レコード芸術1972年12月号
その3
続きです。
ラファエル・オロスコを覚えている人はどれほどいるでしょうか?この当時26歳で、スペイン生まれのピアニストでした。ワイセンベルクに師事して、19歳でリーズ国際ピアノ・コンクールに優勝しています。フィリップスからこの時ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番、パガニーニ狂詩曲を録音してデビューしています。さらには1970年のケン・ラッセルの名映画「恋人たちの曲/悲愴」ではピアノ演奏を担当していました。ただ、1996年4月にエイズで亡くなっています。
毎度毎度のロストロポーヴィチですが、この時はブリテンと組んだ彼のチェロ・ソナタが発売されています。
ジャネット・ベーカーも懐かしい名前です。1970年2月23日のロイヤル・フェスティパルホールでくライブ盤で、フィッシャー・ディースカウトのデュオリサイタルでした。チェンバロにはジョージ・マルコム、チェロでケネス・ヒースも参加していました。
こちらはクリスタ・ルートヴィッヒ、カラヤンの「トリスタンとイゾルデ」、ヴェルディの「レクイエム」などで目覚ましい活躍を見せていました。いやあ、懐かしい名前です。
アンヌ・ケフェレックはデビュー当時は「クフェルク」と表記されていました。1968年に「ミュンヘン国際音楽コンクール」で優勝し一躍時の人になっていました。レコードデビューはエラートから「スカルラッティのソナタ集」が発売されています。
当時のレコード芸術は、ジャズやポップスにもリスペクトしています。 このレコード芸術により、リアルタイムでのポップスの世界も共有することができていました。
ミシェル・ポルナレフもそんな一人でした。フレンチ・ポップス界に彗星のように現れ、それまでのジュリアン・クレールやジョニー・アルディとは違うポップの最前線を走っていました。
ポール・ウィリアムスもそんな一人ですね。この時代はヒット曲を連発していました。カーペンターズやモンキーズ、下のスリーメドッグ・ナイトなどに楽曲を提供するとともに自らもミュージシャンとしてアルバムを発表していました。
個人滝にはこの「エレファンツ・メモリー」は記憶にありません。ジョン・レノンがプロデュースしたグループのようですが、映画「真夜中のカウボーイ」の中で2曲彼らの歌声が聞けるようなのです。知りませんでした。
さて、スリー・ドッグナイトです。この年12月に来日しています。個人的にはこのスリー・ドッグナイトが当時一番好きでした。こちらで取り上げています。
大御所のハリー・ベラホンテです。彼がのちに「USA for AFRICA」に登場していた時には感動ものでした。この時は、「ベラフォンテ・トロント・コンサート」というアルバムをリリースしています。
ジャズ界からは3度目の来日になるナンシー・ウィルソンです。この時はモダン・トランペットのフレディ・ハバードグループを帯同していました。5夜連続のコンサートは大成功だったようです。
この年は、かつてジョン・コルトレーン・クァルテットで活躍したマッコイ・タイナーが自らのクァルテットを率いて来日しています。こちらは厚生年金会館でコンサートを開催しましたが超満員の盛況だったようです。当時の最新アルバム、「サハラ」と同じメンバーでの公演でした。
さて、ここからはこの号に掲載された広告を振り返ります。
山野楽器はこの12月1000円盤をターゲットにした広告を出していました。キングが2シリーズ、コロムビア、フィリップス、RCAが取り上げられています。東芝EMIやグラモフォンは魅力がないということなのでしょう。
新世界レーベルからはショスタコーヴィチの新作交響曲が続々発売されています。また、まずあ最初のベートーヴェンの交響曲全集はこのビクターから発売されていました。
1969年に発足したTRIOレコードはオーディオ・メーカーの「トリオ(現JVCケンウッド)が始めたレコード会社で、奥アマデオ、シャルランレーベルを獲得して発売していました。シャルランのサンプラーレコードは900円という価格で発売され飛びついたものです。ワンポイント録音の走りのようなものでしたが、個人的にはあまり納得がいきませんでした。グルダのベートーヴェンピアノソナタ全集はアマデオに録音されたものでずっと気になっていて、のちにCD化されたもので入手しました。