幻の愛知県博物館展 2 | geezenstacの森

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幻の愛知県博物館展 2

 

 

 

 現在、愛知県図書館には関連企画として、この「幻の愛知県博物館展」の関連図書が展示されています。そして、7月15日には午後1時30分から午後2時30分まで愛知県図書館の1階エントランスの「Yotteko」で愛知県美術館主任学芸員の副田一穂氏のこの展示の「ちょっとディープな楽しみ方」というテーマで講演があります。鑑賞の前に立ち寄ってみては如何でしょう。

 

 

 

 名古屋離宮となってからも名古屋城の二の丸、三の丸は陸軍の所轄でした。そんなことでお城上空には陸軍の軍用機が頻繁に飛行していました。また、大正2年の陸軍名古屋特別大演習の折は大正天皇が来名し、一週間滞在しています。

 

 

防空演習ポスター

 

ノリタケ製防空演習記念絵皿

 

天守閣の燃えた日 鴨居 玲

 

空襲で吹き飛ばされた金シャチの鱗

 

この初代金シャチの金で作られた茶釜、普段は名古屋城の茶室に展示されています。

 

再建中の名古屋城 昭和33年

 

黎明 中根寛

 

 

 さて、この展示、ここからが本編です。愛知県博物館は明治11年、1878年に愛知県は博物館の設置を国に上申します。この博物館、当初は大須商店街のほぼ中央、本町通と裏門前兆通りに挟まれた区画に開設されました。最初は博覧会が名目で、その目玉に金シャチが里帰りしています。そして、博覧館終了後は株式会社化して民間の伊藤次郎左衛門(松坂屋社主)が館長に就任しています。しかし、運営は軌道に乗らず、明治16年に県営化されます。そして明治23年からは土日のみから常時開館の体制になり、その後能楽堂、美術館、動物園まで増設されます。

 

 

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明治11年の博覧会会場

 

当時の万松寺通りと博物館入り口

 

博物館正面

 

 

 

愛知県商品陳列館
 

ひ明治43年に、第10階関西府県連合共進会が鶴舞公園で開催されますが、別会場として愛知見博物館が手狭になったので同じ場所に一から建て替えで商品陳列館としてオープンします。この時博物館は物産館の様相を呈していきます。

 

17-18世紀の東インドキャラコ図案

 

愛知県史蹟名勝天然記念物調査報告ー長久手の戦い

 

名古屋俘虜収容所俘虜製作品展覧会記念絵葉書

 

 大正8年、第1次世界大戦のドイツ軍捕虜は名古屋にも収容されていました。東区の陸軍用地は現在の旭丘高校の敷地です。

 

新古陶磁器展覧会 大正6年

 

 博物館時代の収蔵品もまとめて展示していました。

 

高須光治君の肖像 岸田劉生

 

大正6年草土会の展覧会の様子 商品陳列館

 

 

私立明倫中学附属博物館 明倫中学は今の明和高校

 

明倫中学植物標本

 

明倫中学の鉱物標本

 

 明治末には鉱物役1340種、植物役1600種、動物薬2000種を要する規模でしたが大正15年に閉館、資料の一部は関東大震災で被害のあった学習院に寄贈されています。

 

額田郡商品陳列所

 

風景 小沢秋成
 

青島にあった貿易斡旋所に掲げられていたもの

 

新嘉坡商品陳列館

 

 

銅鐸 朝日遺跡

 

円窓付土器 朝日遺跡

 

 

朝日遺跡出土品

 

インクスタンド ドイツ製

 

 

 

 

 

 

 

瀬戸周辺で試掘された陶土、窯業原料資料

 

寿司文化を変えたミツカンの赤酢

 

旧愛知県蚕業取締所第九支所 1921年

 

蚕サンプル だんだん大型化される

 

粟代鉱業所捨石坑坑道

 

絹雲母(セキサイト)原鉱

 

ファンデーションのもとになります

 

 この展覧会はここで終了します。起承転までありますが、どうも決結がありません。サンなことで個人的にはこの展覧会枷何を言いたいのかわかりませんでした。現に愛知県博物館は存在しません。愛知県はあまりに自動車産業におんぶにだっこしすぎたからでしょうか?農産物の生産も全国屈指の県ですから、もう少し俯瞰的にとらえた企画であってもよかったかもしれません。ここらあたりは学芸員の腹の内を問い質したいところです。