節々でしっかり受け止め、締めるところだけかっちりと抑えた演奏は、今更ながらドイツ正統の古色蒼然たるいぶし銀の響きで魅了させてくれます。