大谷翔平と藤棚、ウォーキングの名古屋城 その2
左端のコーンに沿って並んでいるのが本入場待ちの行列です。会場30分ほどで、行列は30分待ちでした。ところで、このメジャーリーグ・エンゼルスの大谷翔平選手のサインは当初は「名古屋城西の丸御蔵城宝館」で公開されていました。そんなこともあり、最初はその「名古屋城西の丸御蔵城宝館」へ駆けつけてしまいました。下の図で正門のすぐ上の施設です。当初はこの施設で展示されていました。
しかし、4月14日からは「名古屋城本丸御殿 上御膳所」に変わっていたのですなぁ。下のマップの「上御膳所」です。観覧コースでは最終に見学する場所です。
この展示場所の変更により、本丸御殿の観覧コースも一部が変更になっています。
こちらに展示されている襖絵は本物で、現在は玄関のニノ間の虎の絵が展示されています。ただ、よく見ると左は確かに虎ですが、右は豹ですな。実は、江戸時代初期の日本には虎や豹は見られず、絵師たちは文献などを参考に描いていたようです。さらに雌の虎に関しては、実は豹だと信じられていたとか。
鷺乃廊下
両側に鷺が描かれています。鷺之廊下(さぎのろうか)は、対面所と上洛殿を結ぶための廊下で、寛永11年(1634年)に上洛殿と共に増築されました。
この廊下は対面通行になっています。
進行方向の図柄
戻り方面の図柄
この欄間の奥が「上洛殿」です。
三之間の障壁画は雪中梅竹鳥図
上洛殿三之間と二之間の襖絵が動物や樹木だったのに対して、一之間と上段之間から再び人の絵に変わります。
上洛殿は、寛永11年(1634)に三代将軍家光の上洛にあわせて増築された御成御殿(おなりごてん)です。本丸御殿で最も格式の高い建物であり、天井には板絵、部屋の境には極彩色(ごくさいしき)の彫刻欄間(らんま)がはめ込まれています。
梅之間は、将軍をもてなす役割に任じられた尾張上級家臣の控えの間として使われた部屋です。上洛殿とともに寛永11年(1634)に増築されました。控えの間とはいえども部屋は金ピカです。さて、この奥にいよいよ松が展示されている名古屋城本丸御殿・上御膳所があります。
上御台所で調理されて運ばれた料理を、長囲炉裏(ながいろり)で温め直し、上段(じょうだん)に揃えられた御膳・器に盛りつけて、来訪した将軍のもとへ運びました。
長囲炉裏がある膳御場(おぜんば)(別名「福(富貴(ふき))の間」)の天井には煙出(けむりだ)があります。
膳御場の奥の御上段の間
手前は上之間
いよいよご対面です。この松は、岩手県奥州市で伐採された月山松(がっさんまつ)で、名古屋城の木造天守の復元に使われる予定です。
大谷選手は3月に侍ジャパンと中日ドラゴンズとの壮行試合で名古屋入りし、その際に名古屋市側が大谷選手サイドにサインを依頼したものです。
切り株には大谷選手のサインとエンゼルスでの背番号「17」が書かれていて、日付はバンテリンドームナゴヤでの壮行試合の2日目の「2023.3.4」と記されています。
ということで、無事写真に収めることができました。
続きます。