カイルベルトの「運命」、「ジュピター」、「未完成」 | geezenstacの森

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世界の名曲1000シリーズ

カイルベルトの「運命」、「ジュピター」、「未完成」

 

曲目/

1.ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」
2.モーツァルト:交響曲第41番「ジュピター」
3.シューベルト:交響曲第8番「未完成」

 

指揮/ヨゼフ・カイルベルト

演奏/ハンブルグ国立フィルハーモニー管弦楽団 1
  バンベルグ交響楽団 2,3

 

録音 1958/1/28-2/5 Osterstrasse Hamburg 1 

   1959/7/18-19 2

   1960/7/7 3

 

キング GT1052(原盤テレフンケン)

 

 

 今月の捕獲品はレベルの高いものばかりでした。ここで取り上げるキングの発売した第2期の「世界の名曲1000シリーズ」はレベルの高いものでした。この一枚も当然マークしていた一枚でした。この当時はとにかく手持ちのレパートリーを増やすことを第一に考えていたので、名曲中心の内容は後回しになったものです。当時このシリーズで購入したのは廉価盤では珍しかったニコレ/リヒターのモーツァルトのフルートとハープのための協奏曲が収録されたものや、名盤の誉れ高かったモーツァルトの死者のためのミサ曲なんかを購入しています。

 

 

 今回入手したのはマーク品の中で2位に位置していたもので、トップはGT1052のベートーヴェンの交響曲第3番と6番をカップリングしたものでした。何しろ一番最初に小遣いを貯めて買おうとしたのがカイルベルトの「英雄」でしたからねぇ。

 

 さて、ここではカイルベルトの「運命」がトップに収録されています。今聴くとこの時代を代表するような演奏で、冒頭の運命の動機など長いフェルマータでジャジャジャジャーーーーンと演奏しています。こういう時代だったのです。このスタイルを根本からひっくり返したのがカラヤンでした。当時はアンチカラヤンでしたから、ワルターやオーマンディ、クレンペラーなどはみんなこのスタイルでした。懐かしいものです。ピリオド時代はメトロノームの指定テンポでやりますから、それ以降はこういうスタイルの演奏はなくなってしまいました。そして、提示部のリピートをしないのもこの当時のスタイルでした。オーマンディなどはそのスタイルでしたが、カイルベルトは呈示部の繰り返しもしっかりやっています。遅めのテンポの中、重厚な響きの中で一歩一歩着実に歩みながら感動を盛り上げていく実に堂々たるベートーヴェン。そんな演奏を聴いてみてください。

 

 

 

 

 

 返す返すも、カイルベルトがベートーヴェンの交響曲を全曲録音残してくれなかったことは残念です。中でも8番はモノラルしかなく、第九はNHK交響楽団との1965年のステレオライブ録音がありますが正規では全集にはなりませんわなぁ。カラヤンと同い年でしたから長生きしてくれていたらもう少し名を遺してくれたような気がします。

 

 2曲目はモーツァルトの交響曲第41番の「ジュピター」です。カイルベルトは後期の六大交響曲をステレオで残しています。この第2期のシリーズではその六大交響曲が全部投入されています。これは1959年に録音されたものです。カイルベルトと手兵バンベルク交響楽団による、誠にドイツらしいモーツァルトです。どっしり、がっちりしたモーツァルトはドイツ正統派なのでしょうが、どう時代のカラヤンのレガートたっぷりの流麗な演奏に慣れた耳には実に新鮮に聴こえます。この「ジュピター」最終楽章の壮大なフーガは圧巻です。どっしりとした構えの中にアクセントをきっちりと刻んで克明に音楽を積み上げています。録音も優秀で、高域の美しさと低域の迫力をきっちりと再現しています。

 

 

 最後の「未完成」でのカイルベルトの指揮は、厳格な構成をとり、ここでも情緒纏綿なスタイルとは一切関係がないかごとき演奏に終始します。まあ、フルトヴェングラーの演奏とは対極にあるともいえるでしょう。シューベルトというとロマン派のイメージが付きまといますが、考えてみればベートーヴェンと同時代の人物ですから、この未完成も構成的には古典の様式の延長線上にあります。第1楽章は、実に堂々とした構えで、真正面から曲を捉え一部の隙もない演奏になっています。ドツ音楽の巨匠の面目躍如とした指揮でフルトヴェングラーの解釈に悠然と挑んでいます。第2楽章も抒情的的な感覚というより、じっくりと腰を落ち着かせ、楽譜を深く読み取りシューベルトの音楽の精神性の高みに届くような演奏内容になっています。名曲といえども、個人的には未完成はあまり好きな曲ではなかったのですが、これまでベールに覆われていた「未完成」という曲の真の姿に接することができたという充足感に浸ることができました。