ワイセンベルクのショパンピアノソナタ | geezenstacの森

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アレクシス・ワイセンベルク

ショパンピアノソナタ第2,3番

 

曲目/ショパン

ピアノ・ソナタ 第2番 変ロ短調 作品35≪葬送≫ 

1.第1楽章:グラーヴェ~ドッピオ・モヴィメント(6:42)
2.第2楽章:スケルツォ(6:06)
3.第3楽章:葬送行進曲(レント)(9:45)
4.第4楽章:フィナーレ(プレスト)(1:32)
ピアノ・ソナタ 第3番 ロ短調 作品58 

5.第1楽章:アレグロ・マエストーソ(11:25)
6.第2楽章:スケルツォ(モルト・ヴィヴァーチェ)(2:35)
7.第3楽章:ラルゴ(9:59)
8.第4楽章:フィナーレ(プレスト・ノン・タント)(4:45)

 

ピアノ/アレクシス・ワイセンベルク

録音/1976/10/11,13

   1977/09/05 サレ・ワグラム、パリ

P:ミシェル・ゴルツ

E:ポール・ヴァヴァスュール

 

東芝EMI5(SERAPHIM) TOCE-717

 

 

 手元にあるのは、1990年7月に発売されたセラフィム盤です。多分日本のセラフィムのCDで最初に出たものではないでしょうか。レコード時代のセラフィムレーベルではワイセンベルクの名前尾は見たことがありません。リアルタイムでは1960年代の末から彼の名前は新譜の広告で名前を見かけるようになりました。そして、70年代になるとカラヤンとのコンビで立て続けにメジャーなピアノ協奏曲を録音し始めます。ベートーヴェンの5曲やチャイコフスキー、そしてラフマニノフと残しています。そう、カラヤンはベートーヴェンはグラモフォンではなく、EMIに録音したんですなぁ。そして、協奏曲と並行してソロの録音も並行して発表していきます。ここで取り上げるショパンもそうした中の一枚で、強靭な運指と抜群のテクニックによってショパンが紡がれていきます。

 

 レコード時代は高値の花だったのですが、その演奏が廉価盤のセラフィムシリーズのCDに投入されたので思わず購入してしまいました。確かに素晴らしい演奏です。もともとレコード時代は、ピアノ作品はほとんど聞きませんでした。レコードではぱちぱちノイズが入ったり、それこそテープヒスが気になって仕方がなかったのです。特に小生の初期のオーディオシステムはおんぼろで、音の揺れるワウフラッターが盛大に発生するものでした。また、ショパンは全く興味がなかったので、ついでに収録されていた、ピアノ協奏曲しか持ち合わせていませんでした。それがCD時代になって、そういうマイナス要素がなくなったのでせっせと買いあさるようになった次第です。ピアノ音楽のCDで最初に購入したのがグルダの弾くベートーヴェンのピアノソナタ全集でした。ただ、のショパンはCD時代になっても蚊帳の外で、たぶんこのソシがショパンの器楽曲では最初のものでした。一つ付け足せば、ショパンのピアノソナタを選んだのは、それが葬送行進曲を含む作品であったということです。この曲は子供時代にはアニメの「トムとジェリー」などでのドタバタシーンの後でよく使われていたことや、丁度クラシックを聴き始めたタイミングで吉田茂元首相が亡くり国葬が行われたときベートーヴェンの交響曲第3番の第2楽章の葬送行進曲とともにこのショパンの葬送行進曲も放送されたからです。

 

 まあ、有名な曲ですからあまたのピアニストがこの曲のレコード屋CDを出しています。これまでの経緯からこのワイセンベルクのショパンは自分にとってディフェクト・スタンダードになっています。ルービンシュタインも、アルゲリッチもアシュケナージも知りません。ただ、言えるのは強靭なタッチで繰り広げられるやや硬質と思える演奏ですが、しょうせいにとってこの演奏は悪くはないということです。肝心の第三楽章の店舗も世間ではやれ遅すぎるという評価もありますが、葬送的な意味合いがあるのならこれぐらいの店舗の方が適切だろうと思えますし、正確無比のタッチから紡がれるメロディはこれがショパンなんだろうという気にさせます。

 

 まあ、一つ言えるのはワイセンベルクのタッチはピアノ一台の響きながら、まるでオーケストラの響のような空間の広がりと多彩な音色の広がりを感じることです。

 

 

 

 

 

 

 CDですから、時間があっという間に過ぎていきます。時の経過を意識できないほど2曲のソナタが終わってしまいます。つまりそれだけ引き込まれてしまうということでしょう。ライナーノーツに書かれていましたが、彼はデビュー後なんと19年も活動を休止し研鑽を重ねていたということです。マウリツィオ・ポリーニもコンクールで優勝後、長い研鑽期間を置いたことで知られています。そして、かのストラヴィンスキーの「ペトルーシュカによる三楽章」で再デビューを果たし、大成功を収めました。いわゆる山籠もりですね。素晴らしいことです。

 

 クラシックに限ったことではないですが、現在の音楽業界を見ていると、まだまだ伸びしろがあるにも拘らず、若いアーティストを「完成品」として輩出しているように思えてならないのです。むろん素晴らしい才能と根性の持ち主たちが多くいることは認めます。でも、アートはもっとずっと長い目で見守らなければならないのではないでしょうか?たくさんの楽曲、たくさんのコンサート等々で若い芽をつぶしているのではないかと感じるのは小生だけでしょうか?たとえば今後20年、辻井伸行氏が演奏活動を休止する、と言ったら業界はそれを認めるでしょうか?とても難しいように私には思えます。

 

 

 

 

 

 ちょっと話がずれてしまいましたが、ワイセンベルクの演奏をあまり聴いたことがなかったので、これは本当に良い機会になりました。繊細さとダイナミズムを併せ持つ優れたピアニストであったことを再確認できました。